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2010年09月 Archive

出張セールス - あゆかさんのロンドン・カウンセリング・コース

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-30 Thu 14:37:10
  • 日記
パリのモロー美術館の話の途中だったが、今日は一昨日の出張販売の話を急遽差し込んでしまおう。

どこに出張したかというと、ホリスティック・セラピー・センター溝口あゆかさんのロンドン・カウンセリング・コースの会場。
彼女とはずいぶん昔から、今のように彼女が有名セラピスト/カウンセラーとして脚光を浴びる前からの、長い付き合い。
優しく包み込むようなお母さん型の彼女と、男性脳ワイルド系(?)の私とでは、キャラクターまるで正反対なのだが、なぜだかいまだに付き合ってもらっている(笑)。その上、私のジュエリーも昔からよくお買い上げしてもらっている、上得意様の一人でもある。
なにしろ、彼女がいつでも私のジュエリーを付けてくれている、ステキなモデルさんなので、セミナーの生徒さんから毎年問い合わせの声が出る。すると・・・私に声がかかって、私は喜んで出張販売に参上するといういきさつ。
今年は以前までのグロースター・ロードの会場から変わって、Wandsworth Common(ワンズワース・コモン)駅近くの閑静な住宅地の中の、教会ホールが会場。そして、会場の都合上以前のように、夕方コースが終わってからゆっくり・・・ということができず、コースの間の昼休みに見てもらうことになった。

Wansworth Common station
ワンズワース・コモンの駅前の小さな公園。ここを抜けていく。ロンドンもすっかり秋めいてきた。

Red laves
木の葉も少しづつ色付いてきている。

Church hall venue
小さな教会のホールが、2週間のロンドン・カウンセリング・コースの会場。
大都市ロンドンの一角なのに、とても静かで落ち着いた空気の流れているエリア。

Church hall
短い昼休みに一刻も遅れないようにと思って出かけると、早く着いてしまったので、
周りで写真撮りで遊んで待っている。こういうときカメラを持っていると、一人でずーっと遊べる(笑)。

Key hall
教会ホールの古い鍵穴。

中のエントランスで待っていたら、コースが終わる前に部屋に滑り込ませてもらい、スーパーバイザーの酒井麻実さんの「ダウンロード」(あー、私はなんだか解ってませんよ・・・全然・・・笑)の末席にあずかり、午前のコース終了。
即、大きな机が中央に持ち出され、そこにジュエリーをぶちまける。そう、文字通り「ぶちまける」。ちゃんとディスプレイして見てもらえるのが理想なのだけれど、限られた時間で理想を言っている場合ではなくて・・・毎年こんな風になる。

Ayuka's seminor
そう・・・こんな風に・・・(笑)。

皆さんがジュエリーを見ているわずかの間、写真を撮ったり、あゆかさんや麻実さんとおしゃべりしたり・・・だったのだが、続々と皆さんアイテム決定。
「これか・・・これか・・・どっちが似合います?」とよく尋ねられる。たいてい私は適当に直感で答えているけれど、「聞いてみる」という「間」をおいているだけで、実際には皆さんもう決まっているんじゃないかな、その意識を私はピックアップしているだけなんじゃないかな・・・などとも思う。
たいてい迷うところは2つのアイテム。一つは自分の現在の「肌に合うもの」自然なというか、落ち着く、というかそんなタイプのジュエリー。もう一つは「憧れる」もの、刺激されるもの、こんな風なイメージなりたいというもの。そこで皆さん迷ってしまう。
答えは・・・「まあ、深刻な問題じゃなくてどっちでもいいんですよ。」(超いいかげんな性格の私)
間違いなんてないのだし、結局は人は振り子のように「落ち着いた、水平の意識」と「刺激される、垂直の意識」の間で動いていて、どちらから取り掛かってもいい、どちらから磨いていってもいい、どちらも共存し続ける、そんなものなのだと思う。
ともあれ・・・その後は皆さんのお買い上げの列を前に、とろい私は脳最大限駆使で、計算とお包み・・・それでもお昼抜き状態で皆さんを待たせてしまう。てきぱきしたRieさんのお手伝いがなかったら、きっと皆さんのコースが夕方終わるまで、エントランスで作業を続ける羽目になったことと・・・(汗)。いやいや、お手伝い感謝感激ですRieさん。只者ではない秘書課系女史とお見受けしたら、本業ビジネスコーチの方でした・・・道理で(笑)。そして、辛抱強くお付き合いありがとう、皆さん^^。
午後のコースに、ちょっと食い込みながらも、無事「昼休み出張販売会」終了。本当にどうもありがとう!!

Potato vine
帰り道隣に咲いていたポテト・ヴァイン。


コース受講生の皆さんの活躍と多幸を祈ります。そして、あゆかさん、麻実さん、Rieさんも、コース終わったらぜひ時間作って、美味しいものでも食べに行きましょう・・・(笑)。

明日はモロー美術館に、復帰予定。





Gustave Moreau (ギュスターヴ・モロー)美術館と絵画 -3-

パリの「ギュスターヴ・モロー美術館」より3回目。今日はモローのデッサンを中心に展覧。

Atelier

昨日も載せたが・・・このアトリエの左の窓の下、今ちょうど男性が見ているが、ここのカーテンの後ろに、額装されたデッサンが本のように、幾重にも折り重なっている。Webによると彼の生涯にわたる400枚以上のデッサンが収蔵されているとか・・・。デッサンなのでタイトルもなにもないが、いつものごとく、私のフィルターで目に留まったものをピックアップ。

Drawing for Sphynx
これは、New York Metsの下の絵の構想。

Moreau, Gustave (1826-1898) - 1864 Oedipus and the Sphinx (Metropolitan Museum of Art, NYC)
撮影:RasMarley@Flickr Oedipus and the Sphinx (オディプスとスフィンクス)
Metropolitan Museum of Art, NYC(ニューヨーク、メトロポリタン博物館)所蔵



Drawing - Orphee
これは、初期のイメージスケッチだろうか・・・、

Sketches for Orphee - collage
次第に構想が固まっていく・・・。左は最終作品のための拡大プロセス。

Gustave Moreau: Orpheus
最後の完成作品がこれ。撮影:freeparking@Flickr
Thracian Girl Carrying the Head of Orpheus on his Lyre(竪琴に載せたオルフェの首を持つトラキアの娘Musee d'Orsay, Paris パリ・オルセー美術館所蔵。

Sketches for Salome - collage
サロメのテーマも、最初はいろいろなイメージで描いてみているのが解る。

Sketches for Salome - collage
イメージが固まってきたら、ディーティールの考察・・・。
この完成作がモロー初日に展覧した、L'Apparition(出現)となるのだが、
Flockrで水彩画の同テーマのものを見つけたので引用してみよう。

Gustave Moreau: The Apparition
撮影:freeparking@Flickr The Apparition

後は、いろいろランダムに・・・。

Sketch

Drawing

Drawing


Sketches - collage

Sketches -collage

Sketches - collage

Sketches - collage

Sketches -collage

最後に、写真での写り方もあるのだが、一番気に入ったのがこれ。テクスチャーレイヤーをいれてみた。
Sketch


明日は、引き続きモロー美術館から、彼の暮らした部屋を展覧。

Gustave Moreau (ギュスターヴ・モロー)美術館と絵画 -2-

パリの「ギュスターヴ・モロー美術館」より、モローの絵画の2回目。

Fleur Mystique
Fleur Mystique (神秘の百合)ギュスターヴ・モロー美術館所蔵

Fleur Mystique- detail-
同ディティール。私のお気に入りの一つ。

Argonautes
Argonautes (アルゴ号の帰還)ギュスターヴ・モロー美術館所蔵
これは4mx2mの大きい方の未完の作品。同タイトルで小さくてより完成されたヴァージョンもある。

Argonautes - detail -
同ディティール。

*** detail
元絵がどれだか解らなくなってしまったディティール
 
特にこの2つのディティールでよく解るのだが・・・モローの描く男性はことごとく中世的。ちなみに、ほぼ同時代のイギリスのラファエ前派のバーン・ジョーンズの絵画も、性差のほとんどない表現。私自身に性差意識が完全に欠落しているためか、こういった絵画が見ていて心地よい。バーン・ジョーンズの場合は「人間」を美化・様式化した結果、性差が失われていった、と解釈できる。モローの場合、女性は「悪女」「聖女」「女神」といった「アクセスを拒絶する冷たい性」として描かれれ、男性は「たおやかで肉感的」。そのことから、彼が潜在的に同性愛者ではなかったか、という説もある。潜在的あるいは無意識の性的傾向を証明することなど、できはしないのだが・・・。

Triomphe d'Alexandre le Grand
Triomphe d'Alexandre le Grand (アレキサンダー大王の勝利)ギュスターヴ・モロー美術館所蔵

これまた・・・壮大なイメージの絵画。実際にはカタログによると、1.55mx1.55mの作品なのだが、記憶の中では3mx3mあるかのような印象を受けた。それというのも、無限に続くかと思われる細密描写のため・・・。

Triomphe d'Alexandre le Grand- detail collage -
同ディーティール

右の高い玉座に座るのが若きアレクサンダー大王で、左の征服されたインド王が慈悲を請うというシーン。これまた、本来のテーマは実はどうでもよくて、タペストリーのように連綿とパターンを描き続けることが目的だったのではないかと、うがった解釈をしてしまう。

Triomphe d'Alexandre le Grand - detail -
同ディーティール

この時代は東洋全般からの情報・事物が大量にヨーロッパにもたらされ、一大東洋ブームとなっていた。モローとて例外ではなく、オリエンタルに傾倒している。彼の場合、歴史的・学術的に裏づけされたものではなく、あくまでも「幻視」。この絵画でも彼の幻想の中でのインドが描かれている。たとえそれが「幻視」であっても、ここまで描きこまれると、実際に彼は「そこ」を見ていたとしか思えない。幻が真実に転換してしまう・・・。
これはオリジナルサイズの画像でぜひ見ていただきたい。<このページ>(巨大サイズなのでスクロールして見て下さい)
シュヴァルの理想宮を連想してしまう・・・。などと、今日は彼の潜在的奇人ぶりにばかりフォーカスしてしまったような・・・最後の絵画に愛らしい一枚。これはディティールで、これまた元絵がどれだったか解らなくなってしまった。

*** detail


このような、アトリエに展示されている・・・。

Atelier
これは下の階。左の窓の下に明日展覧する彼のデッサンが詰まっている。

Atelier
螺旋階段を上がって・・・

Atelier
上階のアトリエ展示室。


それでは、明日は彼のデッサンを展覧予定。




Gustave Moreau (ギュスターヴ・モロー)美術館と絵画 -1-

昨日の標本箱で、Gustave Moreau(ギュスターヴ・モロー)の「天使」を展覧して・・・思い出した。まだモローを標本箱に詰め込んでなかった。
いつものごとく簡単な解説はリンクのWikiのページにお任せするのだが、ラファエル前派と並んで、彼の絵画は私のお気に入り、というか、一番好きな画家かもしれない。神秘的、耽美的、装飾的、私のテイストのすべてにティックが入る・・・。彼が後半生を過ごしたパリのアトリエ兼自宅が現在は「ギュスターヴ・モロー美術館」として公開されている。以前も2度訪れたことがあるのだが、今年の春パリに滞在した折に「最強」のデジタル一眼レフ持参で再訪。丸一日環境に浸りこみながら、写真を撮って廻った。
今日と明日ははまず彼の絵画を2回に分けて、そのあとデッサン、そして彼の死後そのままに保存されている私室のイメージを、トータル4回に分けて展覧してみよう。

Jupiter et Semele
Jupiter et Semele(ジュピターとセメレー)ギュスターヴ・モロー美術館所蔵

背後にあるストーリーをWikiで見つけたのでリンクしておいたが・・・彼の絵画の場合、テーマはもはやあまり意味を成さず、ただただ折り重なっていく装飾的なディティール自体が「主題」だったのではないかと・・・いつも思う。

Jupiter et Semele- detail collage -
デティールをコラージュで。私にはとても「ビザンティン」と感じられるのだが・・・・。

Jupiter et Semele
Jupiter et Semele (ジュピターとセメレー)ギュスターヴ・モロー美術館所蔵
同じテーマ。上の絵の前段階のアイディア・スケッチ風。

Le Poete Voyageur
Le Poete Voyageur (旅の詩人) ギュスターヴ・モロー美術館所蔵

Hesiode et les Muses
Hesiode et les Muses (ヘシオドスとミューズ) ギュスターヴ・モロー美術館所蔵

Les Muses Quittent Apollon, leur Pere, pour Aller Eclairer le Mondo
Les Muses Quittent Apollon, leur Pere, pour Aller Eclairer le Mondo
(世界に啓蒙を与えるべく、父アポロの元から旅立つミューズ達・・・拙訳) ギュスターヴ・モロー美術館所蔵

The Unicorns
The Unicorns (一角獣)ギュスターヴ・モロー美術館所蔵

しかし、こうやって全体像を見るだけでは、彼の絵画の半分しか見ていないのも同然・・・。ディティールが命。

The Unicorns - detail collage -
まるでレースの襞のように折り重なる・・・。

The Unicorns - detail -
そして、愛らしいチャーミングさもディティールで初めて目に留まる。

L'Apparition
L'Apparition (出現)ギュスターヴ・モロー美術館所蔵

Part of -L'Apparition-
これは、チャーミングというよりは、緊張感の高いミステリアスなドラマ性だが・・・、
19世紀末の耽美主義小説、ユイスマンスの「さかしま」に描かれて以来、彼の代表作として後世に定着した作品。
モロー自身このサロメのテーマに傾倒していて、何度もいろいろな構図、表現で描いている。

Salome
Salome (サロメ)ギュスターヴ・モロー美術館所蔵

Part of Salome
ディティール。

サロメ伝説のWikiリンクを付けておいたが、19世紀末の耽美主義ムーヴメントの中で、男の身を滅ぼさせる「Femme fatale(運命の女)」の原型の一つがこのサロメ。
時代性もあるが、生涯独身であった彼特有の女性観も反映しているのではないかと思うのだが・・・どうなのだろうか?

