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2013年03月 Archive
St. Dunstan-in-the-West(聖ダンスタン)教会-London
- 2013-03-30 Sat 10:00:00
- 場所
今回は、昨年撮ったイメージで、ロンドンの法曹街Fleet Street(フリート・ストリート)にある聖ダンスタン教会。
正式には、The Guild Church of St Dunstan-in-the-West(組合教会、西の聖ダンスタン)ということになる。
このGuild Church(組合教会)という意味はよく知らないが、20世紀中ごろの信徒住民の減少で、信仰の場としてだけでは機能が成り立たなくなった教会に、コミュニティー・センターやら、コンサートホールやら、多機能を付け加えて、存続していけるようにした・・・その教会のこと、とかいう話。(特にGuild Churchと呼ばれていなくても、現在生き残っている教会は、すべてそうだと思うんだけれどな・・・・。)
これと関連しているのかどうかは定かでないけれど、ここの教会が「異色」なのは、アングリカン(英国教会)の教会と、ルーマニア・オーソドックス(正教)の教会を兼ねていること。
火曜日のランチタイムが、アングリカンの礼拝で、週末はルーマニア・コミュニティーのための、オーソドックス礼拝が執り行われている。
教会としての歴史は10世紀にもさかのぼり、現在の建物は19世紀に再建されたものだけれど、16-17世紀の彫像が残っていたりして、ロンドンど真ん中の少し不思議な歴史スポット。まずは、イメージで。

まずは外観。前は車通りの激しいフリート・ストリート。
現在の建物は19世紀にJohn Shaw卿の設計で再建築された。
オリジナルは、現在の車道のあたりに建っていたそうだが、
19世紀にフリート・ストリートの交通渋滞を緩和するべく、
車道が拡張された折に、取り壊されてしまった。
前に見えている時計が、17世紀のロンドン最古の公共の場の時計だとか。
この話は、また後ほど。

中に入ると、正面の比較的シンプルな祭壇がアングリカン用。
そう、アングリカンは一応プロテスタント(新教)なので、カトリックに比べると装飾は控えめ。
(つまらない、ともいう・・・笑)。
その、向かって左手にあるのが、ルーマニア・オーソドックスの祭壇。
オーソドックスは、カトリック以上にビザンティン様式が残っていて、
私的にはなんともいえず、懐かしい感じがするのだった。

で、つい撮影にチカラが入る。

オーソドックスの教会にはどこでも、
びっしり聖人さん達で埋め尽くされたパネリング(イコノスタシス)がある。
ロシア正教の場合、それがすなわちアイコンであったりして、実に美しい。
ここの場合、木彫装飾がとても美しい。
本家ルーマニア、ブカレストで制作で、Antim(アンティム)修道院から招聘されたものなのだとか。

しつこく、アップで。

壁には墓標が並ぶ。これは(誰だか知らないけど・・・)18世紀のもの。

これも、いかにも18世紀の天使。

Pulpit(講壇)のパネリング。17世紀フレミッシュのもの。

これも墓標で、18世紀後半にテムズ川で溺死した学生・・・か何かそんな背景だったと思う。
去年読んだので詳しくは覚えていないけれど、
とてもデリーケートにリアルな彫像で、本当にただ眠っているだけのよう。

教会の外にでて、ここの教会で一番知られているのがこの時計。
1671年に旧教会に設置されたもの。
教会が1666年のロンドン大火から逃れたことを記念して、設置されたものと考えられている。

実はこの時計、チャイミング(時報を知らせる)時計で、
奥に建っている巨人2人が棍棒で鐘を殴る・・・という代物。
この巨人はGog(ゴグ)と Magog(マゴグ)と呼ばれ、旧約聖書やコーランにも現れる巨人族。
聖書では悪役なのだけれど、ロンドン市、ロンドン市長の守護神的にみなされてもいて、
なので、ここにも現れている。

その時計の右側、少し入りこんだ敷地に中に、エリザベス1世の彫像が立っている。
もともとは、この土地に建っていたLudgate
(ラドゲート=ローマ時代以来18世紀まで残されていた、
London Wall=ロンドン壁の7つの門のひとつ)
に設置されていたもの。
1586年制作で、エリザベス1世生存中に制作された彫像で、唯一現存するもの。

アップで。

その彫刻のちょうど下のあたり、薄暗く入り組んだところに建つラド王と2人の王子の像。
その後の汚染から、不気味・汚なっこいことになっているけれど、
これもエリザベス1世像と同時期、16世紀のものと考えられている。
Ludgate(ラドゲート)の語源は、このローマン・ブリテン以前の伝説上のブリタニア王、
ラドに由来するものなのだとか。

image by Wikipedia
最後に、1842年に描かれた、聖ダンスタン教会。
遠くに、クリストファー・レンのTemple Barが見える。
The Guild Church of St Dunstan-in-the-West
186a Fleet Street, London EC4A 2HR
地図:
View Larger Map
正式には、The Guild Church of St Dunstan-in-the-West(組合教会、西の聖ダンスタン)ということになる。
このGuild Church(組合教会)という意味はよく知らないが、20世紀中ごろの信徒住民の減少で、信仰の場としてだけでは機能が成り立たなくなった教会に、コミュニティー・センターやら、コンサートホールやら、多機能を付け加えて、存続していけるようにした・・・その教会のこと、とかいう話。(特にGuild Churchと呼ばれていなくても、現在生き残っている教会は、すべてそうだと思うんだけれどな・・・・。)
これと関連しているのかどうかは定かでないけれど、ここの教会が「異色」なのは、アングリカン(英国教会)の教会と、ルーマニア・オーソドックス(正教)の教会を兼ねていること。
火曜日のランチタイムが、アングリカンの礼拝で、週末はルーマニア・コミュニティーのための、オーソドックス礼拝が執り行われている。
教会としての歴史は10世紀にもさかのぼり、現在の建物は19世紀に再建されたものだけれど、16-17世紀の彫像が残っていたりして、ロンドンど真ん中の少し不思議な歴史スポット。まずは、イメージで。

まずは外観。前は車通りの激しいフリート・ストリート。
現在の建物は19世紀にJohn Shaw卿の設計で再建築された。
オリジナルは、現在の車道のあたりに建っていたそうだが、
19世紀にフリート・ストリートの交通渋滞を緩和するべく、
車道が拡張された折に、取り壊されてしまった。
前に見えている時計が、17世紀のロンドン最古の公共の場の時計だとか。
この話は、また後ほど。

中に入ると、正面の比較的シンプルな祭壇がアングリカン用。
そう、アングリカンは一応プロテスタント(新教)なので、カトリックに比べると装飾は控えめ。
(つまらない、ともいう・・・笑)。
その、向かって左手にあるのが、ルーマニア・オーソドックスの祭壇。
オーソドックスは、カトリック以上にビザンティン様式が残っていて、
私的にはなんともいえず、懐かしい感じがするのだった。

で、つい撮影にチカラが入る。

オーソドックスの教会にはどこでも、
びっしり聖人さん達で埋め尽くされたパネリング(イコノスタシス)がある。
ロシア正教の場合、それがすなわちアイコンであったりして、実に美しい。
ここの場合、木彫装飾がとても美しい。
本家ルーマニア、ブカレストで制作で、Antim(アンティム)修道院から招聘されたものなのだとか。

しつこく、アップで。

壁には墓標が並ぶ。これは(誰だか知らないけど・・・)18世紀のもの。

これも、いかにも18世紀の天使。

Pulpit(講壇)のパネリング。17世紀フレミッシュのもの。

これも墓標で、18世紀後半にテムズ川で溺死した学生・・・か何かそんな背景だったと思う。
去年読んだので詳しくは覚えていないけれど、
とてもデリーケートにリアルな彫像で、本当にただ眠っているだけのよう。

教会の外にでて、ここの教会で一番知られているのがこの時計。
1671年に旧教会に設置されたもの。
教会が1666年のロンドン大火から逃れたことを記念して、設置されたものと考えられている。

実はこの時計、チャイミング(時報を知らせる)時計で、
奥に建っている巨人2人が棍棒で鐘を殴る・・・という代物。
この巨人はGog(ゴグ)と Magog(マゴグ)と呼ばれ、旧約聖書やコーランにも現れる巨人族。
聖書では悪役なのだけれど、ロンドン市、ロンドン市長の守護神的にみなされてもいて、
なので、ここにも現れている。

その時計の右側、少し入りこんだ敷地に中に、エリザベス1世の彫像が立っている。
もともとは、この土地に建っていたLudgate
(ラドゲート=ローマ時代以来18世紀まで残されていた、
London Wall=ロンドン壁の7つの門のひとつ)
に設置されていたもの。
1586年制作で、エリザベス1世生存中に制作された彫像で、唯一現存するもの。

アップで。

その彫刻のちょうど下のあたり、薄暗く入り組んだところに建つラド王と2人の王子の像。
その後の汚染から、不気味・汚なっこいことになっているけれど、
これもエリザベス1世像と同時期、16世紀のものと考えられている。
Ludgate(ラドゲート)の語源は、このローマン・ブリテン以前の伝説上のブリタニア王、
ラドに由来するものなのだとか。

image by Wikipedia
最後に、1842年に描かれた、聖ダンスタン教会。
遠くに、クリストファー・レンのTemple Barが見える。
The Guild Church of St Dunstan-in-the-West
186a Fleet Street, London EC4A 2HR
地図:
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David Bowie by Masayoshi Sukita展
- 2013-03-27 Wed 10:00:00
- イベント
先日から、V&Aで70年代以降のブリティッシュ・ロックの代名詞ともなっている、Devid Bowie(デヴィッド・ボウイ)の回顧展、「David Bowie is」が催されている。
自分自身が聞いていたのは、ボウイさんの次のジェネレーション、ボウイさんや、TRexのマーク・ボラン・・・などの影響下にある、80年代のNew Romantics(ニューロマンティックス)やGoth(ゴス)、New Wave改めDark Wave系、オルタナティヴ系の音楽なので、「Ziggy Stardust」などもBauhaus(バウハウス)のカヴァー・ヴァージョンの方で知っている・・・という状態。 (あ、別に「若い」わけじゃなくて、(オルタナティヴ)ロック系の音楽を聴きはじめるのが遅かっただけなんだけれども・・・。)
ともあれ、ボウイさんが70年代を象徴するアイコン(偶像)だということは重々承知している。
ロック音楽を、ファッションやアートと融合して、「カルチャー(文化)」にまで持っていったのは、このボウイさんに他ならない(ビートルズよりもストーンズよりも、「文化度」は高いという評価)。なので、「国立文化博物館」であるV&Aが、大回顧展を催すというわけなのだった。
ちょうど、10年ぶりの新アルバム「The Next Day」の4月1日発売も予定されていて、ボウイさんファンにはなんともエキサイティングな2013年。
その「ムーブメント」の一翼を担うのが、現在Piccadillyの Snap Galleryで催されている、「David Bowie by Masayoshi Sukita展」。
これは40年以上に渡って、デヴィッド・ボウイの写真を撮り続けてきた、日本人写真家、鋤田正義氏の、アイコニックなデヴィッド・ボウイ作品の中から、「クラシック」ともいえる代表作とともに、未発表の貴重な作品が、展示販売されている展覧会。
この作品展が実現した背景には、よく撮影のお手伝いをさせてもらっている、ファッション・デザイナー・神戸真知子姐さまと、ご主人のMax氏の尽力が潜んでいる。そんな経緯で、私の方も真知子姐さま関連の、雑誌取材の撮影を担当させてもらったりして、ギャラリーに出向いていた。
今回はそのギャラリーからの、速報イメージを中心に。

まずはV&Aのイメージ。
最寄のSouth Kensington駅から、V&Aに向かう地下道に並ぶボウイさんポスター。
「David Bowie Is (デヴィッド・ボウイとは・・・)」というタイトル自体、
時代とともに変転変化を続けるボウイさんの定義を、
オーディエンス(受け取り手)にゆだねる、複(多)眼的コンセプトから出てきたもののよう。

V&Aの入り口には、Ziggyのギザ・マークが輝いている。

エキジビション会場横のShopはデヴィット・ボウイ一色。
もちろんこのV&Aの展覧会にも、鋤田さんのボウイ作品は何点も展示されているのだが、ここでは「展覧」のみ。
その直筆サイン入り、限定プリントの作品を「購入」できるというチャンスが、Snap Galleryの「David Bowie by Masayoshi Sukita展」。

これがその会場。
Snap Galleryは1階と地階の2フロアで、
この写真の1階部はボウイさんの70年代前半の写真で構成されている。

そして、地階部は70年代後半以降の写真。
手前に写っているのは、かの「Heroes」のジャケットを飾った名作。
新アルバム「The Next Day」のジャケットも、「Heroes」からの展開のなので、
この作品がベースになっている。今回の展覧会では、はずすことのできない一枚。
その限定オリジナル・プリントが入手できる・・・というのだから、ファン感涙もの。

鋤田さんと真知子姐さま。
念願のLondon展実現で、感慨深い記念撮影。

真知子姐さまのBustleプロデュース、鋤田さんのボウイ作品プリントの
Tシャツ、トートバッグも販売中。
モデルは、NYから駆けつけたフォトグラファー・Mark東野氏。
今回は展覧会のヴィデオ・ドキュメンタリーを担当。

この日は、夕方からオープニング・パーティー。
それまでに、最後に持ち込まれた限定ストック分の作品に署名して、準備完了。
左はアシスタントの宇都宮氏と、ギャラリーのオーナーGuy(ガイ)さん。

その後、TV用のインタヴュー進行中。
インタヴューが終わった後で、意外なゲストが。

ファッション・デザイナー/プロデューサー・山本寛斎氏乱入(笑)。

70年代にボウイ・コスチュームを手がけたのが寛斎さん。
ちょうどこの後ろの写真が、Bowie x Sukita x Kansaiコラボレーション作品ということになる。
もちろんV&Aの今回の回顧展にも、そのコスチュームは何点も展示中。
ご本人もこの前日の、V&A展オープニング・パーティーのためにロンドン入り。
ヒースロー空港からの帰国途中に、ギャラリーに立ち寄られた、といういきさつ。

パーティーが始まったところに、真知子姐さまのお嬢ちゃん、美少女たーちゃん登場。

真知子姐さまのダンナ様Maxさんと鋤田さん。



続々とゲストが来場。


続々とセールス>サイン>記念撮影が続く。


右は、ボウイさんのバックのギタリスト、
今は亡きMick Ronson(ミック・ロンソン)氏の妹のマギーさん。
この後もパーティー大盛況、ボウイさんのコピー・バンドの演奏が入ったりで、70年代パワー大炸裂!!
だったそうなのだが・・・私の方、UK時間深夜の日本の雑誌社の締め切りに間に合わすべく、
残念なことに、ダッシュで帰宅>ポストプロセス仕上げて納品という深夜操業なのだった。
鋤田さんはじめ、スタッフの皆さんにも挨拶も出来ず・・・と思っていたら、
都合のいいことに(?)スカーフをバックルームに忘れてきた(ワザとか?という疑惑はあり)。
そこで、また翌々日、友人のDanaさんが、通訳でギャラリー入りするのに便乗してお邪魔することにした。