明日も引き続き、彼の絵画をギュスターヴ・モロー美術館より。




天使のイメージ

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-26 Sun 10:29:48
  • 写真
キリスト教信者ではないのだが、教会やキリスト教のヴィジュアルイメージがとても好きだ。特に天使のイメージが好きで、美しいものなら何でも撮ってしまう。(あ、ヴィジュアル系の私は、悪魔でも美しければ好きなのだが・・・ただ、美しいものが少ないだけ・・・笑)。
アングリカンやプロテスタントのミニマリスティックな装飾を排除したものより、カソリックの装飾性が好き。もっと好きなのが、東方的でこの上もなく煌びやかな、オーソドックス教会。キリスト教の装飾性の水面下には、ケルトやゾロアスターやミトラといった異教のモチーフ、シンボリズムが連綿として流れている。言葉を変えると、こういった古代信仰の象徴を組み込むことによって、キリスト教はそれらに取って代わっていった・・・ともいえる。私的には、オーソドックス教会の装飾美の中に、ビザンティンから遡ってはペルシャ、アッシリア、バビロニアといった古代メソポタミア諸帝国のヴィジョンを垣間見ている。 
天使の概念もキリスト教のみならず、その前身のユダヤ教、さかのぼってはゾロアスター教にも見受けられる。エネルギーの根源である火と光を奉るゾロアスター教(マズダ教)に、魂のつながりを感じている私としては・・・教会の天使達に、なにかもっと古代の光の使者のイメージを重ねて視ているのかもしれない・・・。

今日は少し趣向を変えて、私の写真とともに、他にもFlickrから私の好きな(私のものよりもっとすばらしい)天使の写真の数々を引用してみよう。

Statue - Cardiff Angel
最初はこの前Cardiff(カーディフ)で撮った天使。
「カーディフの街」の標本箱にやや正面向きのものを載せたが、この横向きのアングルも気に入っている。
翼と風に翻る衣の流麗なこと・・・。

Angel Statue (Immortel)
撮影:Tiquetonne2067 @Flickr

Bruges- angels collage
ブルージュの街で撮った天使のイメージをポストプロセスで合成。
今まさに天から降り立ったかのように・・・。

Saint Michael the Archangel
撮影:Justinraff”Flickr こんなにシャープに、素晴らしいアングルで撮りたいものだ。

sepiaangel.JPG
撮影:crowolf @Flickr

Jupiter et Semele - detail -
Gustave Moreau(ギュスターヴ・モロー)の描く天使。
Jupiter et Semele(ジュピターとシメレー)の部分。Musee Gustave Moreau所蔵。


撮影:Diodoro @Flickr

Angels
Musee National du Moyen Age, Cluny Museum所蔵。中世の天使達。

Cawston
撮影:p w jewitt @Flickr ノーフォークの教会の天使。これも16-7世紀の物のよう。

Angel in Banqueting Hall
この前のウェールズ旅行から、カーディフ上のバンケティング・ホールの天使。

Palmovka Angel 09
撮影:Adornments NYC @Flickr

Stained glass @ Westland, London
ロンドンのWestland(ウェストランド)というアンティーク・ディーラーの建物のステンドグラス。
元19世紀建造の教会だったところ。

Bath - Town- collage
Bath(バース)の街の天使像。

Angel in Oxford
Oxford(オックスフォード)の建物の天使。

St. Yeghiche Armenian Church
South Kensington(サウスケンジントン)の教会のステンドグラス。


天使といえば・・・このLisa Gerrard(リサ・ジェラード)のSanvean (I am your shadow)を聞くと、天使をイメージしてしまう。優しくて厳かで、軽やかで重く、光と影が同時に存在する・・・彼女の声の中に・・・。私の一番好きな曲。


















トーナメント -Hampton Court Palace (ハンプトンコート・パレス)-2-

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-25 Sat 10:01:32
  • イベント
ハンプトンコート・パレスのトーナメント(馬上槍試合)の話の2日目。

今日は宮殿のコート・ヤードでの、ヘンリー8世王妃Anne Boleyn(アン・ブーリン)とその取り巻きたち。

Anne Boleyn
アン・ブーリン王妃登場。ヘンリー8世達は猪狩りから戻ってきた、と言う設定なので、猟犬もいる。

Anne Boleyn
とても「よい子」の犬たち。

Anne Boleyn
アン・ブーリン王妃

信心深くて堅物の最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンや、色白でぽっちゃり、おっとりタイプの三番目の王妃Jane Seymour(ジェーン・シーモア)に比べて、歴史的にアン・ブーリン王妃は、スリムで浅黒く、奔放でおてんば・・・なイメージで描かれる。ここ、ハンプトンコートではこの女優さんがいつでも、アン・ブーリン役を表情たっぷりに演じている。

Tudor Lady
王妃付きの女官。
この女優さんは、昨年のイベントで、キャサリン・オブ・アラゴンを演じていたのを覚えている。
日差しの中でステキな笑顔。

Court people
王妃の取り巻きの、作曲家Mark Smeaton(マーク・シミートン)と若い貴族Henry Norris(ヘンリー・ノリス)かな?

Court people
もう一人の取り巻き貴族Francis Weston(フランシス・ウェストン)かな?

この青年たちが、女官たちにそそのかされて、アン・ブーリンに捧げる愛の詩を競い始める・・・。
もちろん、この架空のストーリーは、その後ジェーン・シーモアに心を移したヘンリー8世が、アン・ブーリンから再度離婚するために、彼女を姦通罪に陥れて処刑してしまう・・・という、例の有名な話の前触れとして設定されている。

Anne Boleyn
王妃と女官。

Tudor Lady
王妃付きの女官。

Tudor court people
恋の鞘当?

Anne Boleyn
ジャウストの観覧席に向かう王妃。

Tudor court people
側近たち。

Tudor court people
作曲家Mark Smeaton(マーク・シミートン)

Anne Boleyn
観覧席の王妃

あ、昨日もこの写真つかったな・・・。
歴史の上では、アン・ブーリン王妃のみならず、姦通罪に問われて取り巻きの貴族達3人、作曲家シミートン、その上実の兄のジョージ・ブリンまでもが、完全な濡れ衣でロンドン塔に送られ処刑される。かなり陰惨な結末。
ヘンリー8世一人が残虐な暴君だったというよりは、どうしても嫡男が必要だったヘンリー8世に付けこんだ、貴族達のパワーゲームとでも言おうか・・・。まぁ、時代が変わっても、いつもどこかで陰謀画策し合ってしまう、人間の性質は似たり寄ったり、という感じ。
ともあれ・・・、イヴェントは歴史の中の幸せなひとコマをスライスして、楽しく繰り広げられる。





トーナメント -Hampton Court Palace (ハンプトンコート・パレス)-1-

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-24 Fri 10:44:46
  • イベント
8月の最終週末はイギリスではバンクホリデーと呼ばれ、月曜日が祝日、つまり3連休となる。夏休み最後の週末、家族連れで「何か」楽しむことを、まるで強要されているかのような・・・。それをあてこんで、各観光名所は企画満載。夏中イベント続きのご近所、ハンプトンコートも、シーズン最後の大イベント「Great Tournament(大トーナメント)」を3日間開催。トーナメントと総称されているが、これは馬上槍試合(ジャウスト)のこと。詳しい話はWikiのこのページにお任せする。
重箱の隅ほじりな、いちゃもん。Wikiの「ジョスト」は何語から発音が取られたのか知らないが・・・少なくとも英語ではそんな感じの発音ではない。Joust「ジャウスト」が一番近いカタカナ表記。
Tourney「トゥルネィ」という仏語は英語の「トーナメント」とほぼ同義で、ジャウストの後に催された第二部の団体戦のことを本来は指している。

このハンプトンコートのイベントは、そのジャウストの方。ヘンリー8世と、2度目の王妃Anne Boleyn(アン・ブーリン)の兄George Boleyn(ジョージ・ブーリン)が馬上槍試合を行う、という設定。
チューダー期以前の中世のトーナメントは、荒っぽい「賞金稼ぎ」で、ジャウスト(馬上槍試合)も本格的にあいてを突き落とすことに意義がある。その後のトゥルネィ(団体戦)では、2つの軍に分かれて乱闘状態・・・。参加人数も多くて主催者の散財このうえもない上、大事な騎士は怪我するは、死ぬわで何度も法王や国王からの禁止令が出されている。
後のチューダー(大陸ではルネッサンス)期のトーナメントは、まずジャウストのみと考えていい。スポーツとしてのジャウストが形成されて、社交行事として少人数で催される様になった。槍は柔らかい木材の張りぼてで作られるようになり、どちらがたくさん相手の鎧のポイントの高い部分(胸、肩、頭、腕の順だったと思う・・・)に槍を当てて折るかを競う競技となっていった。スイカ割ではないが、ぱっこん、ぱっこん、槍を折ることに意義がある。下半身や馬を狙うのは反則で、安全のために馬の高さのフェンスで仕切られている。
背景の話はこれぐらいで、ヴィジュアルに入ろう。

Hampton Court Palace
一同登場。

朝ちょうどハンプトンコート・パレスについたときに、ちょうどヘンリー8世一行が猪狩りから帰ってきたところに遭遇。(ちなみに、猪狩りのシーンはさすがにない。そういう設定になっているだけ・・・。)
いちばん左の馬上がヘンリー8世、その隣が王の側近で式部官のサフォーク公チャールズ・ブランドン、その右隣がジョージ・ブーリン、の役。

Hampton Court Palace
猪狩りと言ったからには・・・猪も登場。

Court Musicians
その後ろから、宮廷ミュージシャンが続く。
この一行が、パレスの周辺を一回りして、ジャウストの会場である、東正面の庭までパレード。

Armourer
ジャウスト会場の隣で、デモンストレーションするArmourer(武具師)

チューダー・ルネッサンス期の鎧はきっちりとフル・メタルでつくられる、完全な特注品。1ミリの狂いも許されない。もし、着る騎士が太ったら・・・調整は効かず、作り直しだそうだ。歳とともにどんどん太っていったヘンリー8世は、十いくつも鎧を作り変えたそうで、体のどの部位から何センチ太っていったのか、詳細にわかるとか・・・。

Sir Charles Brandon, 1st Duke of Suffolk
ここのイベントではおなじみの、サフォーク公。

ジャウストに先立ち、ジョージ・ブーリンが鎧を着装していくプロセスのデモンストレーションがある。
それを待っていたら、ここのイベントで毎回「仕切っている」サフォーク公が何かと解説して、観客を退屈させない。以前のイベントの時は<このページ>知らなかったのだが・・・この彼が、ここハンプトンコート・パレスとロンドン塔のコスチューム・イベントを企画している会社の社長様。どうやら以前のイベントの、私のFlickr写真を見つけていてくれたらしく、お褒めの言葉を頂戴。その時に「実は私が社長」と教えてもらった(笑)。

George Boleyn
ジョージ・ブーリン登場。なかなかのイケメン氏、まだ鎧を着装する前。
鎧の下に着るDoublet(ダブリット、リネンをキルティングした上着)を着ている。
肩から出ている紐はこれで鎧を留めつけるためのもの。

Arm for the tournament 1
鎧着装のデモンストレーション。

まず前面の胸板から初めて、後ろを嵌め込み、腰板を付ける。本来は脚にも甲冑を嵌めていくのだが、今回はジャウストなので、下半身は無防備でも大丈夫。腕の部分なども、ダブリットの紐で吊り下げていく。

Arm for the tournament 2
次に兜を着装。

最初にCoif(コイフ)というキャップを被る。これはダブリット同様リネンで、キルティングされていたりもする。このコイフは中世から17世紀にいたるまで、老若男女貴賎を問わず普段着、作業着として被られていた。
中段右2つの写真で、首を支える部分を嵌め込んでいる。兜が重いので、この部分で兜の重量を下の、鎧の部分に分散して、首に負担が掛からないようにするため。これがないと、衝撃で首が「むち打ち症」になることがあるからだとか。当時のこのような鎧の最高級品はミラノ製。一般騎士には手は出ないが、ヘンリー8世の鎧は多くはこのミラノ製だった。
最後は妙にかわいらしいハート型のクレストを付けて出来上がり。

King Henry VIII at the Great Tournament
ヘンリー8世登場。

Anne Boleyn
アン・ブーリン王妃も観覧席に到着。

King Henry VIII at the Great Tournament
左右に分かれて・・・。

George Boleyn in the Great Tournament
Lance(槍)を受け取る。

King Henry VIII at the Great Tournament
いざ勝負!!

King Henry VIII at the Great Tournament
ジョージ・ブーリンの槍がヘンリー8世の的に一本!!

King Henry VIII at the Great Tournament
2回戦もジョージ・ブーリンに一本!!試合はどちらかが3本取るまで繰り返し行われる。
結局この日はヘンリー君一本も入れられず、残念ながら完敗。

King Henry VIII at the Great Tournament
潔く敗北宣言のヘンリー君。

この右のジョージ・ブーリン氏が見事な例なので、ここでついつい、余談をいれたくてたまらない・・・。
中世からルネサンス期にかけての馬の乗り方は、現代のものと少し違う。鐙をやや長く設定して、脚をまっすぐにピンとつっぱらかって乗っている。馬上で槍やら剣やらを振り回していた時代は、衝撃で突き落とされないためにこのような乗り方をしていたもののよう。ルネサンス絵画や彫像の脚が、みんなつっぱらかっているのが不思議だったのだが、どうやらそういう事情らしい・・・。

明日は同じイヴェントから、アン・ブーリン王妃とその取り巻きの、軟弱系(笑)の紳士たち。





周りの物達

昨日は家を紹介したので・・・今日は小物。
家の中のガラクタを、ただ撮っていても面白くないので、いろいろポストプロセスでいじくっている。家の中での物撮りには、たいてい50mm f/1.4のレンズを使って、自然光だけのローライトで撮っている。

Objects around me
ミニチュアのヴェネツィア・カーニヴァルの仮面とビザンティン風冠。
これは、うちの小さな同居人、ヴィヤチェスラフ殿下のもの。またいつか・・・彼もご紹介せねば。

Objects around me
花が室内に欲しいのだが、部屋が暗いため、たいてい生き延びられない。
近頃はとてもリアルに作られた、シルクフラワーが出回っているので、部屋の暗がりには造花。

Glass - collage
キッチンのグラス。右2つは16世紀のグラスのリプロ。

Objects around me
階段の角の棚の中。10年ぐらい前に作ったもの。
アンティークボトルに、カラスナゲットとポリマークレイでデコレーション。

Diptyque candle
フレグランスはDiptyque(ディプティーク)が好き。これは、キャンドルのフレグランス。

Objects around me
ルネッサンス絵画をプリントしたタイル。コースターとして売られていた。

Bathroom - stones
プロヴァンスから、スーツケースに石を詰めて帰ってきた馬鹿な我々。
今はバスルームのデコレーション。

My booties from Surbiton Festival
チャリティーショップのスタンドで買った小さな置物。スペイン製かメキシコ製。

Objects around me
モロッコ製の小さなボールにはラヴェンダー。キャンドルスタンドはイスタンブールで買った。

Objects around me
自分用のジュエリー、いまのところ・・・。
頻繁に着けているものを「それがどうしても欲しい」といわれることがある。
ついつい譲ってしまい、お買い上げいただくことに・・・。