この日は、一般公開の初日。パーティー並みに来場者が続く。
V&Aのエキジビションからまわってくるお客さんも多い。
右はその、V&Aのキュレターの方々。

この日の意外なゲストは、Bob Marley (ボブ・マーレィ)や、
Sex Pistols(セックス・ピストルズ)の撮影で知られるフォトグラファー・Dennis Morris氏。
「昔から大ファンなんですよ。」と、がっつり握手。

スイスの雑誌社からのインタヴュー内容を、Danaさんが翻訳質問している横で、
ポートレートを撮らせてもらった。
その時にも、その後スタッフの皆さんと一緒に食事に招いてもらった時にも、色々な話をうかがうことが出来た。
一番印象的だったのが、ボウイさんとのセッションで、最初は通訳をはさんで簡単にうちあわせはするものの、実際に撮影が始まれば、ボウイさんのプレゼンテーションする「表現」に対して、そこから鋤田さんが最高のカットを切り撮っていく・・・そこに言葉や説明はもはや全く必要ではない、という話。
2人のアーティストの、まさに理想的なコラボレーションのあり方といえる。すばらしい話を、ありがとうございます^^。
David Bowie by Masayoshi Sukita展
2013年3月23日~4月30日
Snap Gallery
12 Piccadilly Arcade, London, SW1Y 6NH England
(日・月休廊) コンタクト情報は<このページ>
地図:このアーケードの中にある。
View Larger Map
直筆サイン入り限定プリントの作品は欲しい!!
しかし、ロンドンまで行けない・・・という方に朗報。
Snap Galleryでは、UK内外からのネット・オーダーも受け付けている。
<このページ>から、サムネイルをクリックしてオープン。
各ページには、それぞれの写真にまつわる撮影逸話も記されていて(英文)、
これを読んでいるだけでも、写真が一段と立体的に感じられる。
各イメージ、大サイズ・プリント(30"x40"=約76x102cm)10枚限定 £3,000、
小サイズ・プリント(16"x20"=約40x50cm) 30枚限定 £1,500
中でも鋤田さんとギャラリーが、特別に選んだ3枚は、
8"x10"プリント=約20x25cm 100枚限定 £195、と、お手ごろ価格に設定されている。
(すべて、サイズは紙面サイズ。価格はプリントのみで、マット・額装なし。)
お部屋に、鋤田作品ボウイさんをご招待する、またとないチャンス!!
すべて限定プリントのところに、世界中からのオーダーなので、会期中の売り切れ必至。
決断は、お早い目に^^。
自分自身が聞いていたのは、ボウイさんの次のジェネレーション、ボウイさんや、TRexのマーク・ボラン・・・などの影響下にある、80年代のNew Romantics(ニューロマンティックス)やGoth(ゴス)、New Wave改めDark Wave系、オルタナティヴ系の音楽なので、「Ziggy Stardust」などもBauhaus(バウハウス)のカヴァー・ヴァージョンの方で知っている・・・という状態。 (あ、別に「若い」わけじゃなくて、(オルタナティヴ)ロック系の音楽を聴きはじめるのが遅かっただけなんだけれども・・・。)
ともあれ、ボウイさんが70年代を象徴するアイコン(偶像)だということは重々承知している。
ロック音楽を、ファッションやアートと融合して、「カルチャー(文化)」にまで持っていったのは、このボウイさんに他ならない(ビートルズよりもストーンズよりも、「文化度」は高いという評価)。なので、「国立文化博物館」であるV&Aが、大回顧展を催すというわけなのだった。
ちょうど、10年ぶりの新アルバム「The Next Day」の4月1日発売も予定されていて、ボウイさんファンにはなんともエキサイティングな2013年。
その「ムーブメント」の一翼を担うのが、現在Piccadillyの Snap Galleryで催されている、「David Bowie by Masayoshi Sukita展」。
これは40年以上に渡って、デヴィッド・ボウイの写真を撮り続けてきた、日本人写真家、鋤田正義氏の、アイコニックなデヴィッド・ボウイ作品の中から、「クラシック」ともいえる代表作とともに、未発表の貴重な作品が、展示販売されている展覧会。
この作品展が実現した背景には、よく撮影のお手伝いをさせてもらっている、ファッション・デザイナー・神戸真知子姐さまと、ご主人のMax氏の尽力が潜んでいる。そんな経緯で、私の方も真知子姐さま関連の、雑誌取材の撮影を担当させてもらったりして、ギャラリーに出向いていた。
今回はそのギャラリーからの、速報イメージを中心に。

まずはV&Aのイメージ。
最寄のSouth Kensington駅から、V&Aに向かう地下道に並ぶボウイさんポスター。
「David Bowie Is (デヴィッド・ボウイとは・・・)」というタイトル自体、
時代とともに変転変化を続けるボウイさんの定義を、
オーディエンス(受け取り手)にゆだねる、複(多)眼的コンセプトから出てきたもののよう。

V&Aの入り口には、Ziggyのギザ・マークが輝いている。

エキジビション会場横のShopはデヴィット・ボウイ一色。
もちろんこのV&Aの展覧会にも、鋤田さんのボウイ作品は何点も展示されているのだが、ここでは「展覧」のみ。
その直筆サイン入り、限定プリントの作品を「購入」できるというチャンスが、Snap Galleryの「David Bowie by Masayoshi Sukita展」。

これがその会場。
Snap Galleryは1階と地階の2フロアで、
この写真の1階部はボウイさんの70年代前半の写真で構成されている。

そして、地階部は70年代後半以降の写真。
手前に写っているのは、かの「Heroes」のジャケットを飾った名作。
新アルバム「The Next Day」のジャケットも、「Heroes」からの展開のなので、
この作品がベースになっている。今回の展覧会では、はずすことのできない一枚。
その限定オリジナル・プリントが入手できる・・・というのだから、ファン感涙もの。

鋤田さんと真知子姐さま。
念願のLondon展実現で、感慨深い記念撮影。

真知子姐さまのBustleプロデュース、鋤田さんのボウイ作品プリントの
Tシャツ、トートバッグも販売中。
モデルは、NYから駆けつけたフォトグラファー・Mark東野氏。
今回は展覧会のヴィデオ・ドキュメンタリーを担当。

この日は、夕方からオープニング・パーティー。
それまでに、最後に持ち込まれた限定ストック分の作品に署名して、準備完了。
左はアシスタントの宇都宮氏と、ギャラリーのオーナーGuy(ガイ)さん。

その後、TV用のインタヴュー進行中。
インタヴューが終わった後で、意外なゲストが。

ファッション・デザイナー/プロデューサー・山本寛斎氏乱入(笑)。

70年代にボウイ・コスチュームを手がけたのが寛斎さん。
ちょうどこの後ろの写真が、Bowie x Sukita x Kansaiコラボレーション作品ということになる。
もちろんV&Aの今回の回顧展にも、そのコスチュームは何点も展示中。
ご本人もこの前日の、V&A展オープニング・パーティーのためにロンドン入り。
ヒースロー空港からの帰国途中に、ギャラリーに立ち寄られた、といういきさつ。

パーティーが始まったところに、真知子姐さまのお嬢ちゃん、美少女たーちゃん登場。

真知子姐さまのダンナ様Maxさんと鋤田さん。



続々とゲストが来場。


続々とセールス>サイン>記念撮影が続く。


右は、ボウイさんのバックのギタリスト、
今は亡きMick Ronson(ミック・ロンソン)氏の妹のマギーさん。
この後もパーティー大盛況、ボウイさんのコピー・バンドの演奏が入ったりで、70年代パワー大炸裂!!
だったそうなのだが・・・私の方、UK時間深夜の日本の雑誌社の締め切りに間に合わすべく、
残念なことに、ダッシュで帰宅>ポストプロセス仕上げて納品という深夜操業なのだった。
鋤田さんはじめ、スタッフの皆さんにも挨拶も出来ず・・・と思っていたら、
都合のいいことに(?)スカーフをバックルームに忘れてきた(ワザとか?という疑惑はあり)。
そこで、また翌々日、友人のDanaさんが、通訳でギャラリー入りするのに便乗してお邪魔することにした。


この日は、一般公開の初日。パーティー並みに来場者が続く。
V&Aのエキジビションからまわってくるお客さんも多い。
右はその、V&Aのキュレターの方々。

この日の意外なゲストは、Bob Marley (ボブ・マーレィ)や、
Sex Pistols(セックス・ピストルズ)の撮影で知られるフォトグラファー・Dennis Morris氏。
「昔から大ファンなんですよ。」と、がっつり握手。

スイスの雑誌社からのインタヴュー内容を、Danaさんが翻訳質問している横で、
ポートレートを撮らせてもらった。
その時にも、その後スタッフの皆さんと一緒に食事に招いてもらった時にも、色々な話をうかがうことが出来た。
一番印象的だったのが、ボウイさんとのセッションで、最初は通訳をはさんで簡単にうちあわせはするものの、実際に撮影が始まれば、ボウイさんのプレゼンテーションする「表現」に対して、そこから鋤田さんが最高のカットを切り撮っていく・・・そこに言葉や説明はもはや全く必要ではない、という話。
2人のアーティストの、まさに理想的なコラボレーションのあり方といえる。すばらしい話を、ありがとうございます^^。
David Bowie by Masayoshi Sukita展
2013年3月23日~4月30日
Snap Gallery
12 Piccadilly Arcade, London, SW1Y 6NH England
(日・月休廊) コンタクト情報は<このページ>
地図:このアーケードの中にある。
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直筆サイン入り限定プリントの作品は欲しい!!
しかし、ロンドンまで行けない・・・という方に朗報。
Snap Galleryでは、UK内外からのネット・オーダーも受け付けている。
<このページ>から、サムネイルをクリックしてオープン。
各ページには、それぞれの写真にまつわる撮影逸話も記されていて(英文)、
これを読んでいるだけでも、写真が一段と立体的に感じられる。
各イメージ、大サイズ・プリント(30"x40"=約76x102cm)10枚限定 £3,000、
小サイズ・プリント(16"x20"=約40x50cm) 30枚限定 £1,500
中でも鋤田さんとギャラリーが、特別に選んだ3枚は、
8"x10"プリント=約20x25cm 100枚限定 £195、と、お手ごろ価格に設定されている。
(すべて、サイズは紙面サイズ。価格はプリントのみで、マット・額装なし。)
お部屋に、鋤田作品ボウイさんをご招待する、またとないチャンス!!
すべて限定プリントのところに、世界中からのオーダーなので、会期中の売り切れ必至。
決断は、お早い目に^^。
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KotomiCreations-Etsy(エッツィー)ショップ、リニューアル・オープン
- 2013-03-24 Sun 10:00:00
- Kotomiジュエリー
締め切り仕事をこなしたり、風邪ひきかけたりでなんだか標本箱ご無沙汰だったのだけど、コツコツこんな作業もこっそり進行していた。
5年前にOpenしたまま随分長い間ほかっていた、Etsy(エッツィー)のショップをリニューアル・オープンしたこと。
そもそも、私が写真にはまったきっかけというのが、ここのサイトに載せるKotomiジュエリーの写真を、もうちょっときれいに撮れないものかねぇ・・・、というのが発端。
写真をやりだしたら、もう本末転倒で、そのまま写真のマニア道を邁進、すっかりここのEstyショップはほったらかしとなっていた。
今回、本業のジュエリーのみならず、自分の写真作品(というか、写真の上にデジタル・ドローイングやらレイヤーで加工した「不思議」作品)、のプリントも展示販売してみよう・・・という気に。
そこで、ショップ名もKotomi-jewelleryから、KotomiCreationsに改め、新規リニューアル・オープンとなった。
そもそも、Estyというのは何ものかというと、2005年にN.Y.で設立された、ハンドメイド作品・ヴィンテージ専門のネット・ショップ。
AmazonやEbayのクラフト・ハンドメイド版、のようなもので、このタイプのクラフト/ハンドメイドネットショップとしては、最老舗ネットショップで、現在でも世界最大のメンバー数を持っている。(日本やドイツでも最近、Etsy型のネットショップができてきている、という話を聞いたことがあるけれど。)
ここで活発に売買されているのは、若い女性向けのかわいらしいくて、ナチュラル、シンプルなものが多いのだけれど、その中にゴス系・重いゴージャス引きずった、KotomiCreationsをオープンしている(笑)。
ここはE-コマースのプラットフォーム、という意味合いで活用予定。
ここのサイトと、メインウェブサイトともリンクさせているので、現在直販できる作品の例を、インターナショナルにお披露目できればいいかな、と考えている。
出展しているアイテムは、現在こんな感じ・・・。
USAベースのサイトなので、通貨はドル建て。
(イメージをクリックで、各アイテムページに飛ぶのだけど)、アイテムの記述もすべて英語。
もしご興味あって、しかし英語ではなんのことかわからんぞ・・・という方はお問い合わせください。日本語訳します。
Etsyでは、近頃はお店の「ポリシー(お買い上げの際の参考・注意事項)」などというものを表記するように推奨されているので、書いてみた。<このページ>、これにも日本語ページを準備しておいた<このページ>(英語同様、日本語も怪いので、表現が微妙にオカシかったとしても・・・スルーしてください)。
UK、そして日本・EU・カナダ宛に発送設定。いままでお客様の引き合いのあった(つまり、送り出した経験のある)国だけを、いまのところ設定にいれている。
これ以外の国に在住で、ウチには送れないのか?という方はお問い合わせください。個別に、送料や発送方法を調べて返答します。
今後少しずつアイテムも増やしていきたい・・・予定なので、ブックマークしておいて時々見に来てくださいね^^。
5年前にOpenしたまま随分長い間ほかっていた、Etsy(エッツィー)のショップをリニューアル・オープンしたこと。
そもそも、私が写真にはまったきっかけというのが、ここのサイトに載せるKotomiジュエリーの写真を、もうちょっときれいに撮れないものかねぇ・・・、というのが発端。
写真をやりだしたら、もう本末転倒で、そのまま写真のマニア道を邁進、すっかりここのEstyショップはほったらかしとなっていた。
今回、本業のジュエリーのみならず、自分の写真作品(というか、写真の上にデジタル・ドローイングやらレイヤーで加工した「不思議」作品)、のプリントも展示販売してみよう・・・という気に。
そこで、ショップ名もKotomi-jewelleryから、KotomiCreationsに改め、新規リニューアル・オープンとなった。
そもそも、Estyというのは何ものかというと、2005年にN.Y.で設立された、ハンドメイド作品・ヴィンテージ専門のネット・ショップ。
AmazonやEbayのクラフト・ハンドメイド版、のようなもので、このタイプのクラフト/ハンドメイドネットショップとしては、最老舗ネットショップで、現在でも世界最大のメンバー数を持っている。(日本やドイツでも最近、Etsy型のネットショップができてきている、という話を聞いたことがあるけれど。)
ここで活発に売買されているのは、若い女性向けのかわいらしいくて、ナチュラル、シンプルなものが多いのだけれど、その中にゴス系・重いゴージャス引きずった、KotomiCreationsをオープンしている(笑)。
ここはE-コマースのプラットフォーム、という意味合いで活用予定。
ここのサイトと、メインウェブサイトともリンクさせているので、現在直販できる作品の例を、インターナショナルにお披露目できればいいかな、と考えている。
出展しているアイテムは、現在こんな感じ・・・。
USAベースのサイトなので、通貨はドル建て。
(イメージをクリックで、各アイテムページに飛ぶのだけど)、アイテムの記述もすべて英語。
もしご興味あって、しかし英語ではなんのことかわからんぞ・・・という方はお問い合わせください。日本語訳します。
Etsyでは、近頃はお店の「ポリシー(お買い上げの際の参考・注意事項)」などというものを表記するように推奨されているので、書いてみた。<このページ>、これにも日本語ページを準備しておいた<このページ>(英語同様、日本語も怪いので、表現が微妙にオカシかったとしても・・・スルーしてください)。
UK、そして日本・EU・カナダ宛に発送設定。いままでお客様の引き合いのあった(つまり、送り出した経験のある)国だけを、いまのところ設定にいれている。
これ以外の国に在住で、ウチには送れないのか?という方はお問い合わせください。個別に、送料や発送方法を調べて返答します。
今後少しずつアイテムも増やしていきたい・・・予定なので、ブックマークしておいて時々見に来てくださいね^^。
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Frans Hals Museum(フランス・ハルス博物館)-Haarlem(ハールレム)
- 2013-03-19 Tue 10:00:00
- 博物館・美術館
アムステルダム界隈ミニ旅行の話は、今回が最終回で、再びHaarlem(ハーレム)より、Frans Hals Museum(フランス・ハルス博物館)のイメージ。
Wiki jpでは「美術館」になっているけれど、私的には絵画より、インテリア/家具を見ていたので、やっぱり「博物館」かな、というので博物館表記にした。絵画とインテリア/家具がちょうど半分ずつ、という感じ。
正直な話、フランス・ハルスという画家の名前も聞いたことがなかったのだった・・・。(何度も言うけれど、私、絵画と現代アートには無頓着。)
Pおじに「ハールレムにテイラース博物館見に行く。」と言ったら、Pおじはテイラース博物館のことを知らない。(一緒にいた、グラダおばちゃまが「オーヴァル・ルーム見に行くんでしょ?」と、盛り上がってたけれど。)で、Pおじは「ハールレム行くって言うから、フランス・ハルス博物館行くのかと思ったよ。」
今度は私が「それ、何?」と尋ねて、「フランス・ハルス知らんのか?」と呆れられる。知らんのだな、これが(笑)。そして、ハールレム行くなら、ここを見てきなさいと強く勧められる。
テイラース博物館の期待していた半分が(つまり2階部だけれど)未公開だったので、早々に切り上げ、このフランス・ハルス博物館の方に移動した。
この博物館は1862年に、シティホール(市庁舎)のコレクションを中心にして、シティホールの裏にある旧修道院クロイスター・Prinsenhofを改装して、開設されたもの。1913年に現在の敷地に移行されるが、これは、元々は1609年建造のHofjes(旧養老院)の建物だった。
十数枚あるフランス・ハルスの絵画が、メイン展示物で、そこからここの博物館の名前も採られているのだけれど、17世紀オランダ黄金期の他の画家の作品や、工芸品も収蔵されている。
前置きはこれぐらいで、イメージへ。