Objects around me
小さなシルヴァー・フレームに入っている写真は、配偶者氏の幼少のみぎり。
これはもう「歴史的」と呼んでいいぐらい昔・・・。

Objects around me
リヴィングルームの暖炉の上。手巻き式振り子時計は19世紀末のドイツ製。
その両脇の天使のスタンドは、イタリア製のみやげ物、カーブーツで買った。

Corner near the window
最後はかなりストレートな写真。寝室の窓際。


今日はこれぐらいかな。また、たまってきたら展覧することに。

私の家

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-22 Wed 21:26:30
  • 生活
少し脳が腑抜けていて、論理思考の左脳がストライキ気味。難しい話は抜きで、適当にふにゃふにゃ、身の回りの生活環境を標本箱に詰め込んでみよう。

Living room / Atelier
リヴィングルーム兼アトリエ。

出窓の中にIkeaの棚を2本入れて、そこにMDFボードを渡して作業台にしている。
暖炉は実際に火を入れて使っていたこともあるのだが、家具やら小物があふれかえって、いまや物置状態。いつでも散らかっている・・・。
下の写真の右側ディヴァン(ソファ)の上にかかっているのは、15年近く前に製作したパピエマシェ作品(日本語で言うと、張子。新聞紙が原材料)。個展で売れずに・・・海外引越しにまで、持参する羽目に・・・。

Bedroom
ベッドルーム。

なにしろ「お飾り物」が好きなので(ご存知のことかと・・・笑)、ミニマリズムの対極でマキシマリストを自称。部屋の中も白い壁が見えると、なんだか落ち着かない。さりとて、昨日のピーターシャム・ナーサリーズで売られているような雑貨を詰め込めるほどの、潤沢な預金残高でもない。モノをつくるのはなんでも好きだし、たいていのものは「それ風」には作ってしまえるので、大半がハンドメイド。
左上はベルギーの土産物屋で買ってきた15センチ角程度の、バイユータ・ペストリーのコピーと、ゴブラン風カーテンの端切れを縫い合わせて作った「タペストリー」。ベッドの上に掛かっている。
その下は、フラットを買って引っ越してきたときにすでについていた、作りつけキャビネットの扉が、安っぽい合板だったので、壁用ペイントを塗って、ステンシルで中世風に。右の中段上もタペストリーに見えるが、実はステンシルのペイント。
左下はチャリティー・ショップで入手した、キプロス土産の絵皿。遠くから目を細めてみると・・・全体的にウィリアム・ド・モーガンの皿に見えなくはない(笑)。
右下はウィリアム・モリスの挿絵本のリプロを、羊皮紙風のテクスチャーの紙に白黒コピー。部分的にゴールドペイントを入れて、周りをちぎり、火で少し焦がしたものを、マット・ゴールドの紙の上に張り込んで、Ikeaの安い額に入れたもの。安い額も、黒く染めて、ゴールドを少しのせると、遠目には安物には見えない。(この、遠目には・・・というのが、私の製作の原点ともいえる・・・か?)

Kitchen / Dining
キッチン

80年代にこの家が改装されたときに導入されたキッチン。引っ越してきたときのまま。コンテンポラリー好きの人なら、すべて引っぺがして入れ替えてしまうであろうキッチンユニットも、アンティーク・カントリー風好きの我々が引っ越してきたもので、30年の命を永らえている。

Landing / Hall
階段

イギリスのアパートはFlat(フラット)と呼ばれる。日本のマンションのような、最初から集合住宅として建てられたBlock of flats(集合住宅)もあるが、それ以外に、もともとは一家族の住宅として建てられた、日本式に言うところの6-8LDKといった大型の家が、フロアごとに分割され、それぞれにキッチン・バス・トイレを付けて一つのアパートにして売買されるものもある。都市部のフラットは大半がこのタイプで、コンヴァーション・フラット(転用住宅)と呼ばれる。うちもその典型的な例。1898年築の3階建てのレンガ造りの建物が、上下3軒に分割されている。我が家は最上階。なので、まず正面の共同ドアから入って、2階に階段を上がったランディングに、うちのドアがある。そこを入ると、いきなり、また3階へ上がる階段。60センチほど低いレベルにまずキッチンがあり、その上にリヴィング、ベッド、バスルームがある。イギリス式の呼び方で、1Bedroom Flat(1ベッドルーム・フラット)日本式にいうと、1LDK ということになる。
下の写真で、左から、ベッドルーム、リヴィング、バスルームの入り口が見える。天井に見える四角い板は屋根裏への入り口。梯子をかけて上る。あまり使わないものをしまっておく倉庫として使っている。

Recent favourite spot in my flat
階段の大きな窓。この窓のおかげで、フラットが全体に明るい。

Bathroom - collage
バスルームのコラージュ。F/1.4のレンズを買ったときに試し撮りしたものをコラージュ。
(もちろん、色加工でもかなりいじくっている・・・)

Bathroom - collage

Bathroom - collage


けして大きな家でもなければ、豪華な内装でもないのだけれど、イギリス人曰くところの「家は城」、まさしくその通り。ここで日々楽しく過ごしている。

Petersham Nurseries(ピーターシャム・ナーサリーズ)-ガーデンセンター

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-21 Tue 10:57:28
  • 生活
昨日のリッチモンド・パーク「キノコ狩り」の続きで、ランチを食べに寄った、Petersham Nurseries(ピーターシャム・ナーサリーズ)。

ナーサリーズというのは、直訳すると「植物の世話をするところ」、で、「育苗業者」。ちなみに、幼稚園・保育園も「子供の世話をするところ」で、同じくナーサリーと呼ぶ。老人の世話をするところは、ナーシング・ホーム・・・あ、これは余談・・・。
日本の語感からいうと、ガーデンセンターが近いかな。
リッチモンドからテムズ川沿いにさかのぼったピーターシャムにある。苗やガーデングッズはもちろん、それ以外にもおしゃれな雑貨も扱っていて、カフェ、レストラン部もある。リッチモンドは高級住宅街で、なおかつ、フランス革命を逃れて亡命してきたフランス貴族達が住み着いた街ということもあって、いまだにどことなくフランスっぽいエレガントさを漂わせている街。なので、ここのナーサリーズもハイセンスで・・・お値段も高級。
とはいえ、基本はガーデンセンターなので、親しみやすくナチュラルで素朴な味わいも、備えている。

Petersham Nurseries
入り口。シーズンごとの「おすすめカラーコーディネート」が展示されている。

Petersham Nurseries
左上は表通りのバス道から見える壁に描かれた案内。
いつもバスから見て知っていたのだが、象のマークがかわいいので、
Danaさんに聞くまでずっと「保育園」だと思っていた・・・。

Petersham Cafe
おなかがすいていたわれわれは、カフェ部門に直行。

実は、先にレストラン部で席まちをしていたのだが、平均23-25ポンドのメインディッシュは、キノコ狩りランチには予算オーヴァーなので、カフェの方に変更。それに、カフェなら予約したり、席まちしなくてもすぐに食べられる。ケーキまで手をださなかったが、カフェのケーキが、かなり美味しそう。
Danaさんのスープは結構なお味。野菜の旨味が、よく出ている。私のチキンサラダ、チキン(そして野菜も)オーガニックでいい味なのだが・・・いかんせん、ぶつ切り生野菜のサラダ(イギリスにありがち)は、馬かウサギになったような気分で・・・ちょっと閉口。フランスなら薄くスライスするのでは・・・などと思うのだが。
ともあれ、プロヴァンスの田舎風の雰囲気は、とても心地よい。これで、プロヴァンスの日差しがあれば、完璧。
しかし、ここは天下のイギリス、天候不順が「通常」のお国柄。ちゃんと、室内部も完備。

Petersham Cafe
パッション・フルーツが実る、温室のなかのカフェ。

Petersham Nurseries
ランチの後は、雑貨部門を探索。

Petersham Nurseries

Petersham Nurseries

Petersham Nurseries

Petersham Nurseries
もちろん、メインの花達も見てまわる。
白い発泡スチロールのケースは使わず、レトロで味のある木のケースを使って展示されている。

Petersham Nurseries
秋はダリアとコスモスのシーズン。

Petersham Nurseries
この宿年草のデイジーはこぼれ種でいくらでも増える。

Richmond
ナーサリーズを出て川沿いに歩こうとしたら、プチ洪水だったのは・・・昨日も書いた通り。

どこが道やら、川やら。まあ、それも自然の一部。リッチモンド・パークや、ナーサリーズもだけれど、大都会ロンドンに自然が共存してるいことの方を、喜ばなくてはね・・・(笑)。








キノコ狩り in Richmond Park (リッチモンド・パーク)

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-20 Mon 10:31:16
  • 日記
昨日の標本箱のアンティーク・ロードショーもロンドン・ホメオパシー&ヒーリング通信のDanaさんと一緒だったが、今日の標本箱、キノコ狩りも彼女と一緒。彼女が私の守備範囲、西ロンドンに引っ越してきたこともあり、たいてい連れ立って遊んでいる。
Danaさんはホメオパシーが専門なわけだが、それ以外にも彼女の頭の中には、ありとあらゆる博物学が詰まっている。歩く「自然史博物館」状態。キノコとて例外ではない。今年のイギリスの夏は、天候不順で雨がち。すると、うちの庭先にでも直径15センチぐらいの、かなり大きなキノコ達が出没。うちに遊びに来たDanaさんに見てもらうと、どうやら「消化できない人もいるキノコ」。猛毒とはいわないが、避けておくに越したことはないものたち。
では、食べられるキノコは近所で採れるのか?きっとリッチモンド・パークが狙い目、ということになった。

キノコ狩りは朝早起きする必要があるが(キノコは夜育ち、マニアは早朝から狩りにやってくるので・・・)、朝が苦手な私のこととて、早起きの限界が、10時半リッチモンド駅集合。

Richmond
リッチモンドの高級住宅街を抜けて、坂を上ってリッチモンド・ゲートに向かう。

View from Richmond Hill
丘の上からの眺めは格別・・・のはずだが、少し小ぬか雨まじりで、天候はよろしくない。

River Thames from Richmond Hill
真下に蛇行するテムズ川が見える。
この眺めが、テムズ一美しいとかいわれる。他の地域の住民の反論もあろうかとは思うが・・・(笑)。

Richmond Park
中はところどころ林状になっているが、基本的に9.55平方キロの大草原。
コンパスは持ってこなかったので、入ってきたリッチモンド・ゲートの方角を何度も確認しつつ歩く。

Mushroom hunt in Richmond Park 1
Danaさん登場。彼女といえども、念のため、キノコ図鑑持参。

キノコ狩りには「バスケット」が必携だそうだ。採ったキノコが呼吸できるので、傷まないのだとか。私はスーパー袋を持参して満杯にして帰る「幻想」にとらわれていたが、現実はそんなに採れるものではないと始めて知る・・・。

Parasol mushroom
パラソル・マッシュルーム、Macrolepiota procera、日本名からかさ茸
このキノコを中心に採集。(上のバスケットの左半分)

それ以外にも「安全」と思われるものを採ったが、採ってすぐに変色したり、ぐずぐずになってしまってあまり食べる気にはなれない。結局パラソル・マッシュルームだけを料理することに。
道々、誰かが先に来てキノコを抜いていったと思われる穴をいくつも発見・・・やはり、少し出遅れたようだ。

Mushroom hunt in Richmond Park 2
それでも2人の晩御飯には充分な量を収穫で、Danaさんご機嫌。

Richmond Park
再びパークを抜けて・・・、ピーターシャム・ナーサリーのCafeでランチ。
(ここは明日また改めて標本箱に詰めてみよう)

Richmond - Petersham
そのあとは、テムズ川沿いのファームを抜けて・・・。

Richmond
川沿いの遊歩道を行くつもりだったが・・・
昨日の雨と満潮で(このあたりはまだ潮の干満の影響を受けるテムズ川)、プチ洪水。
毎度のことなので、あまり驚かない。やむなくバス道を歩いて駅に戻る。

Mushroom booties
Danaさんの部屋に戻って、改めてキノコ鑑賞。

Mushroom cooking...
小腹がすいてきたので、調理開始。メニューはオムレツ。
ハンサム猫バブルスが手を貸そうとするが、シェフに却下される。

Mushroom omelette
出来上がり。具だくさんで実に美味しい。
しいたけの食感で、味も・香りも強くはないけれど、いい「出し」がでている。
ご馳走様でした。


あしたは、ランチを食べたピーターシャム・ナーサリーを展覧予定。









BBC番組 Antiques Roadshow (アンティークス・ロードショー)-2-

9月2日にBBC番組のアンティークス・ロードショーのヴァリュエーション・ディの話を書いて<このページ>、その当日の話がまだだった。カーディフ旅行以来、写真の処理がすこしバックログ気味・・・ようやく・・・追いついたか・・・まだかな。

このイベント、番組に関しては上記のリンクのページを参考にしてもらうとして、今日はその、大英博物館でのヴァリュエーション・ディの様子。

Antiques Roadshow - valuation day @ British Museum 02/09/10
大英博物館前の芝生が会場。

私の遊び友達、ロンドン ホメオパシー&ヒーリング通信のDanaさんを誘って出かけた。二人とも、てっきり、大英博物館のドームの被ったコートヤードが会場だと思い込んでいたら、行ってみたら博物館前の芝生が会場。いいお天気だったので、日差しがまぶしい。いつもよりはやや少ない目の人出(約2時間待ち)、といっても、あまり広い敷地ではないところに、一般の博物館ビジターもたくさんいるわけで・・・写真がごちゃごちゃしてしまい、なかなか撮りづらい。

Antiques Roadshow - valuation day @ British Museum - collage
ちょっと、コラージュで遊んでみた・・・。

Antiques Roadshow - valuation day @ British Museum
また、コラージュで「いかにも」なシーンを切り取り、つぎはぎ。

左中の写真が「受付」まず、ここへ向かって2時間近く並ぶ。ここでジャンル別のチケットをもらう(右中の写真)。紫はDanaさんの持ってきた本に。黄緑は「その他諸々」で私の持ってきたホーンのサラダ・サーヴァーと木の小箱に。右下は司会のFiona Bruce(フィオナ・ブルース)を撮影中。

Experts are working hard...
番組でおなじみのエキスパートたち。

エキスパートでも参考書は必携、近くの別のエキスパートと相談したり、たいそう忙しい。一日でいったい何百人の人と会うのだろうか。そして「これは!!」と思う出物があれば、即スタッフを呼んで撮影の手配。このヴァリュエーション・デイがイギリス各地を廻って夏の間、月に2-3回あるのだから、実にタフな仕事・・・。