最初からいきなり、メインのフランス・ハルスの展示室。

photo by Frans Hals museum @Tripadvisor.nl
引きの部屋の全体像はこんな風。
それで、まだこの段階で、これが肝心のフランス・ハルスの絵画だと気がついていない、私。
絵画は「組合親父の集合肖像画」としか見てなくて、ほとんど目に入らず・・・
その前の、「組合親父の会食テーブル」の復刻ディスプレイの方に、激興味。

で、肝心の絵画は「ディスプレイの背景にちょうどいいか。」程度(笑)。

オイスターやムール貝にレモンを絞って食べる。
まだフォークは使われていなくて、ナイフと手で。一部スプーンも使う。
Rummer(ラマー)と呼ばれるワイングラスのステム(脚)の部分に、デコボコのテクスチャーをつけるのは、
(手で食べるので)肉や魚の油の付いた手で、グラスを持つのに、
滑らないようにするためだと聞いたことがある。

そして、チーズとパン。
野菜は(ほとんど)食べない代わりにフルーツやナッツはいろいろ。
紙に包まれているのは、当時は高価だった粒胡椒。


Still life, Willem claesz Heda 1633
こういった収蔵の静物画がテーブルの再現の資料になっている。
肝心のフランス・ハルスの絵画だけれど、彼の最も有名で本領発揮なのは、どちらかと言えば「発注を受けて描いた集合ポートレート」より、個人の肖像画や、街で見かけた者のスナップ素描的なもので、そういった作品はルーブルを始めとする他の博物館に所蔵されている。(サーチしてみて始めて「あぁ、あれかー」と気がつく。)
ここは、ハールレムの市庁舎コレクションが前身の博物館なので、ハールレム市関連組合から発注された、集合ポートーレートのみを収蔵している。つまり、どうしても「組合親父の集合肖像画」というわけ。
この「集合肖像画」、全員で毎回モデルに座ってもらえるわけはないので、大体の構図を決めたら、それぞれのポートレートを別々に素描しておいて、後でひとつの大画面上に構成して描いていったはず。その上平等に出資している組合員を、できるだけ同じサイズに描く必要から、なんとなく遠近感がシュールなことに・・・。表情・ポーズ・構成も、いまいちまとまらないでぎこちなく、現代で言うならポストプロセスで合成した集合写真・・・みたいな印象を受けてしまう。
唯一お見事な例は、レンブラントの「夜警(又は、フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊)」で、絵画全体の構成と動感が「各個人の肖像」より完全に優先されていて、とても自然な効果を生み出していて秀逸。結果・・・、組合員全員同額頭割りで発注しているのに、平等に描かれていない・・・という苦情が出たらしいが。
それにしても、オランダは市民都市国家で、封建国家ではなかったのだなー、というのは、この「集合肖像画」が多数描かれていることからよくわかる。富裕市民の共同体が都市を統治していて、王・女王を頂点とする貴族階級のハイエラルキーが統治する、イギリスやフランスとは随分違ったシステム。イギリスやフランスでは肖像画は圧倒的大半が、王侯貴族階級の個人(家族)の発注なので、「組合親父の集合肖像画」はあまり見かけないのだった。
絵画の話はこれぐらいで、この部屋の隣で目釘付けになったのが、これ・・・。

18世紀の豪華版ドールハウス。Sara Rothé(サラ・ロティ)のドールスハウスと呼ばれている。

ロココ様式の、パーラー/応接室では、銀器のコレクションが展示されている。

これはピアノのある、音楽室かドローイング・ルーム。

ダンナの書斎。

ベッドルームでは乳母が赤ん坊の世話をしている。

これは階段ホール・・・なのかな。

地階にあるダイニングルーム。

その隣のキッチン。

内扉を閉めたヴューは、ここの博物館のポストカードより。
子供が遊ぶにしては、これまた豪華な・・・と思っていたら、Sara Rothé(サラ・ロティ)というのはお嬢ちゃんではなく、「奥様」。当時、富裕市民階級紳士の教養ある趣味が「キャビネット・オブ・キュリオシティーズ」だとしたら、それに匹敵するご婦人方の趣味が「ドールハウス」だったのだそう。そういうドールハウスの意味合いは、はじめて知った。
「フランス・ハルス博物館見てきなさい。」と言ったPおじも、実は絵画よりこのドールハウスに目が釘付け・・・なんじゃないかな、という疑惑(笑)。

18世紀のパネリングのインテリアは、Academy hall(だったと思う。)

Renaissance room(ルネッサンス・ルーム)は元々は、養老院の食堂として使われていた部屋。
ここの装飾的な壁時計に興味。

Gilded leather room(金張り革で装飾された部屋)。
エンボスの入った革を壁紙に使ってある。その保護のため、部屋は極度に暗く保たれている。

Flower still life, Roelant Savery 610-15年頃。
その部屋の花の静物画。

順路の最後の方、西側のウイングにある長い廊下・・・、

には、オランダ名物デルフト焼の皿が展示されている。

これもそうなんだけれど、左ミルク売り、右は饅頭状のものを売っている(?)。
で、真ん中が、帽子売りなんだろうな。

中庭風景。

最後は、正面入り口。
Frans Hals Museum(フランス・ハルス博物館)
Groot Heiligland 62, 2011 ES Haarlem, The Netherlands.
開館:開館:火~土曜 10:00am~5:00pm、日曜 12:00am~5:00pm
閉館:月曜、クリスマス:12月25日、12月31日、新年:1月1日。
1213年3月22日特別展準備のため臨時閉館。
大人10ユーロ、18歳以下無料。
その他の割引、特別展期間中の料金、開館時間など詳細情報は英文で<このページ>。
地図:
View Larger Map
ちょっとハードな締め切り仕事が迫っていて(めったにないことだけれど)、次回の更新は、週末までずれこむ、かも、な、予定です。
Wiki jpでは「美術館」になっているけれど、私的には絵画より、インテリア/家具を見ていたので、やっぱり「博物館」かな、というので博物館表記にした。絵画とインテリア/家具がちょうど半分ずつ、という感じ。
正直な話、フランス・ハルスという画家の名前も聞いたことがなかったのだった・・・。(何度も言うけれど、私、絵画と現代アートには無頓着。)
Pおじに「ハールレムにテイラース博物館見に行く。」と言ったら、Pおじはテイラース博物館のことを知らない。(一緒にいた、グラダおばちゃまが「オーヴァル・ルーム見に行くんでしょ?」と、盛り上がってたけれど。)で、Pおじは「ハールレム行くって言うから、フランス・ハルス博物館行くのかと思ったよ。」
今度は私が「それ、何?」と尋ねて、「フランス・ハルス知らんのか?」と呆れられる。知らんのだな、これが(笑)。そして、ハールレム行くなら、ここを見てきなさいと強く勧められる。
テイラース博物館の期待していた半分が(つまり2階部だけれど)未公開だったので、早々に切り上げ、このフランス・ハルス博物館の方に移動した。
この博物館は1862年に、シティホール(市庁舎)のコレクションを中心にして、シティホールの裏にある旧修道院クロイスター・Prinsenhofを改装して、開設されたもの。1913年に現在の敷地に移行されるが、これは、元々は1609年建造のHofjes(旧養老院)の建物だった。
十数枚あるフランス・ハルスの絵画が、メイン展示物で、そこからここの博物館の名前も採られているのだけれど、17世紀オランダ黄金期の他の画家の作品や、工芸品も収蔵されている。
前置きはこれぐらいで、イメージへ。

最初からいきなり、メインのフランス・ハルスの展示室。

photo by Frans Hals museum @Tripadvisor.nl
引きの部屋の全体像はこんな風。
それで、まだこの段階で、これが肝心のフランス・ハルスの絵画だと気がついていない、私。
絵画は「組合親父の集合肖像画」としか見てなくて、ほとんど目に入らず・・・
その前の、「組合親父の会食テーブル」の復刻ディスプレイの方に、激興味。

で、肝心の絵画は「ディスプレイの背景にちょうどいいか。」程度(笑)。

オイスターやムール貝にレモンを絞って食べる。
まだフォークは使われていなくて、ナイフと手で。一部スプーンも使う。
Rummer(ラマー)と呼ばれるワイングラスのステム(脚)の部分に、デコボコのテクスチャーをつけるのは、
(手で食べるので)肉や魚の油の付いた手で、グラスを持つのに、
滑らないようにするためだと聞いたことがある。

そして、チーズとパン。
野菜は(ほとんど)食べない代わりにフルーツやナッツはいろいろ。
紙に包まれているのは、当時は高価だった粒胡椒。


Still life, Willem claesz Heda 1633
こういった収蔵の静物画がテーブルの再現の資料になっている。
肝心のフランス・ハルスの絵画だけれど、彼の最も有名で本領発揮なのは、どちらかと言えば「発注を受けて描いた集合ポートレート」より、個人の肖像画や、街で見かけた者のスナップ素描的なもので、そういった作品はルーブルを始めとする他の博物館に所蔵されている。(サーチしてみて始めて「あぁ、あれかー」と気がつく。)
ここは、ハールレムの市庁舎コレクションが前身の博物館なので、ハールレム市関連組合から発注された、集合ポートーレートのみを収蔵している。つまり、どうしても「組合親父の集合肖像画」というわけ。
この「集合肖像画」、全員で毎回モデルに座ってもらえるわけはないので、大体の構図を決めたら、それぞれのポートレートを別々に素描しておいて、後でひとつの大画面上に構成して描いていったはず。その上平等に出資している組合員を、できるだけ同じサイズに描く必要から、なんとなく遠近感がシュールなことに・・・。表情・ポーズ・構成も、いまいちまとまらないでぎこちなく、現代で言うならポストプロセスで合成した集合写真・・・みたいな印象を受けてしまう。
唯一お見事な例は、レンブラントの「夜警(又は、フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊)」で、絵画全体の構成と動感が「各個人の肖像」より完全に優先されていて、とても自然な効果を生み出していて秀逸。結果・・・、組合員全員同額頭割りで発注しているのに、平等に描かれていない・・・という苦情が出たらしいが。
それにしても、オランダは市民都市国家で、封建国家ではなかったのだなー、というのは、この「集合肖像画」が多数描かれていることからよくわかる。富裕市民の共同体が都市を統治していて、王・女王を頂点とする貴族階級のハイエラルキーが統治する、イギリスやフランスとは随分違ったシステム。イギリスやフランスでは肖像画は圧倒的大半が、王侯貴族階級の個人(家族)の発注なので、「組合親父の集合肖像画」はあまり見かけないのだった。
絵画の話はこれぐらいで、この部屋の隣で目釘付けになったのが、これ・・・。

18世紀の豪華版ドールハウス。Sara Rothé(サラ・ロティ)のドールスハウスと呼ばれている。

ロココ様式の、パーラー/応接室では、銀器のコレクションが展示されている。

これはピアノのある、音楽室かドローイング・ルーム。

ダンナの書斎。

ベッドルームでは乳母が赤ん坊の世話をしている。

これは階段ホール・・・なのかな。

地階にあるダイニングルーム。

その隣のキッチン。

内扉を閉めたヴューは、ここの博物館のポストカードより。
子供が遊ぶにしては、これまた豪華な・・・と思っていたら、Sara Rothé(サラ・ロティ)というのはお嬢ちゃんではなく、「奥様」。当時、富裕市民階級紳士の教養ある趣味が「キャビネット・オブ・キュリオシティーズ」だとしたら、それに匹敵するご婦人方の趣味が「ドールハウス」だったのだそう。そういうドールハウスの意味合いは、はじめて知った。
「フランス・ハルス博物館見てきなさい。」と言ったPおじも、実は絵画よりこのドールハウスに目が釘付け・・・なんじゃないかな、という疑惑(笑)。

18世紀のパネリングのインテリアは、Academy hall(だったと思う。)