And caffing...
かとおもうと、フィオナ・ブルースがアールデコ、20世紀ヴィンテージのエキスパート、
Eric Knowles(エリック・ノール)氏をからかっているし・・。みんな親しそうで和気藹々。

Fiona Bruce
フィオナ・ブルース撮影中。

延々並ぶ列の中で、写真を撮っては暇つぶし。Danaさんがお得意のパンを持ってきてくれたので、並びながら食べて・・・持参の水を飲んで・・・でもまだ並ぶ。愉快なDanaさん曰く「そりゃーもう、アンティークより、並ぶ方が好きで好きで、たまらないから来てるんですよ・・。」(爆笑)

Elick Knowles
さきほどからかわれていた、エリック・ノール氏。

Hilary Kay
ヴィンテージものを何でもこなすHilary Kay(ヒラリー・カイ)女史。

Paul Atterbury
アーツアンドクラフト、ヴィンテージ、エファメラ(印刷物)、交通関連、
こちらも守備範囲の広い、Paul Atterbury(ポール・アタビュリー)氏。
いま、鉄道マニア(風の)ファンの持ち込んだ、氏の著書「イギリスの支線」にサイン中。

Waiting to be valued...
他の人の持ち込んだものも、あれこれ観察。

noriko.sturdust brought her book
最初にたどり着いたDanaさんの本のエキスパート。

本と写本のエキスパートは、本来なら左のClive Farahar(クリーヴ・ファラハー)氏。ところが、Danaさんのヴァリューの直前にランチタイムで、別の女性エキスパートに席を譲る。彼女は「わたし本は専門じゃないのよね・・・」といいながらも、ヴィクトリアン期のアーサー・ラッカム挿絵の「ピーター・パン」をヴァリュエーション。いくらだったか?Danaさんに聞いてください(笑)。

I brought these...
最後は私の持ち込んだもののヴァリュエーション。

ヴィンテージ、コレクターズ・アイテムのエキスパート、Marc Allum(マーク・アラム)氏に見てもらう。
真ん中は持っていったもの。上のベルギーのアンティークマーケットで買った、ホーンのサラダサーヴァーは、1920年代にフランスで大量生産されたもの。うちでは実際に使っているので、かなり痛んでもいる。いい状態のものでも、18ポンド程度とか・・・。だったら、惜しみなくどんどん使おう。
下の木箱。たしかKemptonのマーケットで、30ポンドぐらい出したと思う。あわよくばヴィクトリアン?と思っていたら・・・近年インドでアンティーク風に作られたもの・・・。蝶版がポイント、新しすぎる。そして、木の継ぎ目がまったく空いていない、これも新しい証拠だとか・・・残念だなぁ(笑)。それでも「見た目」が気に入っているからよしとしよう。

こんな風に「お宝」は証明されなかったが、いろいろなものを見て、いろいろな人を見て、楽しい一日。
興味がある方はここをチェック。今年はあと9月23日のWinchesterを残すのみだが、また来年、同じBBCのページか、あるいは変更になっていたら「Antiques Roadshow Show Information」で検索すると出てくると思う。
まずは・・・持ち込む宝探しからかな(笑)。






St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)-7-

St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)の7回目にして、最終回。

今日はこの敷地内にもともと建っていて、いまもここで農場として経営されている、Llwyn-Yr-Eos農場。
建物は1820年建造で、内装は1930年頃の設定。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
最初に出会うのは仔豚。ご機嫌そう。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
Guineafowl(ホロホロチョウ)かな?
この野外博物館では、この農場以外でも、ウェールズ原産の今ではレア(稀少種)になった家畜を、保存・飼育もしている。
この鳥も稀少のものかと・・・。

Llwyn-yr-Eos
撮影:MuseumWales@Flickr 外観。
相変わらず・・・外観を撮り忘れる私。どうやら雑貨好きのなせる業らしい・・・。Flickrから引用。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
リヴィングルーム。午後のお茶の時間。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
ダイニングルーム。保存のためもあり、かなり暗く保たれている。照明はガス灯。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
ダイニングルームの暖炉。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
ディティール。この「おかえりなさい」フラッグは1918年に第一次世界大戦が終了して、
帰還兵の家族を迎えたときのもの。1930年といえばまだ12年しかたっていない。
そしてまたすぐ、第二次世界大戦に向かっていってしまうのだが・・・。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
ディティール。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
キッチン。水道とガスは通っている。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
ウェールズの誇り、見事なドレッサー。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
キッチンのLarder(食品庫)。缶詰や卵、自家製のハムやジャムを保存する冷暗所。
フォークは平たいパン、クランペットを暖炉で焼くためのもの。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
キッチンのディーティール。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
2階の主寝室。ミシンがパワフルな足踏み式のものになっている。

Llwyn-Yr-Eos Farmstead
子供部屋。

Melin Bompren Corn Mill
農場を出て、すこし歩くと穀物用の水車小屋。

Back to London : )
帰る間際に見つけた、ロンドンまでの道標、181マイル。


あまりゆっくりはできない。もう閉館時間が近くて、カーディフ駅に戻るバスが、駐車場に入ってくる。
この後、カーディフ駅から乗り込んだ現代の列車は、ロンドンまで181マイルを、2時間7分で飛ばし、私の2泊3日のウェールズ写真旅行も終わる。人懐っこいウェールズの人達は、つっけんどんなロンドン人に慣れていると、接していてとても微笑ましい。時間が足らず見逃したものも、あちこち、数々ある。きっとまた、訪れることになると思う。
皆さんも長々と、旅のお付き合いどうもありがとう。

明日は、そろそろアンティークス・ロードショーの写真のポストプロセスができて来たので、展覧予定。





St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)-6-

St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)の6回目。

今日はRhyd-Y-Car鉄鋼労働者のコテージ。この、Cottage(コテージ)というのは小型住宅という意味なのだが、頻繁に棟続きの長屋形式(Terraced、テラス式と呼ぶ)を取っていることが多い。片側の壁材を使わなくていいので安上がりで、狭い敷地に最大限建てることができるため。特に都市部でコテージと呼ばれるのは、ほぼ間違いなくこのタイプ。ただし、田舎だと小さな一軒家でもコテージと呼ばれる。要は「労働者のための住宅」であって「お屋敷ではない」ということ。

イギリス人はこのコテージという言葉に、ノスタルジックなほのぼのとした響きを感じている。おばあちゃんが編んでくれたセーター的な・・・。なので、今でもこのような「元・安長屋」は、大人気。90年代後半以降の、イギリス全域の地価高騰もあって、1階2部屋、2階2部屋(これをtwo-up-two-downと呼ぶ)の典型的なコテージでも、日本の都市部の4LDK高級マンション並みの価格で取引される(あ、これはLondon郊外の例。この辺のウェールズの、そのまた田舎ならその半分ぐらいの価値、かな。)
ここの野外博物館には19世紀初頭に建造された、南ウェールズの6件の棟続きのコテージが移築されて、それぞれ1805、1855、1895、1925、1955、1985年の内装で保存されている。昨日の「村のよろずやさん」のほぼ隣がこのコテージで、ここも人気の展示物。私の目に付いたものをかいつまんで撮っているので、あまり系統だっていないけれど、まずは雰囲気・・・雰囲気。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
まさしく「長屋」。

下に居間兼キッチン兼ダイニングの部屋と寝室の2部屋、2階に2寝室。20世紀に入っても、トイレは屋外で、庭の一番奥に納屋のようにして建てられている場合が多い。お風呂は大きな「たらい」状のものを持ち出してきて、週に一度だけお湯を沸かし、キッチンの暖炉(か、オーヴン)の前で、まるで「行水」。うちの配偶者氏のような年配の人達は、洗面器一杯のお湯で体を洗って(というか、拭いて)生活していける。このような人達は、さすがのイギリスでも絶滅種に近いのだが、それというのも、このような環境で育っているため・・・。
現代ではこの小さな住宅を、庭に張り出して増築。そこに、キッチン・バス・トイレといった水周りの設備を集めたレイアウトが多い。2階建ての増築にして、寝室の隣の2階増築部にバス・トイレを設置したコテージは、便利なので不動産価値が高い。あ、ちょっと余談になってきたな・・・。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
コテージ通りの入り口にある共同ポンプ。建造当初は水道が各戸に通じてはいなかった。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
1805年設定の内装。この前の(シリーズ4回目)の18世紀の住宅とほぼ同じ。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
ウェールズ人ご自慢のドレッサー。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
ディティール。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
庭では生活の足しに野菜を作る。奥に見える小屋がトイレ。汲み取り式。
夜中にトイレに行きたくなったらどうするのか!?
各部屋に広口のチェンバー・ポットと呼ばれる陶器製の器あり。そこに「用を足して」朝、捨てに行く。
かなり合理的。しかし、日本人はきれい好きなので、このような習慣はなかった・・・と思う?

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
1855年設定の内装。
けして明るいとは言えない室内を、カーテンで覆って一段と暗くするのが当時の流行。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
ドレッサーも装飾的になってきている。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
ディティール。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
寝室。カーテンのことは言えない・・・。
くらい室内にテクスチャーをかけて、一段と暗くしてしまった(笑)。
水差しと洗面器。現代なら朝シャワーだが、当時は朝この一杯の水で、顔と体を拭う。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
1895年設定の内装。庶民の家にも手動式ミシンが普及。
左の暖炉にはオーヴンが組み込まれている。
つまり、まだここでもこの部屋がキッチンも兼ねているということ。
時代が下がると、キッチンは奥の寝室の部分に移動して、居間とキッチン・ダイニングが分離する。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
コックピットのようなコーナーは、暖炉も近くて暖かく快適だっただろうな。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
1925年設定の内装。第一次世界大戦の後は急速に「現代」に近づいている。こんな内装のうちは、今でもありそう。
これはキッチン・ダイニングが(この地区では)庭に増築した別棟に移動して、この部屋は純粋に「居間」となったためでもある。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
1955年設定の内装。これはその、コテージの庭に建てた別棟のキッチン・ダイニング。
Living-shed(居間小屋、とでも言うか・・・)と呼ばれ、当時この地域で流行っていたとか。
イギリスではあまり聞かない。たいてい奥の寝室がキッチン・ダイニングに改造された。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
ディーティール。

Rhyd-Y-Car Iron Workers' Houses
これは1985年設定のコテージより。
もう80年代になると、私が興味を急速に失っているのがご覧いただけるかと(笑)。
この蛇口のデザインはもともとは1920年代のもののリプロの様。
(実は我が家も80年代改装の家で、同じような20年代リプロの蛇口がついている。)
カップはエドワード7世(当時皇太子)と、アレクサンドラ妃の成婚25周年記念のコメモラ(記念品)なので、1888年のもの。
1980年代はモダンでありながらアンティーク品が流行した時代なので、こういう設定になっているのだろう。


このコテージ群は、鉄鋼労働者のためのものなのだが、19世紀当時はかなり「いい仕事」だったそうで、そのため内装も「豊かな庶民」設定になっているそうだ。

明日は、この野外博物館シリーズ、そしてウェールズ旅行の最終回。この敷地内にそもそも建っていて、いまもここで農場として経営されている、Llwyn-Yr-Eos農場を展覧予定。




St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)-5-

St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)の5回目。
今日は20世紀初頭の、村の「よろずやさん」。

1880年にWilliam Llewellyn氏が、南ウェールズのBridgend村に、この店を建造してGrocery(グローサリー、食料品店)を始める。1912年にビジネスはGwalia Storesの名の下にいくつもの業態が合体した。食料品、医薬品、日用品、荒物、パン屋さん、洋品店、鍛冶屋、飼料など・・・まるで村のスーパーマーケット。
展示されているインテリアや商品は、1920年代後半のLlwellyn氏の息子の時代のの設定で統一されている。

実際に、いまでも真ん中の店は、ジャムやお菓子を販売するショップとして使用され、2階にはカフェが入っている。この博物館で一番人気のある建物の一つ。

Gwalia Stores
外観と看板。

Gwalia Stores
店内。この展示されている商品もすべてアンティーク。

Gwalia Stores
食料品部門を反対側から。
食料品といっても缶詰、乾物品。棚の下の黒い缶は紅茶(コーヒーかな?)。
コーヒーミルがあるので、コーヒーも普及していたことが解る。

Gwalia Stores
このJacobのビスケット(というか、アメリカ、日本で言うところのクラッカー)は、
いまでも包みに入ってスーパーで売られているが、
昔はこうやって什器を提供して食料品店で売られていたのかと思うと、妙に面白い。

Gwalia Stores
レトロな食品パッケージはとてもフォトジェニック。

Gwalia Stores

Gwalia Stores
店の反対側は、薬品と日用品部門。

Gwalia Stores
このパッケージも味がある。

Gwalia Stores
怪しげな薬品だが・・・ボトルが素敵。

Gwalia Stores
インクや鉛筆。

Gwalia Stores
台所用品も揃う。

Gwalia Stores
隣の荒物屋部門。奥の階段を上がると2階は倉庫。
そこに隣のカフェ(当時は店員の住居)への入り口がある。

Gwalia Stores
2階の倉庫。

Gwalia Stores

Tailor's Shop
こちらはテーラーのウィンドウ。

Tailor's Shop
店内。

Tailor's Shop
奥の、仕立て部門。


この、展示のディティールのが楽しくて、この一角だけでも、何時間も写真撮りしそうになる・・・。
明日は、鉄鋼労働者のコテージ。 同じ間取りの棟続きのコテージが、19世紀初頭から1980年代まで時代別のインテリアで、展示されているもの。ではまた明日。



St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)-4-

St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)の4回目。
今日は17-18世紀の農家。

Abernodwydd Farmhouse
Abernodwydd Farmhouse 中部ウェールズPowys(ポウイス)1678建増の農家。
入り口を入ったリヴィングルーム兼ダイニング。写真の左側には台所を兼ねた暖炉。

Abernodwydd Farmhouse
同じ部屋のテーブル。

Abernodwydd Farmhouse
上の部屋の右隣がベッドルームで、左隣はチーズ・バター作りの部屋。
ロフト状の2階は穀物等の収納庫として使われた。

Abernodwydd Farmhouse
外観。ちょうど壁を修復中。

この建物は中部ウェールズで、石やスレートの取れる北ウェールズからは離れている。なので、木造藁葺き屋根。
建物の枠組みはオーク(樫)材で、そこにヘーゼル(ハシバミ、写真左上)の枝を編みこんでいく。どちらも北ヨーロッパに自生する木でどこででも入手しやすい。オーク材は硬くて丈夫、ヘーゼルは曲げやすいという、両方の特性を生かしている。そこに粘土を貼り付けて乾かす。その後漆喰を塗って仕上げる。
建物の下の方のパネルは雨のしぶきで濡れるため痛みやすく、ほぼ20年毎にパネルを新たに入れ替えるそうだ。上の方のパネルはもちがよくて、50年毎に入れ替えるとか。木造なので、日本の農家の建築にも相通じるものがある。

Nant Wallter Cottage. Built circa 1770
Nant Wallter Cottage 撮影:welshlady@Flickr
南ウェールズの1770年建造の農家。外観を撮っていなかったので、Flickrから引用。
これは木造ではなく、粘土と泥を混ぜ合わせたものを、何度も塗り重ねては乾かして作られている。
この手法は、比較的珍しい例だとか・・・。

Nant Wallter Cottage
入り口を入ったリヴィング・ダイニング・ルーム。

Nant Wallter Cottage
部屋の構成は上記のAbernodwydd Farmhouseとほぼ同様。
入り口を入ったところがリヴィング・ダイニングで、その奥に寝室、ロフト状の2階は倉庫。
階段はなくて、はしごで上り下りする。

Nant Wallter Cottage
テーブルの上。

Llainfadyn Cottage
Llainfadyn Cottage 撮影:MuseumWales@Flickr
北ウェールズの1762年建造の、石切場労働者の住宅。
私はどうやら・・・外観より、ディテールばかり撮る傾向があるので・・・再び外観写真はFlickrより引用。
石がふんだんに採れる、北ウェールズの典型的な建物。屋根はスレート葺き。

Llainfadyn Cottage
入り口を入ったところのリヴィング・ダイニングというのは、今までと同じ。

Llainfadyn Cottage
寝室がその奥にあるのも同じ。違うところは、ここは農家ではないので、倉庫を2階ロフト部分にとる必要がない。
なので、上の階に家族や、独身の同僚労働者を下宿人として入れている場合が多いそうだ。

Llainfadyn Cottage
当時の石切り場労働者は、危険だが、かなり賃金のいい仕事だったそうで、
高級なドレッサーには絵付けの皿が並べられている。
このようなドレッサーはウェールズの典型的な家具で、ウェルシュ・ドレッサーと呼ばれる。
今でもコテージ・カントリースタイルの、キッチンのインテリアによく使われる。

Llainfadyn Cottage
キッチンにも絵付けの食器が並ぶ。

Llainfadyn Cottage
ドレッサー上にペアで並ぶこの犬の置物は、Staffordshire dog(スタッフォードシャー犬)と呼ばれ、
イギリス中部の陶器の産地スタッフォードシャーで18世紀頃に製造されたもの。
おおとぼけな表情・・・アンティーク・スタイルのインテリアには、よく使われていて、今でも人気。
現在生産されているものもある。


この野外博物館のイメージ、まだまだ・・・続きます。明日は20世紀初頭のショップ。




St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)-3-

St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)の3回目。

今日はLlandeilo Tal-Y-Bont教会(あぁ、ウェールズ語読みには自信がない。スランディロ・タル・イ・ボントと読むのではないかな・・・)のフィーチャーしてみよう。
この教会は、ここの野外博物館で、もっとも最近移築立上げされた建造物。南ウェールズSwansea(スウォンジー)郊外から移築されたもので、もともとは13世紀に建造されたと伝えられている。その後増築・改造されて、現在の規模にいたる。移築後の壁画は、この博物館に保存されるオリジナルの壁画をもとに、イタリアからルネッサンス・フレスコ絵画修復の専門家の協力で、1520年当時と同じ技法・材料・顔料を使って再現されたもの。

Llandeilo Tal-Y-Bont Church
入り口を入ったところ。この部分は14-5世紀に増築された部分。
大きなアーチの奥が、13世紀のもともとの建物。

Llandeilo Tal-Y-Bont Church
稚拙で素朴な表現なのだけれど・・・どことなく愛嬌がある(笑)。

Llandeilo Tal-Y-Bont Church
奥のオリジナルのNave(本堂)のドア。

Llandeilo Tal-Y-Bont Church
アーチ部分から見たChancel(内陣)。
こうやって見ると・・・昨日のナナカマドの実で赤く染めた壁ではないが、
赤の顔料が多用されている。きっと一番入手しやすかったのではないかな。

Llandeilo Tal-Y-Bont Church
内陣を隔てる木製スクリーン上部の装飾。12枚のパネルには12使徒が描かれている。

Llandeilo Tal-Y-Bont Church
内陣部分。

Llandeilo Tal-Y-Bont Church
この窓の装飾壁画で、左側はこの教会の寄進者とその妻が描かれている(と、思われる・・・。)
寄進者の名を採ってGronow Chapel(グロノウ・チャペル)と呼ばれていたそうなので、
ここに描かれているのは、そのグロノウ氏だろうか?

Llandeilo Tal-Y-Bont Church
窓は小さくて、壁は厚い。
その分厚い壁を生かして、聖人や天使達が窓の両側に描かれると、
窓から差す光で、像がちょうど浮かび上がったように見える。
美しい効果。

Llandeilo Tal-Y-Bont Church
塔とともに描かれているのは、St Barbara(聖バーバラ)。

Llandeilo Tal-Y-Bont Church
Font(聖水盤)の蓋。ここにもチューダー・ローズ。

Llandeilo Tal-Y-Bont Church
外観。窓がとても小さくて、まだステンドグラスもこの地には普及してきていない。
壁画と木彫装飾のみが装飾手段だった。

Church wall
教会の周りの石壁。

Llandeilo Tal-Y-Bont Church
裏の林から教会を眺める。


博物館のギャラリーセクションに保存・展示される16世紀のオリジナル壁画をぜひ見てみたかったが、残念なことに時間が足りず、ギャラリーの方まで見て回ることができなかった。またこれも次回に持ち越し。
明日は、また農家に戻って、17-18世紀のものを展覧予定。






St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)-2-

話は、私のアトリエから飛んで、再びウェールズ。
St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)の2回目。

この野外博物館では、建物が特に時代順に並んでいるというわけではない。あちこちに、さまざまな時代の建物が点在している状態。そこを適当に足の赴くまま見て回ったので、写真の時代順はめちゃくちゃ・・・。少しぐらいは、見る人に(そして自分にも・・・)解りやすくということで、大雑把だが時代順を追って展覧してみよう。

ということになると、最初は突然古い・・・。

Celtic Village
鉄器時代のケルト人村を復元したもの。

ブリテン島の鉄器時代はおよそ紀元前8世紀から紀元前1世紀。(紀元前8世紀は青銅器時代と重なっている。)このような有史前の生活ぶりというのは、どこの国でもあまり変わりはないもの。とにかく、周囲の自然の中から手に入れることの出来る木や、石や、土を使うしかないわけで・・・、まさしく、自然の懐を借りて生活している状態。

Celtic Village
中はこんな感じ。

プライヴァシーなどという概念は、個人で家を建てられるようになってからできたもので・・・、一族郎党何家族かが一つ屋根の下で暮らす。洞窟から出てきただけでも、大進歩・・・かな?

Celtic Village
ディティール。

石があったから石を使ったわけで・・・石がなかったら、土を使っただろうな。今でもどこかのアフリカの村で、きっと同じような構造の家を建てているに違いない。人間の発想の根っこというか、人間にできることなど、いつでもどこでも同じようなものだ・・・。
屋根がわらぶきということは、すでに農耕が始まっていると解釈していい。周囲に葦が自生している地域では、それ以前から葦ぶき屋根ということはありえるが・・・。


Kennixton Farmhouse
Kennixton Farmhouse

この後、私の写真はいきなり時代が飛んで、1610年建造の農家。どうやら、16世紀初頭と中ごろの農家があるを、見逃しているようだ。
上のケルト村は、考古学的発掘に基づいて「復元」されたもの。それ以降のものは、実際に現存する(枠組みだけでも)建造物を移築、当時の時代考証に基づいて修復、そして家具・小物をコーディネートしたもの。なので、15世紀以前の建造物は、ほとんど現存しない、つまり、ここにもないということなのだ・・・。

とにかく・・・、これは南ウェールズの建物で、壁が赤く塗られているのはRowan(ミヤマナナカマド)の木の実で石灰を染めて塗ったもの。赤い色が悪霊から家を守ると信じられていたため。上の鉄器時代ケルト村の入口の木の柱も、赤く塗られていた。キリスト教の下に、なにか古代異教の意識が、連綿と繋がっているよう・・・。

Kennixton Farmhouse
入口を入ったところ。

1680年以降に増改築が進み、階段のついた2階部が追加され、リヴィングルームとダイニングルームの分離が出来た後の状態で現在保存されている。この入口のダイニングルームは1610年建造のオリジナルの部分。

Kennixton Farmhouse
台所でもある暖炉のそばの「押入れ」の中のベッド。

後出の2階にある豪華なベッドがこの農場主の部屋なら、これはさしずめ、下働きの下女が寝るところだろうか?建造当初、2階増築前はここで主が寝ていたのではないかな。多分、家中で一番暖かく、居心地のいい部屋だとおもう。

Kennixton Farmhouse
入口の横の、乳製品を作るための部屋。

Kennixton Farmhouse
パーラー。これは18世紀の状態を再現している。他の部屋より100年ぐらい後。
まだ壁紙ではなくて、ステンシルのペインティング。

Kennixton Farmhouse
ダイニングルームにもうガラスのサッシュ窓が入っている。これも18世紀。

Kennixton Farmhouse
2階の主寝室。左にあるのはゆりかご。

この寝室でも解るように、この農家は豪農。大地主様といったところだろう。同じ時代でも(もっと後の18世紀でも)小作農や一般の農夫達はもっと小さな「小屋」に住んでいた。このあと(あさってぐらいかな・・・)、18世紀後半の農家を展覧するが、この17世紀の「屋敷」よりもっともっと素朴なもの。文化は必ずしも時代を追って進むのではなく、貧富の差によって同じ時代にすんでいても「文化」が違うということ。あ、今でもそうか・・・・。

Kennixton Farmhouse
もう一つの寝室。

Kennixton Farmhouse
ディティール。
下の真ん中の木彫は入口の柱に彫られているもの。
聖人様のふりをしているが、これもどちらかといえば、古代のケルト起源のような・・・。

Kennixton Farmhous Garden and Bee Shelter
庭の風景。右は蜂の巣を雨風から守る棚。


あしたは、同じくセント・フェイガンズ博物館から、時代は少しもどって、1520年の壁画を再現した教会で、今年移築・再建造が完成したてのもののイメージを展覧予定。












次のシーズンに向けての準備

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-12 Sun 20:50:26
  • 日記
ウェールズ旅行の写真の真っ只中、今日は先日訪れたInternational Jewellery London(ロンドン国際ジュエリー・ショウ)などで仕入れた石の話。
そう、このブログは・・・建築・歴史好きの「ジュエリー・デザイナー」のブログなのであって、建築家のブログではないということを知らしめておこう(笑)。

正直なところ、近頃はあまりジュエリーの仕事をしていない。もっぱら趣味の写真(と、このブログ)で遊んでいる。毎年のことだが、8月ごろまでに秋冬物を仕上げると、後は取引先に持ち込んだり、送りをしたりという程度であまり忙しくはない。いわば、ハタカイキ(という言葉があったと思うのだけれど、相変わらずキー変換で出てこない漢字は想像もつかない・・・)。
この後12月に入ってから、また次の春夏物の製作が始まる。2月頃がたいてい忙しいピーク。ペンダントヘッドを仕上げて、チェーン部分のサンプル組みをして、下請けのFrancisに持ち込み、仕上がったものを引き上げ、写真取りして、台帳を作って、値付けをする。これを3月目標に済ませる。これとて、近頃のイギリスの不景気で、以前のようにマシンのように作り続ける・・・ことはしなくても済みそう。売れないというのも困りものだが、気分的に半分隠居な私としては、「ぼちぼち」程度がちょうどいい。

遊んでいるとはいうものの、「仕入れ」は「製作」とは別口の仕事。常に材料のストックには気を配っておく必要がある。今のシーズンは、次の春夏物の仕入れを考え始める時期。
日本で商業ベースの企画デザインを生業としていた頃は、プランニングだのトレンドだのマーケティングだのコンセプトだの、「デザイン・仕入れ」に先立ち、やたらと続くプロセスの歯車の中で回っていたが、今はまるで逆。美しく表現すると「素材との出会いのなかで、作品が形作られていく」、ぶっちゃけた言い方だと「行き当たりばったり」(笑)。商業ベースで、一型一色何百本ロットの生産をするわけではないので、「こんなものを探している」といって発注するわけではない。ただ目に付いたものを、そして気に入ったものを少しずつ分けてもらう・・・そんな感じの「仕入れ」。

9月にはいって下請けで糸通しをしてくれているFrancisが、中国の仕入れから帰ってきた。彼は石やビーズの材料の販売もしている。中国から船便で入ってくる荷物は、まだ3週間程度かかるが、手持ちで持ち帰ってきたものを見せてもらった。

New stones from Francis
中国でも品質のいいクリスタル石が生産されるようになってきた。
天下のスワロフスキー様には及ばないのは当然だが、チェコ産の型流しクリスタルよりも
この中国産マシン・カットクリスタルの方がエッジがきいていて、品質がいい。
それと、クォーツとスモーキー・クォーツのやや大きい目の、きれいなチップ。
どんなデザインにも使えるので、いつでも在庫で持っておくようにしている。

New stones from Francis
ディティール


そして、9月の初めは年に一度のIJLこと、International Jewellery London(ロンドン国際ジュエリー・ショウ)がロンドンの見本市会場ともいえる、Earl's Court(アールズ・コート)の2番館で開催される。
東京・晴海のショウやパリのジュエリー・ショウに比べると、とても小さくて(430ブース程度)、こじんまりしたショウ。イギリスではロンドンのショウよりも、2月のBirmingham(バーミンガム)のショウの方が大きい(私は一度行ったが、やはり遠いのと、イギリス名物の列車遅れで懲りた・・・)とはいえ、西ロンドンのアールズ・コートは、ほとんどご近所、毎年見に行っている。

完成品のジュエリーやアクセサリーが80%を占める。残りの20%は材料・工具・パッケージの業者。その材料屋が私の目当て。いつも仕入れている、イスラエルの業者から今年も仕入れた。昨年・一昨年と手ごろな値段で、あまり見かけない天然石ビーズを持ってきていた、インドの業者が今年は来ていないようで、ちょっとショック・・・。Never mind...