Renaissance room(ルネッサンス・ルーム)は元々は、養老院の食堂として使われていた部屋。
ここの装飾的な壁時計に興味。

Gilded leather room(金張り革で装飾された部屋)。
エンボスの入った革を壁紙に使ってある。その保護のため、部屋は極度に暗く保たれている。

Flower still life, Roelant Savery 610-15年頃。
その部屋の花の静物画。

順路の最後の方、西側のウイングにある長い廊下・・・、

には、オランダ名物デルフト焼の皿が展示されている。

これもそうなんだけれど、左ミルク売り、右は饅頭状のものを売っている(?)。
で、真ん中が、帽子売りなんだろうな。

中庭風景。

最後は、正面入り口。
Frans Hals Museum(フランス・ハルス博物館)
Groot Heiligland 62, 2011 ES Haarlem, The Netherlands.
開館:開館:火~土曜 10:00am~5:00pm、日曜 12:00am~5:00pm
閉館:月曜、クリスマス:12月25日、12月31日、新年:1月1日。
1213年3月22日特別展準備のため臨時閉館。
大人10ユーロ、18歳以下無料。
その他の割引、特別展期間中の料金、開館時間など詳細情報は英文で<このページ>。
地図:
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ちょっとハードな締め切り仕事が迫っていて(めったにないことだけれど)、次回の更新は、週末までずれこむ、かも、な、予定です。
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Teylers Museum(テイラース博物館)-Haarlem(ハールレム)
- 2013-03-16 Sat 10:00:00
- 博物館・美術館
今回は、オランダ・アムステルダム郊外のHaarlem(ハールレム)にある、Teylers Museum(テイラース博物館)のイメージ。
ここの博物館は、18世紀に布帛事業家で銀行家のPieter Teyler van der Hulstの残したコレクションと遺産(子孫がなかったので、学術・宗教を推進する目的のテイラー財団法人として、ハールレム市に託された)を基にして、1778年に設立された。ここのOval Room(オーヴァル・ルーム)が 1784年に完成されて、オランダで最初で最古の一般公開博物館となった。
ちなみにこのテイラー氏、慈善事業にも熱心。前回話に出てきたHofje(Almshouse=養老院)にも出資していて、現在でもTeylers Hofjeとして保存されている。
この、Teylerという名前がオランダっぽくないな、と思っていたら、Teyler氏はスコットランド・メノー派(新教の一派)の移住子孫で、もともとの英名「Tailor」をオランダ表記にしたものなのだそう。
収蔵物は当時18世紀の科学・地質学標本と、絵画、貨幣のコレクション。
個人的には、コレクション自体よりも、18~19世紀ネオ・クラシカル様式の博物館展示がそのまま保存されているので、どちらかといえば、その「器」の方に興味深々・・・なのだった。

これがここの博物館最古の部屋Oval Room。
この部屋の構造と、この特注キャビネット!!
展示室ごと、キャビネット・オブ・キュリオシティーズ。

Photo by Teylers Museum
本当は2階ギャラリー部から、こうやって撮りたかったのだけれど、
2階部は、特別の公開日のみで、普段は非公開。残念なので、借り物写真。

あぁ、このキャビネット・・・。
こんなところに、自分のジュエリー展示したいな(笑)。
キャビネットの上に、球体が乗っかっているのは、
太陽から、各惑星の距離を示しているモデル。

ギャラリーから見たキャビネットのポストカード。

これは絵画室の方に収蔵されている、Wybrand Hendriksが1819年に描いたOval room。
200年ほぼ、そのまま保存されている。
このとんがりキャビネットもなかなか面白い。これも開館当初からのもの。

壁キャビネットも18世紀のまま。

上階ギャラリー部のドアの上のディティール。
古代ギリシャの弁論家/政治家Demosthenes(デモステネス)を描いている。

ミネラル標本自体は・・・ロンドンの自然史博物館見てたら「かわいらしい」もの(笑)。
18世紀の科学標本が、フォトジェニックだったりする。

これは化石の展示室。
そのキャビネットも、当時のまま。

ガラスのディスプレイ・ドーム・・・欲しい。
ドームに展示されているクラスター・クオーツと、エントランスを見たところ。

エントランスから入ってすぐの方の、化石室。

化石室と、Oval roomの間にある、科学模型室。


昔の科学模型はいつでもフォトジェニック^^。

Photo by Teylers Museum
これまた公開されていないのだが、ここにはお見事な・・・19世紀図書室もある。

Photo by AlfvanBeem @Wikimedia Commons
あぁ、公開日に行ってみたいもの・・・。

絵画の方は、2部屋が絵画室に、1部屋が版画にあてられている。
目に留まった、絵画をいくつか以下に。

Old Dutch interior(古いオランダの室内), Lambertus Johannes Hansen 1835年
インテリア好きです^^。
ここでもそうだけど、オランダのテーブルにはテーブルクロスではなくて、
カーペットやラグがかけられる。(それを真似して、ウチもそうしているのだった。)
赤ん坊が寝たところなので静かにしなさいと、母さんが、騒々しい犬と子供に指導中。

Het Atheneum Illustre aan de Oudezijds Voorburgwal te Amsterdam, Cornelis Springer 1879
アムステルダム風景。

Interieur van de Nieuwe Kerk van Haarlem, Wybrand Hendriks 1819
Nieuwe Kerk (新教会)の内部。

Avondstond op zee, Hendrik Willem Mesdag 1870
夕暮れの海。

Bos bij winter, Lodewijk Franciscus Hendrik Apol 1875
この寒さで、雪景色もリアルに感じられる・・・。
等々、絵画は続くけれど、かっ飛ばして、エントランスのインテリア・・・、
ここも、吹き抜けドームの2階部も美しいのに・・・非公開。
2階部のポストカードのヴューと、2階への階段の彫像。
この博物館には、これらの常設展示室以外に、モダーンな特別展の部屋も設けられている。
去年(2012年)に、ラファエルの素描の大展覧会が催された。
私が行った時は、植物画の展覧会だったが、特別展は撮影不可なので、写真はナシ。
ここの博物館の様に、古い部屋はそのまま保存、新しい展示方式は新館で、という、
「区分」方式が、個人的にはとても受け入れやすい。

最後は博物館正面。着いた時に撮ったら、吹雪いている・・・。
Teylers Museum(テイラース博物館)
Spaarne16, 2011CH Haarlem, The Netherlands
開館:火~土曜 10:00am~5:00pm、日曜 12:00am~5:00pm
閉館:月曜、クリスマス:12月25日、新年:1月1日。
大人€11、6-18歳€2、6歳以下無料。
割引詳細は英文で<このページ>
地図:
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ここの博物館は、18世紀に布帛事業家で銀行家のPieter Teyler van der Hulstの残したコレクションと遺産(子孫がなかったので、学術・宗教を推進する目的のテイラー財団法人として、ハールレム市に託された)を基にして、1778年に設立された。ここのOval Room(オーヴァル・ルーム)が 1784年に完成されて、オランダで最初で最古の一般公開博物館となった。
ちなみにこのテイラー氏、慈善事業にも熱心。前回話に出てきたHofje(Almshouse=養老院)にも出資していて、現在でもTeylers Hofjeとして保存されている。
この、Teylerという名前がオランダっぽくないな、と思っていたら、Teyler氏はスコットランド・メノー派(新教の一派)の移住子孫で、もともとの英名「Tailor」をオランダ表記にしたものなのだそう。
収蔵物は当時18世紀の科学・地質学標本と、絵画、貨幣のコレクション。
個人的には、コレクション自体よりも、18~19世紀ネオ・クラシカル様式の博物館展示がそのまま保存されているので、どちらかといえば、その「器」の方に興味深々・・・なのだった。

これがここの博物館最古の部屋Oval Room。
この部屋の構造と、この特注キャビネット!!
展示室ごと、キャビネット・オブ・キュリオシティーズ。

Photo by Teylers Museum
本当は2階ギャラリー部から、こうやって撮りたかったのだけれど、
2階部は、特別の公開日のみで、普段は非公開。残念なので、借り物写真。

あぁ、このキャビネット・・・。
こんなところに、自分のジュエリー展示したいな(笑)。
キャビネットの上に、球体が乗っかっているのは、
太陽から、各惑星の距離を示しているモデル。