Stones from International Jewellery London
ネット上で登録すれば入場無料。適当にフォームにティックしていけば登録できる、特に業者である証明も要らない。

New stones
ニュートラルなクォーツはいつでも大歓迎。

New stones
アマゾナイト、カヤナイト、ダイ・アゲート、アメジスト。
今回はこのブルー系になにか「引っかかった」。
ターコイズ・ブルーでもなく、モンタナ(紺系の深青)・ブルーでもない不思議な青。
海と大地が入り混じったような色。とても・・・「地球」な色をしている。

New stones
そしてもっと青い石達。深い深い海のような・・・。


春物というよりは、夏物っぽいカラー展開になっている。これからまだ、ローカルな天然石フェアや、業者を訪ねては少しずつ仕入れは続く。さて、来年この子達がどんな作品になっていくのだろうか、私にもまだ解らないのだけれど・・・。

さて、明日からはCardiff(カーディフ)の歴史博物館に、話は戻る。建築話(?)にお付き合いのほど・・・。







St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)-1-

Cardiff(カーディフ)旅行の後半分の目的は、St Fagans National History Museum (セント・フェイガンズ国立歴史博物館)。1946年にプリマス伯によってカーディフ市民に寄贈されたセント・フェイガンズ城と、その広大な敷地にウェールズの歴史的な家屋を移築して造られた、野外博物館。
私が1991-2年ごろにロンドンに滞在していた時に、その当時格安だった鉄道の日帰りチケットで、ここを見に来たことがある。まるで、それぞれの時代に遡って歴史の中に溶け込んでしまうような感覚が、あまりにも面白かったので、デジタル一眼レフを持って、ぜひもう一度訪れたかった博物館。その当時は、Welsh Folk Museum(ウェールズ民族博物館)と呼ばれていたように思うが、それは通称だったのか、近年のウェールズのウェールズとしての「国家」意識でそう改名されたのか、事情は知らないが・・・。とにかく、その頃に比べて一段と建造物の数も増えてパワー・アップ、ますます面白い博物館になってきている。今回は朝から夕方まで丸一日滞在したが、まだすべて回りきれていない。コスチューム・オタクの私が、入口のメイン・ビルディング内のコスチュームの展示を見る時間がなかった・・・なんということだ・・・。またいつか、再・再度訪れることになりそうだ。

博物館は、カーディフからバスで20分程度郊外に出た、セント・フェイガンズの村にある。
鉄道カーディフ駅の向かいにある、バスターミナルから午前中に3本ほど、夕方に博物館から3本の便がある(日曜日は1時間に1本バスが走っている)。あまり、便利とはいえないが、比較的時間通りに運行している様だし、帰りは博物館の駐車場にバスが入ってくるので、地方のバスにしては解りやすい。そして、ウェールズ人はイギリス人よりはるかに親切なので(笑)、もし何か解らなくても誰か教えてくれる、きっと。
丁寧な行き方を書いてくれているブログを見つけたので・・・無精者の私はリンクを張ってお任せ・・・。<このページ> (最新更新事項:カーディフ、バス・ターミナルは「D」ベイから発車。バスは現在はメイン・ビルディング前の駐車場に入ってくる。)
バスのタイムテーブルはこちら 320番 32番
そう、この標本箱のとりえは・・・ヴィジュアルだった。写真いきます。

St Fagans National History Museum map
博物館の地図。

あまり、美しいともいえない写真が出だしなのだが、まず、どんな規模のものかをご覧頂きたし。入口にある地図のボード。昨日(カーディフ城を訪れた日)の大雨で、どこもずぶ濡れ。

St Fagans Castle garden
セント・フェイガンズ城の庭。上の地図でいうと右側。
メイン・ビルディングを出て右手のルートを取り、地下道を越えたところから、城の敷地が始まる。
前回こちら側を見る時間が全くなかったので、今回はこのお城側からタックルすることにした。

St Fagans Castle
左手に少し見えているのが城。城(Castle)と呼ばれるが、まあ「大屋敷」ということ。
戦いや防御のためのものではなく、もっと後年の(1580年建造)住むためのもの。
あいにく朝一番に向かったため、まだ城の内部が開いていなかった。また次回に持ち越し・・・。
それでも、まだまだ見るところが圧している・・・どんどん進む。

St Fagans Castle garden
雨上がりの薔薇のトレリス。

St Fagans Castle garden
イタリア式庭園に合わせて、彫像もイタリアン・バロック風。

St Fagans Castle
城の裏手の成形(漢字不明)式庭園。

St Fagans Castle - courtyard
城のコートヤード。

St Fagans Castle garden
自然式庭園。

After the rain
雨上がりもなかなかフォトジェニック。ガラスビーズを振り撒いた様に輝く。

Woollen Mill
庭園の先に石造りの建物が現れる。これは羊毛織りのための水車小屋。
水路が下に走っていて、水車は建物の地下部分にある。外からは見えない。

Woollen Mill
水車小屋の内部。水力で羊毛を紡いで糸にする。
建物自体は18世紀中ごろ建造で、この水力機械システムは19世紀のもの。

Woollen Mill
アンティークなマシン・・・。

Woollen Mill
ここではもう糸により上げられている。

Woollen Mill
隣の部屋には機織機。日曜日には実演をやっていることもある。

Walk
林の中のような小道をたどって・・・野外博物館のメインの敷地に向かう。
自然に囲まれて、ハイキング気分。


まだまだ、果てしなく・・・続く、なのだけれど、明日は一度アトリエに話は戻って、最近入手したカット石やら天然石ビーズの展覧。友人曰く「建築家のブログかと思った・・・。」そうなので(確かに、言えてる・・・笑)ジュエリー・デザイナーの部分をお披露目。そしてまた・・・話をウェールズに戻す予定。











William Burges(ウィリアム・バージェス)のデザイン

今日は昨日までのカーディフ城の「おまけ」で、William Burges(ウィリアム・バージェス)のデザインした家具や小物を、ミュージアムから。そして、今回の旅行では回りきれなかったCastle Coch(コーフ城)のイメージをFlickrから集めてみた。

Cabinet - William Burges - collage
キャビネット、カーディフ国立博物館所蔵

Cabinet - William Burges, 1858
キャビネット、V&A所蔵

Cabinet - William Burges, 1858 - collage
その、ディーティール。

Washstand - William Burges, 1880
洗面台、V&A所蔵

Washstand - William Burges, 1880 - collage
その、ディーティール。自宅の客用寝室のためにデザインされたもの。
下右に当時のインテリアの写真。
バージェス自身裕福な趣味人なので、
自身のためにもっとも凝った物をデザインしたといわれる。

Decanter
デカンター、V&A所蔵

Gold cross
クロス・ペンダント、大英博物館所蔵

Castell Coch, Bed, Lady Bute's Bedroom
Neil Alan Harris@Flickr撮影 Castell Coch
今回まわれなかったコーフ城の、ビュート候婦人の寝室のベッド。

Castell Coch, Lady Bute's Bedroom
Neil Alan Harris@Flickr撮影 Castell Coch
同じくコーフ城、ビュート候婦人の寝室の洗面台。

Castell Coch, Lady Bute's Bedroom
Neil Alan Harris@Flickr撮影 Castell Coch
ビュート候婦人の寝室キャビネット。

Lady Margaret's bedroom
Neil Alan Harris@Flickr撮影 Castell Coch
レディ・マーガレット(ビュート候夫妻の娘)の寝室。
「お父様、私の家具は白にして、絵は付けないで。」とでも言われたのだろうか(笑)。


おまけの、おまけ。バージェスのデザインにはこのTHOMAS TALLIS(トーマス・タリス)の「Spem in alium」が似合うような気がするのだが・・・?











Cardiff Castle(カーディフ城)-3-

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-09 Thu 11:00:48
  • 場所
Wales(ウェールズ)旅行から、ウィリアム・バージェス設計のCardiff Castle(カーディフ城)の最終回。

The Day Nursery
ディ・ナーサリー、子供達の昼の勉強部屋。
ビュート候夫妻には娘が1人、息子が3人いた。
午前中は、ここで家庭教師について勉強する。
午後はポニーに乗ったり、魚釣りをしたり、外で遊ぶ時間に充てられた。

Ceiling in The Day Nursery
ディ・ナーサリーの天井。

Wall decoration tiles in The Day Nursery
壁の上部のタイルには、おとぎ話のシーンが描かれている。
「眠り姫」「ロビンフッド」「アラビアン・ナイト」のシ-ンが見える。
いまではもうどのような話か解らなくなってしまったものもあるとか。
左の上は「見えない姫」と呼ばれる。2本の木の間に立って、髪に木の葉の冠を被り、
鷹を手にした横顔の姫が見える・・・・だろうか?この写真では解りにくいかな。
右の下は「ジャックと豆の木」のジャックが倒した巨人の首なのだが、
息子の1人はこの絵が怖くてこの部屋が嫌いだったとか。
確かに、あまり子供向けとは思えないな(笑)。

Wall decoration in The Day Nursery
ディ・ナーサリーの暖炉上の彫刻。

Lamp shade in The Day Nursery
ランプシェードにも童謡のシーンがシルエットで描かれている。
これは「猫とヴァイオリン」、これは文句なしに可愛い。

Lord Bute's bedroom
ビュート候の寝室。
ベッドがシングルなのは、家庭内別居というわけではない。
中世マニアのビュート候は、夫婦生活も中世のしきたりに従って・・・日本で言うところの「通い婚」。
奥方の寝室に「訪問」する。
この距離感が幸いしてか、夫婦円満、家庭的なビュート候だったそうだ。

Fireplace in Lord Bute's bedroom
ビュート候の寝室。暖炉と衣装キャビネット(左)。
衣装キャビネットは、教会の「告解室」
(カトリック教会の懺悔をするための小部屋・・・漢字が正しいか私には解らない!?)
を模しているが・・・中段のパネルに蛾の模様がが彫られている。
ウールを食べる蛾に掛けた、バージェスの「遊び」。
段路上にそそり立つのは、福音書記者ヨハネ。
ビュート候の名前John(ジョン)にちなんで。

Ceiling in Lord Bute's bedroom
ビュート候の寝室。窓と天井。

Bathroom in Lord Bute's bedroom
寝室付きのバスルーム。

The Roof Garden
ルーフ・ガーデン。ビュート候の寝室の上のテラス。
そのころ発掘されたイタリアのポンペイ遺跡の中庭から、想を得たデザイン。
床のモザイクの耐水加工が痛んでいるため、現在は上に透明のプラスチック屋根が付けられている。

The Roof Garden
当時はブロンズの噴水から水があふれ、
地中海から取り寄せたエキゾティクな植物が、プロンズの鉢にに植え込まれていた。

The Roof Garden
幼児キリストとマリア像。
敬虔なカトリックだったビュート候のライフスタイルを反映して、
このルーフガーデンのみならず、屋敷内のインテリアは宗教的モチーフも多い。


これだけ、贅を尽くして、熱意を注いで、建造されたカーディフ城だが、ビュート候にとっては各地にいくつも散らばる屋敷の一つにしかすぎない。ここに滞在するのは年に数週間だけだった。
ビュート候の子息、4代目ビュート候亡き後の1947年には、一族の経済的背景の石炭産業の衰退も絡んで、この城はカーディフ市に贈与されろこととなった。
そのおかげで・・・現在城はは市民のみならず、我々のような世界中からの訪問者の目を楽しませているというわけだ。







Cardiff Castle(カーディフ城)-2-

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-08 Wed 10:16:28
  • 場所
Wales(ウェールズ)旅行から、ウィリアム・バージェス設計のCardiff Castle(カーディフ城)の2回目。

昨日はバンケティング・ホールまでしかたどり着いていなかった・・・。先は長いので、イメージでどんどん飛ばすことにする・・・。

The Small Dining Room
小ダイニング・ホール。ビュート候の家族だけでの食事は、この部屋でとられた。
テーブルは、中心部の板が取り外せる構造なのだが、真ん中に穴も開いている。
テーブルの下の台座に葡萄の鉢を置いて、この穴から葡萄の木が出るように配置して、
食後、まだ木に生えている新鮮な葡萄をデザートとしたそうだ。

The Small Dining Room
暖炉の上の装飾部分の天使たち。
何を相談しているのやら?衣装の装飾が見事。

The Small Dining Room
天井部。やはり安土・桃山かな(笑)?

The Library
図書室。ビュート候は熱心な読書家で、何ヶ国語にも堪能だったとか。
当時はこの書架も蔵書で満杯だったことだろう。

The Library
中世好きのビュート候だが、当時の最先端テクノロジーの採用にも余念がない。
机の下には、セントラルヒーティングのラジエターが仕込まれている。
アーチの奥にドローイング・ルームが見える。
ここは建築家バージェスの死去で、改装が完成せず18世紀の先代のインテリアのままで残された。
ビュート候の奥方は実はシンプルなこのドローイング・ルームが一番のお気に入りだったとか・・・。


The Library
暖炉上部の装飾。図書室の内装のテーマは言語と文芸。
左からギリシャ語、アッシリア語、ヘブライ語、エジプト語(ヒエログリフ)、ルーネ語を表す彫像達。

The Library
壁面には小さな天使たちが描かれているが・・・

Wall-painting in The Library
それぞれビュート候の愛読する詩人・作家の名を掲げている。
これは古代ギリシャの詩人、ホメロス。

The Library
出窓に立つ彫像はビュート候。

Details - The Library
動物好きの候のために、まるで自然史博物館のような動物モチーフがいろいろ。

Details in The Library
家具の金具や、木目込み象嵌の書棚のサイド・パネル。
真ん中は、使用人を呼ぶためのベル。何一つ既成品は使われていない。

Details - The Library
紋章のコーニス装飾。
真ん中のポウイスに、Paw(ポウ)=獣の手が紋章というのは、駄洒落っぽくて笑える・・・。

The Smoking Room
スモーキング・ルーム。
スモーキング・ルームというのは、当時の晩餐の後、紳士諸氏が、
タバコをふかしながら男同士の話で盛り上がる・・・ための部屋。
ご婦人方はというと、昨日展覧した「アラブ・ルーム」の方ででお茶を飲みながら、
これまた「女だけの話」で盛り上がる。合理的(?)ともいえるシステム。

The Smoking Room
スモーキング・ルームの窓。


明日は子供達の部屋と、寝室。これがやっぱり・・・派手(笑)。









Cardiff Castle(カーディフ城)-1-

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-07 Tue 09:55:32
  • 場所
今回のウェールズ旅行の目的の半分はこのCardiff Castle(カーディフ城)。

もともとは11世紀ノルマン朝内乱期にグロスター伯ロバートの築いた城で、今でもその城郭は敷地内に残っている。
しかし、それよりもこの城は、19世紀ゴシック・リヴァイヴァル建築家のウィリアム・バージェスの代表作として知られている。
ウィリアム・バージェス(1796–1886)は、ウィリアム・モリス達より一世代ほど年長で、「モリス一家」の画家ロセッティと面識はあったようだが、製作活動としての接点はまるでない。モリスがどちらかといえば「みんなでやろうぜ」気質なら、バージェスはあくまでも単独プレーヤー。中世の幻想の中に生きていて、現実の時代とは係わり合いを持たない「エキセントリック(奇人)」。中世コスチュームを着て仕事をしていたり、生涯独身で家族生活には興味がない。私などは、とても共鳴してしまう(笑)。
裕福なエンジニアの息子として生まれて(モリスも典型的な中流のバックグラウンドだが、それ以上の・・・)、生活のために仕事をする必要はまったくない。あくまでも自分の理想探求の手段として建築を選んだ・・・といってもいいだろう。
その彼が1865年に、このカーディフ城の若き当主Lord Bute(ビュート候)と出会う。このビュート候は、領地から石炭が産出した・・・いまならさしずめアラブ首長国連邦の王子とでもいったところ・・・底なしの潤沢な資金を有している。その上、バージェスと同じく中世の夢想の中に生きている。これではまるでソウル・メイトだ・・・(笑)。その2人がその後20年にわたって、ここカーディフ城とCastle Coch(コーフ城)を、彼らの「理想宮」に作り上げていくことになる。
前置きはこれぐらいで、イメージに入ろう。

Castle in rain
右手に中世の城郭が建つ。正面が18世紀建造の屋敷。
19世紀中に、ビュート候とバージェスによって大改装されたのはこの建物。
訪れた日はあいにく大雨。とてもゴシックな雰囲気をかもし出してしまった・・・。

Entrance Hall
入口ホール。ここのステンドグラスは美しいが、まだ「地味」な造り。

Stained glass in Entrance Hall
入口ホールのステンドグラス。

Stained glass in Entrance Hall
入口ホールのステンドグラス、ディーティール。
イギリス歴代の王と女王がモチーフ。ヘンリー7世やリチャード3世がいる。

The Arab Room
順路に従っていくと、次はアラブ・ルームと呼ばれる部屋。

実際にはアラブというより、トルコの建築様式の影響を強く受けている。アラブ様式はタイル中心だが、トルコ様式はここのように木製装飾を多用する。実際、バ-ジェスは中世デザインのルーツは中近東にあるとして、何度も研究に訪れている。中近東、正確にはイスタンブールはビザンティン文化の中心であり、そのビザンティン文化がしだいにヨーロッパに伝播していったものが、中世ヨーロッパ文化。なので、彼の理解はとても的を得てたということになる。

The Arab Room
暖炉上部の装飾。
この大理石パネルに建築家バージェスと施主ビュート候の名とともに1871年の完成年が記されている。
全屋敷の装飾の中で、彼らの名前を記述してあるのは、このパネルだけだそうだ。

The Arab Room
日本人は豊臣秀吉を連想するかな・・・!?

The Arab Room
床は大理石象嵌。

The Banqueting Hall
次はバンケティング・ホール。
この屋敷の中で一番広い部屋で、中世の大ホールをイメージして、
もともとあった7寝室をぶち抜いて作られたとか。

The Banqueting Hall
同じバンケティング・ホールを反対から見たところ。
スクリーンで仕切られた上の部分はギャラリーになっていて、ここでミュージシャンが演奏をする。
中世の城の大ホールと、同じ構成になっている。

The Banqueting Hall
暖炉の上の装飾。

馬上の騎士はこの城を12世紀に建造した、グロースター伯ロバート。中央でクラウンを被った女性は皇妃マティルダ。この部屋の装飾はすべてこの12世紀の城主の時代の、イングランド内乱の歴史。
簡単に書くと・・・ノルマン朝のヘンリー1世の死後の王位争奪戦で、王の娘マティルダ(神聖ローマ帝国皇妃、皇帝の没後アンジュー伯に嫁すが、皇妃の称号は保持していた)に相続権が約されていたにもかかわらず、貴族を掌握した王の甥スティーヴンが、先手を打ってロンドンで戴冠してしまう。そこからイギリス国内はこの両派に分かれての内乱状態になる。グロースター伯ロバートは、皇妃マティルダの腹違いの兄弟で、皇妃を何度も危機から救い第一の騎士としてスティーヴン王軍と戦った・・・という話。全然簡単ではないか・・・。
とにかく、いつの時代でも内乱というものは双方の消耗を招くだけで・・・いつかは新しい合意が生まれざるを得ない。
それが、この上部の壁画のシーン。マティルダの12歳の息子ヘンリー2世のイギリス上陸。
その後も史実上は戦乱が続くが、実際このヘンリー2世がノルマン朝に代わる、プランタジネット朝の開祖となって、イギリス文化が形成されていく。また歴史話が多いな・・・ヴィジュアルいきます。

Wallpainting in The Banqueting Hall
壁面上部の壁画は、この皇妃マティルダとスティーヴン王の抗争がテーマ。

The Banqueting Hall
これもグロスター伯が皇妃を救出するシーン。

The Banqueting Hall
ステンドグラスの出窓。

The Banqueting Hall
出窓部分の天井。中央の8枚の花びらに描かれているのは、オウム。
バージェスもビュート候もオウムが好きだったとか。
そのため、装飾のあちこちにオウムのモチーフが使われている。

Deatail
出窓部分の壁画。
これは奇妙な動物達が描かれた中世写本の飾り縁からアイディアを採っているのだが、
オウムのみならず、両者ともに動物好き。ありとあらゆる動物が顔を出す。
癇癪もちといわれるバージェスだが、独特のユーモアのセンスもあって、頻繁にモチーフで「遊んで」いる。

Staircase
バンケティング・ホールから覗いた階段部分。
ここは入れないのだが、ドアが開いていたので覗いてみた。
階段といえども・・・手の込んだことになっている。


今日はこれぐらい。また明日も・・・まだまだ続く。



Pre-Raphaelite(ラファエル前派)の絵画

今回のCardiff(カーディフ)旅行で、初日の半ば時間つぶしに訪れたCardiff National Museum(カーディフ国立博物館)で、意外な出会い。先日から引き続き展覧していた「モリス一家」とも縁の深い、19世紀末ラファエル前派の絵画を、いくつか見つけた。
以前他の博物館で撮ってきたものと合わせて、展覧してみよう。

*Wikiでは「ラファエル前派」の括りの中に,そこから影響を受けたウォーターハウス、イーヴリン・モーガン等を含めない狭義の解釈をとっているが、ここでは便宜上「同時代の影響下の画家達」という、通称的なゆるい括りをとることにする。

The Mill - Edward Burne-Jones
The Mill - Edward Burne-Jones V&A所蔵。

Pygmalion and the Image
Pygmalion and the Image - Edward Burne-Jones バーミンガム博物館所蔵
個人的には、私のお気に入りはバーン・ジョーンズ。
優美なクールともいえる人物描写と深い色合いが、同時代の画家の中でも際立っている。

Apollo and Marsyas - John Melhuish Strudwick, 1879
pollo and Marsyas - John Melhuish Strudwick カーディフ国立博物館所蔵
これは今回初めて見た絵画。バーン・ジョーンズそっくりだが、別人。
バーン・ジョーンズの教え子だそうな。
そういわれれば、師匠に比べて表情や体の線が少し硬い。

The Seeds and Fruits of English Poetry
The Seeds and Fruits of English Poetry - Ford Madox Brown アシュモリアン博物館所蔵
イギリス中世の詩人チョーサーは、中世を理想化したラファエル前派や「モリス一家」にとってはミューズでありヒーロー。
初めて英語で詩を書いたチョーサーに始まり(それ以前は支配者階級の言語フランス語で書かれていた)、
その後のイギリス詩人達にいたる、イギリス文学礼賛の絵画。

King Rene's Honeymoon - Architecture, Ford Madox Brown, 1964
King Rene's Honeymoon - Architecture, Ford Madox Brown カーディフ国立博物館所蔵
この絵は・・・もう、おなじみ。
ウイリアム・モリス達によって、家具の扉絵やステンドグラスとして何度も繰り返し使われている。

Jephthah - John Everett Millais, 1867
Jephthah - John Everett Millais カーディフ国立博物館所蔵
ラファエル前派のオリジナル中核メンバーのミレー画。
戦勝将軍のヤフザが、国に帰還して最初に出会ったものを神への生贄に捧げると誓う。
ところが、最初に出会ってしまったのは愛娘だったという・・・古代伝説にありがちな悲劇。
このように、ラファエル前派の絵画には必ずといっていいほど、ストーリー性とドラマが盛り込まれている。
これも過剰になると、感傷癖に陥ってしまうのだが・・・。

Convent Thoughts
Convent Thoughts - Charles Alston Collins アシュモリアン博物館所蔵

Beata Beatrix
Beata Beatrix - Dante Gabriel Rossetti バーミンガム博物館所蔵
イタリア・ルネッサンスの詩人ダンテの夭逝した思い人、ビアタ・ビアトリクス。
ダンテがチョーサーと並ぶ中世ルネッサンス文化人の理想の代表なら、
彼女はその理想化されたマドンナ。

Detail of "May Morning on Magdalen Tower"
May Morning on Magdalen Tower(部分)- William Holman Hunt バーミンガム博物館所蔵
ハントらしい鮮やかな色合いと、くっきりした・・・というか、くっきりし過ぎの人物描写。


Fair Rosamund - Dante Gabriel Rossetti, 1861
Fair Rosamund - Dante Gabriel Rossetti カーディフ国立博物館所蔵
「麗しのロザムンド」ヘンリー2世の愛人で、伝承上では嫉妬した王妃アリエノール・ド・アキテーヌに毒殺される。
しかし、実際の史実上では、尼僧院に引きこもり26歳で亡くなっていて・・・毒殺ではなかった。

Fair Rosamund - John William Waterhouse, 1916
Fair Rosamund - John William Waterhouse カーディフ国立博物館所蔵
これはもう1人の私の「お気に入り」ウォーターハウスの描くロザムンド。
カーテンの陰から覗いているのが、王妃アリエノール・ド・アキテーヌとか・・・。

Perseus and the Graiae - Edward Burn-Jones, 1875-78
Perseus and the Graiae - Edward Burn-Jones カーディフ国立博物館所蔵
この絵はバーン・ジョーンズなのだが・・・どの本でも見たことがない。
Flickrのバーン・ジョーンズ好きの人の間でも「始めて見た」と驚かれた作品。
木目を生かした木地に、ジエッソの浅いレリーフ、そこに金銀箔仕上げ。
構図の緊張感、収斂感、素材の対比、彫りの線のデリケートな流麗さ・・・
バーンジョーンズの作品の中でも、秀麗かつ特異な存在。
しかし初めて公開された当時は、不評を買って、バーンジョーンズはシリーズ化を断念したそうだ。
つまり、これが唯一残されたこの様式の作品・・・もったいない。

Part of Perseus and the Graiae - Edward Burn-Jones, 1875-78
Perseus and the Graiae (部分) - Edward Burn-Jones カーディフ国立博物館所蔵
あまりに美しかったので・・・クローズアップで。


ラファエル前派及び、近代以前の絵画はある意味「工芸品」であり「装飾品」。つまり空間を飾るための「美」ということに最大限の意味合いがある。空間を飾ることしなくなった時代に、美は不必要になり、美が失われた穴をコンセプトで埋め合わせたものが現代アートだと・・・個人的に解釈している(笑)。
明日からは、その「美」や「装飾性」を極端なまでに追及した(一言で言えば・・・装飾過剰の!!)William Burgesデザイン設計のカーディフ城のイメージを展覧しよう。




Cardiff (カーディフ)の街

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-05 Sun 10:41:37
  • 写真
ようやく少しづつCardiff(カーディフ)の写真のポストプロセスが出来てきた。
この旅行の目的は、William Burges(ウィリアム・バージェス)が設計デザインしたカーディフ城と、ウェールズの古い農家やコテージを野外の広大な敷地に移築したSt Fagans National History Museum(セント・フェイガンス国立歴史博物館)なのだが、今日はまずカーディフの街並みから。

南ウェールズにあるカーディフは、ウェールズの首都。ブリテンとかU.K.(連合王国)というと、もちろんウェールズも含まれるわけだが、ウェールズで間違ってもここを「イングランド」と呼んではいけない・・・。別の国と皆さん思っている、「イングランドではない。」と訂正されるのが目に見えている。
言葉も違う、ウエールズ語。これはアイルランド語に近いケルト語の一分派。一時は衰退して誰もが英語を話していたそうだが、ここ何十年か復興に力を入れていて、学校では英語とウェールズ語の両方で学習するようだ。今回訪れた感じでは住んでいる人は皆バイリンガル。家族や友達と話す時はウェールズ語、イギリス人や外国人には英語という風に使い分けている。
通りの表記はもちろん、ミュージアムの表記などすべてウェールズ語と英語が併記されている。

街自体は、行ってはじめて知ったのだが「アーケードの街」。19世紀ヴィクトリアン、20世紀初期のエドワーディアンのノスタルジックなアーケードが今でも残っている。それと同時に2000年以降の再開発にも熱意と財力をそそいでいるようで・・フットボール・スタジアムやら、ショッピングセンターやら、ウォーターフロント開発が進んでいる。いまでも街中は、のきなみ工事中。
しかし・・・いつものごとく天邪鬼の私は、世界スタンダードの最新の街並みに興味はない。おのずと・・・いまや見捨てられたようになっている、旧ハイストリートあたりの写真を撮ってまわった。

Old buildings - Crdiff
St Mary Street 鉄道駅の近くのこのあたりは寂れている。
建物自体は、19世紀末から20世紀初頭の、このあたりが華やかだった時代の面影を偲ばせる。

Old buildings - Crdiff
それでも・・・出窓は美しい・・・。

Old buildings - Crdiff
同じ通りの向かい側。もともとはコンサートホール、その後ゲームセンターかカジノになった様。
そしてレストランも入っていたようだが・・・いまはすべて潰れて、閉められている。

Old buildings - Crdiff
これも同じ通り。ゴシック・リヴァイヴァルの建物。
美しいのに、もはやあまり手入れはされていない。

Arcade - Cardiff
カーディフ名物アーケード。
意外とイギリスにはアーケードがない、あるいは、残っていない。
ロンドンでも知っているのは4箇所程度。なので、アーケードを見ると珍しがってしまう。

Arcade - Cardiff
また別のアーケード。銀板写真風に加工してみた。
このようなアーケードに残されている店は、昔風の個人商店の文房具やさんとか、
年配向けブティック、ガラクタを売る店やら、古本屋やら。
中にはカフェ、レストランに「世代交代」できた店もある。

Arcade - Cardiff
ライトと石畳がステキだと思うのだが・・・?

Arcade - Cardiff
ノスタルジックな雰囲気が漂う。

Arcade - Cardiff
これが「アーケードの女王」と呼んでもいい、Castle Arcade。
ちょうどカーディフ城の向かいに入り口がある。
三階建てで、二階部分が吹き抜けのギャラリーになっている。
Open当初の19世紀末期の華やかさが偲ばれる。

Arcade - Cardiff
壁が合わせ鏡状になっていて、どこまでも続くかのように見える。

Cardiff Market
ここはCardiff Market。屋内の食料品と日用品のマーケット。

Barber
昔ながらの「床屋さん」。マーケット2階のギャラリー部にて。

Cafe
これも・・・いまどき見ないような、昔風のカフェ。同じくマーケット2階。

Clock in the Market
マーケット入り口のレトロな時計。

Stature - Cardiff Angel
国立博物館と市庁舎の間に立つモニュメント。
翼と布の表現がそれはそれは美しい・・・。

Back from Cardiff
最後に・・・ウエールズの「国旗」、緑と白地に赤ドラゴン。


明日はまず、カーディフ国立博物館でいくつかラファエル前派の絵画を撮ってきたので、それらから展覧してみよう。






Greenwich(グリニッジ)、Londonの街

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-04 Sat 11:43:53
  • 場所
アンティークス・ロードショーのヴァリュエーション・デーに参加するべく、カメラ持参でGrrnwich(グリニッジ)へ向かった。その時に撮った写真から・・・。(本当はロードショーの標本箱に引き続き、昨日載せるはずだったのだが・・・順番を間違えて公開してしまった・・・)。

グリニッジは「グリニッジ標準時」の言葉の語源となった天文台で有名。天文台の下にはパークが広がり、そのまた下のテムズ川沿いにはThe Old Royal Naval College(旧海軍大学、と直訳してあっているのかどうかよく知らないが・・・)が広がる。17世紀末から18世紀初頭にかけて、Christopher Wrenが建造した建物は壮大で、世界遺産にも入っているとか。(上記のリンクのパノラマ写真は圧巻。)

その日は天文台までは登らなかったが、Naval Collegeの建物を中心に撮ってみた。

The Old Royal Naval College, Greenwich, London 01/10/09
列になって延々と並ぶ合間に、退屈して写真撮り。
Naval Collageの屋根をテクスチャー加工。

The Old Royal Naval College, Greenwich, London - collage
柱の間から覗いたところをコラージュ。

The Painted Hall
ヴァリュエーション・デーの催されたPainted Hall。

The Painted Hall
Painted Hallの天井に描かれる、ウィリアム王とメアリー女王。
この部分は18世紀半ばの完成。とてもバロックな様式。

Through the window, The Painted Hall
窓から外を眺める。

The Painted Hall
ドーム部の天井画。

The Painted Hall
窓からさす光。

Greenwich
ヴァリュエーション・デーが終わるともう夕方。
川沿いの道を駅に向かって歩く。

Greenwich 01/10/09
グリニッジの街並み。

Greenwich
川沿いの遊歩道に夕日。

Greenwich
川向こうのIsland Gardens(アイランド・ガーデンズ)に続く地下道の入り口ドーム。


楽しい一日の終わり。





ハンプトン・コート・パレス(Hampton Court Palace) -2-

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-03 Fri 11:24:19
  • 場所
先月Hampton Court(ハンプトンコート・パレス)の案内の標本箱を作成した。<このページ> 
しかし何しろ近所で、その上年間会員になってしまい、一年間何度でもタダで入れる。また写真が溜まったので、パレスの第二弾。今回は前回詰め込まなかった、17世紀の「新宮殿」のイメージを中心に・・・。

Window in William III and Mary II's apartment
William III's Apartments(ウィリアム3世の居室)の窓。
古い手流しで作ったガラスを見ると、ついつい写真を撮ってしまう。

Table display in William III and Mary II's apartment
ウィリアム3世の居室、キャビネットの上のディスプレイ。当時、チューリップはトレンディな花の代表。
17世紀前半には、チューリップ球根の投機バブルと、バブルの崩壊が起きているが、
ウィリアム3世が「名誉革命」でイギリス入りした1688年頃には、それももう昔の話・・・。

Mary II's Apartments - top light
Mary II's Apartments (メアリー2世の居室)天井の明かり窓。

Mary II's Apartments
メアリー2世の居室、バスルーム、というか・・・行水用の部屋。

Mary II's Apartments
メアリー2世の居室、化粧台。

Mary II's Apartments
メアリー2世の居室、ベッドのキャノピー(天蓋)部の装飾。

Mary II's Apartments
メアリー2世の居室、ティーセット。
紅茶が上流階級に普及し始めた時代。
カップ・アンド・ソーサーのカップにまだ取っ手がついていない。

Mary II's Apartments
メアリー2世の居室、シャンデリアを映すミラー。

Mary II's Apartments
メアリー2世の居室、ギャラリー。

Gate
Privy Garden(プリヴィ・ガーデン)のフェンスの装飾。

Garden
8月の庭は花盛り。

Rose after a shower
通り雨の後の薔薇。
バラ園の薔薇はもう少し、シーズンが終わっている。秋に少し咲き戻す種もあり。


これが最後とは思えない・・・多分、第3弾、第4弾と続くような気がしないでもない・・・お付き合いのほど、よろしく。




BBC番組 Antiques Roadshow (アンティークス・ロードショー)-1-

この記事をUPしたらすぐに、今日は出かける予定。行き先は大英博物館。「あーまた、収蔵物の写真撮り」と思うでしょう(笑)? 今日は少し趣向が違う。アンティークス・ロードショーのヴァリュエーション・ディに参加する。

アンティークス・ロードショーというのは、イギリスBBC(日本で言うNHK)の番組で、テレビを一切視ない(というか、時間と「視る気」を合わせることが難しい)私が、唯一視ている番組。近頃はPCにダウンロードして、その後1週間の間だけ、いつでも好きな時に視ることができるので、私にはとても都合がいい。

どんな番組かというと・・・視聴者がそれぞれアンティークやら、ヴィンテージやら、ジャンクやら(御本人は「お宝」と信じていること多し)をこのイベントにもちこみ、それを各ジャンルの「エキスパート」と呼ばれる専門家が鑑定してくれる、というもの。面白いネタならば、即その場で収録される。収録されたものは、その後の編集を経て放映されるので、必ずTVに映るとは限らないし、収録された人にもいつ放映になるかというのは知らされない。まあ、それも「お楽しみ」の一部。
収録は3月頃から始まり10月ごろにまでほとんど毎週、イギリス各地を巡回して催される。庭園等の庭にテントを立てての場合が多いので、やはり天気のいい夏のイベント。放映は逆に大体9月頃からで、秋冬の日曜日8時ごろからということになっている。(これも、イギリスは日本より少し「ゆるい」スケジュール設定)
この番組が始まったのが1977年からで、当初はあまり期待もされていない番組だったそうだが、イギリス人の「モノ好き」ぶりにフィットしたようで、大ヒット・ロングセラー番組となってしまう。「モノ」が主役なのだが、それにまつわるドラマあり・・・特に視聴者が「期待」しているのは、昔カーブーツ(フリーマーケットみたいなもの)で100円程度で買ったものが、じつは17世紀の壷で・・・国宝級のもの、時価XX千万円!!などと告げられたオーナーが、卒倒寸前・・・的ドラマ。まあ、これは極端な例だが、多かれ少なかれこのような出来事が、毎週放映されるものだから、「山師」気質のイギリス人を煽ることこの上なし。日本で「お宝鑑定団」とかいう番組があったと聞いたことがあるが、そのイギリス本家版がこれ。
我が家がご大層なアンティークを持っているとは思えないが、このイベントに参加するためには「何か」持参する必要がある。毎回情けないものを掘り出してきては持参するのだが、値打ちがあったためしはない。ただ、番組のファン、そして常連エキスパート達のファンなのでロンドン近郊ならのきなみ参加、参加することに意義はあるのだ。
今日写真撮りできれば、また後日アップすることにして、まずは以前参加したときに撮った写真を展覧してみよう。

Antiques Roadshow in Dulwich Picture Gallery 19/06/08
2008年6月London, Dulwich Picture Gallery(ロンドン、ダリッジ美術館)収録の時。

これは南ロンドンのダリッジの美術館の中庭で催された時。写真右端の入り口が列の一番後ろ。そこから並んで、列はギャラリーの中をどんどん続き(収録の日はこのような会場に無料で入れるのも魅力の一つ)、ちょうど樹の後ろ建物の中心出入り口にある受付カウンターまで延々続く。ここまでたどり着くのに、経験上・・・早くて2時間、遅いと3時間並ぶ。ここで持ってきたものを見せると、受付の係員がてきぱきとジャンルに分けて、それぞれのチケットを手渡す。

Tickets for each queue
私のもらった「陶芸品」と「その他諸々」のチケット。

私の持ち込んだイタリアの焼き物の皿は、もちろん「陶芸品」で、配偶者氏が持ってきた、鉄のアーツアンドクラフトのキャンドルスタンドは「その他諸々」に回された。「その他諸々」をその日担当していたPaul Atterbury(ポール・アトブリー)氏が一番アーツアンドクラフトに詳しいというのが、最大の理由。
この後、再びジャンルごとの列に並ぶ。これは最初受付に至る列よりはずいぶん短いが、それでも、だいたい20-30分。

Paul Atterbury examines our candlesticks 19/06/08
Paul Atterbury(ポール・アトブリー)氏が我が家のキャンドルスタンドを鑑定。

皿の方は50-60年代のもので値打ちはほとんどなし「でも、好きだったらいいじゃないですか」とエキスパートは必ず最後は「持ち上げて」くれる。
キャンドルスタンドの方は意外なヒットで、300ポンド。もともと4脚会ったものを、配偶者氏と弟氏で2脚ずつに分けたが、4脚そろっていたら300ポンドx4とはならず、もっと値打ちは出て1500ポンドぐらいになるとか・・・。弟氏と揉めなければいいが(笑)。

Antiques Roadshow Valuation Day @ Brookland Museum 31/05/09
2009年6月Brookland Museum(ブルックランド交通博物館)収録の時。

中段右に「受付」が見える、そこに至るまでこのときもまた列・・・また列(左下)。
青天に翻るAR旗はアンティークス・ロードショーの「紋章」。

Fiona Bruce and a vintage car
2008年に前任のMichael Aspel(マイケル・アスペル)氏から司会を引き継いだ、
Fiona Bruce(フィオナ・ブルース)女史。

BBCニュースキャスターの「コワモテ」姐さん、異色の抜擢だったが、この番組ではいつでもリラックスして楽しんでいる感じがほほえましい。これは、番組のラスト、彼女が交通博物館のクラッシックカーに乗って、颯爽と去っていく・・・というシーンの収録。

Our Quimper collection is valued
質より量・・・ウチのQuimper(カンペール、北フランス・ブリタニー製の焼き物)コレクションを持ち込んだが・・・
結果はご想像に任せる(笑)。
エキスパート氏が左手に持っている、これはスペイン製20世紀初頭のボウル。これが一番値打ちがあって100ポンド位。

Victorian bracelet -- the Queen herself presented these to members of the public
ヴィクトリア女王下賜のブレスレット。

こんな立派なものは、もちろん我々が持ち込んだのではない。ある女性が昔,道でこれを拾って、警察に届けたが、何ヶ月か後に持ち主が現れなかったため、彼女のものとなったというラッキーな話。エキスパートの鑑定は19世紀にヴィクトリア女王が、側近にプレゼントした、彼女の髪の毛入りの(コンパートメントの蓋が裏面に見える)ゴールドのブレスレットで、評価額4000-6000ポンドというもの。
ストーリーもさることながら、実はこの収録の時に配偶者氏と私はオーナーの後ろで見物していた。「ふーん」と頷いたり「ほほぅ」などと驚いてているのが全部映っていて・・・全イングランドに放映されてしまった(笑)。視ていた知り合いはけっこういるもので・・・しばらく、ずいぶん笑われた。

Antiques Roadshow Valuation Day !!
2009年10月The Old Royal Naval College, Greenwich
(ロンドン、グリニッジ旧海軍大学・・・と訳すのかな?)収録の時。

ここの会場は室内。右上の写真のように・・・壮大な建物の端から端までの列。私が立っているのは中間折り返し地点。この日は最高の人手で3時間越しで並んだ。途中左側にお茶やスナックを売るスタンド有。必要不可欠。

Filming opera glasses collection
オペラグラスのコレクションを収録中

Experts are working hard!! 01/10/09
陶磁器担当デスク:手前からJohn Axford(ジョン・アシュフォード)氏,
David Battie(デヴィット・バティ)氏, Lars Tharp(ラース・サープ)氏

Our wooden small stool was valued by Eric Knowles 01/10/09
配偶者氏の木製の小さなスツールを評価する、Eric Knowles(エリック・ノールス)氏。
いつも愉快な氏の話術を楽しんでいたら・・・どんな評価だったのか覚えてない・・・(笑)。


いままで、この3回以外にも、カメラを持たずにあと2回参加している。何時間も並ぶとはいえ・・・その途中、前後に並んでいる人達と、持参のアンティークを見せ合ったりして、素人裏ヴァリュエーション・デーとなったりもする。
今回もまた、きっと楽しい日になるに違いない。







白亜の人々-大理石彫刻達

  • Posted by: Kotomicreations
  • 2010-09-01 Wed 11:29:11
  • 写真
私はどちらかと言えば、「人好き」より「物好き」。「物」と対話して、その「物」の個性を引き出してやるのが、仕事でもあり趣味でもある。
そんなわけで、写真も「物撮り」が好き。特に、ヨーロッパでよく見かける大理石や石の彫刻像の写真は、いくら撮っても撮り飽きない。 物言わぬ彫像に感情を持たせてみたくなる、一種のピグマリオン写真。 時たま彼らは本当に感情を見せ始める、観察する側がその気で見ていたら・・・。
なので、今日は私の余計なお喋りは割愛、彼らの話に耳を傾けて欲しい ―――

Statue
Oxford, Ashmolean Museum所蔵

Relief
Oxford, Ashmolean Museum所蔵

Busts
Oxford, Ashmolean Museum所蔵

Busts
Oxford, Ashmolean Museum所蔵

Statues - collage
Oxford, Ashmolean Museum所蔵

Stature
V&A所蔵

Statue - Ganymedes ?
Oxford, Ashmolean Museum所蔵

Stone head - collage
Oxford, Ashmolean Museum所蔵

Musee Gustave Moreau
Paris, Musee Gustave Moreau所蔵

Stature
V&A所蔵



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