ギャラリーから見たキャビネットのポストカード。

これは絵画室の方に収蔵されている、Wybrand Hendriksが1819年に描いたOval room。
200年ほぼ、そのまま保存されている。
このとんがりキャビネットもなかなか面白い。これも開館当初からのもの。

壁キャビネットも18世紀のまま。

上階ギャラリー部のドアの上のディティール。
古代ギリシャの弁論家/政治家Demosthenes(デモステネス)を描いている。

ミネラル標本自体は・・・ロンドンの自然史博物館見てたら「かわいらしい」もの(笑)。
18世紀の科学標本が、フォトジェニックだったりする。

これは化石の展示室。
そのキャビネットも、当時のまま。

ガラスのディスプレイ・ドーム・・・欲しい。
ドームに展示されているクラスター・クオーツと、エントランスを見たところ。

エントランスから入ってすぐの方の、化石室。

化石室と、Oval roomの間にある、科学模型室。


昔の科学模型はいつでもフォトジェニック^^。

Photo by Teylers Museum
これまた公開されていないのだが、ここにはお見事な・・・19世紀図書室もある。
Photo by AlfvanBeem @Wikimedia Commons
あぁ、公開日に行ってみたいもの・・・。

絵画の方は、2部屋が絵画室に、1部屋が版画にあてられている。
目に留まった、絵画をいくつか以下に。

Old Dutch interior(古いオランダの室内), Lambertus Johannes Hansen 1835年
インテリア好きです^^。
ここでもそうだけど、オランダのテーブルにはテーブルクロスではなくて、
カーペットやラグがかけられる。(それを真似して、ウチもそうしているのだった。)
赤ん坊が寝たところなので静かにしなさいと、母さんが、騒々しい犬と子供に指導中。

Het Atheneum Illustre aan de Oudezijds Voorburgwal te Amsterdam, Cornelis Springer 1879
アムステルダム風景。

Interieur van de Nieuwe Kerk van Haarlem, Wybrand Hendriks 1819
Nieuwe Kerk (新教会)の内部。

Avondstond op zee, Hendrik Willem Mesdag 1870
夕暮れの海。

Bos bij winter, Lodewijk Franciscus Hendrik Apol 1875
この寒さで、雪景色もリアルに感じられる・・・。
等々、絵画は続くけれど、かっ飛ばして、エントランスのインテリア・・・、
ここも、吹き抜けドームの2階部も美しいのに・・・非公開。
2階部のポストカードのヴューと、2階への階段の彫像。
この博物館には、これらの常設展示室以外に、モダーンな特別展の部屋も設けられている。
去年(2012年)に、ラファエルの素描の大展覧会が催された。
私が行った時は、植物画の展覧会だったが、特別展は撮影不可なので、写真はナシ。
ここの博物館の様に、古い部屋はそのまま保存、新しい展示方式は新館で、という、
「区分」方式が、個人的にはとても受け入れやすい。

最後は博物館正面。着いた時に撮ったら、吹雪いている・・・。
Teylers Museum(テイラース博物館)
Spaarne16, 2011CH Haarlem, The Netherlands
開館:火~土曜 10:00am~5:00pm、日曜 12:00am~5:00pm
閉館:月曜、クリスマス:12月25日、新年:1月1日。
大人€11、6-18歳€2、6歳以下無料。
割引詳細は英文で<このページ>
地図:
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冬のHaarlem(ハールレム)の街
- 2013-03-13 Wed 10:00:00
- 写真
話はまだオランダで、それもまだ真冬の真っ只中(写真にあわせたわけじゃないだろうけど、ロンドンまたプチ寒波で、雪が散ってたりする・・・)。今回は、アムステルダムの帰りに寄ったHaarlem(ハールレム)の街。
なぜまた、この街によってみることにしたかというと、ここにあるTeylers Museum(テイラース博物館)を見てみたかったから。収蔵品というよりも、ここのギャラリー室をぜひ見てみたかったのだった。
博物館のイメージは次回に回すとして、今回は街のイメージ。

運河凍結、そして再び吹雪。
帰りのフライト飛ばなかったら、またホテルに戻って延泊する覚悟・・・ひとまずかためる。
まぁ、泊まっていたBussum-zuidもHaarlemも、空港のあるSchipholも、それぞれ電車で15-30分圏の郊外同士。
フライトも飛びさえすれば、ロンドンまで1時間かからない。なんとかなるさ・・・で、あまり心配はしていない。

元々St.-Bavokerk(聖バヴォ教会)が正式名だけれど、
同じHaarlemに19世紀に建てられた、カトリックのCathedral of Saint Bavo
(聖バヴォ大聖堂)と区別して、Grote Kerk(大教会)と、もっぱら呼ばれている。

正面には広場があって、土曜日だったので食品のマーケットが出ていた。
この日は博物館2軒ハシゴで、教会に着いたのが4時の閉館時間。
残念ながら、中は見れなかった。
前に立つ銅像は、Laurens Janszoon Costerで、
14世紀後半~15世紀に、ハールレムで活版印刷を開発した人。
ハーレムでは彼がグーテンバーグより先に印刷を発明した・・・ということになっているそう。

手にしているのは、活版のAの字・・・なのはいいんだけど、
ユーロ・ディズニーに行ってきたらしい(笑)。
近年、歴史的絵画・彫刻にミッキーマウス耳を着けてみたら・・・展のようなものがあって、
その時に着けられて以来、まだ取ってもらえてないとか。
古いものにすぐ新しいものをくっつけたがる・・・実に・・・実にオランダらしい。

教会の隣にある、Vleeshal (Meat Hall)は17世紀初頭の建造で、元々は肉マーケット。
肉マーケットにしては、たいそうデコラティヴで、オランダ・ルネッサンス様式の典型。

牛頭の飾りレリーフが、周りに付いているのも、肉マーケットを象徴している。
現在は、隣の19世紀建造のVerweyhalとともに、
コンテンポラリー・アート博物館DE HALLENの一部になっている。

広場に面して、カフェ(バー)の入っている建物もVleeshalによく似せて建てられているが、
こちらは20世紀初頭のリヴァイヴァル。
というのは、プラークの建造年を見てわかったこと。

これは広場と鉄道駅を繋ぐ商店街Kruisstraatの店のファサード。
1931年のリヴァイヴァル様式。

街の中の入り組んだ通りで見かけた。
アールデコ/セセッション様式が入ってる。1930年代以降と見た。

飾りプラークもあちこちで見かける。
これは17世紀初頭のワイン商の建物のよう。


17世紀のものなのだろうけど、現在でもきれいにペイントが修復されている。

同じJansstraatにある、17世紀の旧(女性)養老院、Barbera Vrouwen Gasthuysのプラーク。

St. Elisabeth Gasthuisのエントランス。
このプラークは17世紀のものだけれど、Gasthuis自体は16世紀に端を発するホスピス。
上の養老院とはまた別の組織の様。

上のゲートの先にある、旧養老院施設。
この向かいの、現在FransHals Museum(フランス・ハルス博物館)になっている建物も、
一連の養老院複合施設の一環だったところ。
Hofjes (Court yard=中庭)と呼ばれる、中庭の周りに小さな部屋が連なる形式のAlmshouse(養老院)が、Haarlemにはたくさんあるようで<このページ参照>、それもオランダ黄金時代の17世紀に、10ヶ所建造されている。当時の「福祉国家」と呼ばれる所以なのだろう。
現在まで保存されていて、その中庭は夏場は「秘密の花園」として、和めるスペースになっているよう。
「秘められた緑のオアシス・ウォーク」というガイド・パンフレットも、ハールレム市マーケティング部から出されている。<PDFでこのページ>
ちなみに、「ハールレム市の建造物を巡るウォーク」というのもあって、これも面白そう。これは<PDFでこのページ>

街の中で見かけた、プリントやエファメラ(紙物アンティーク)を売るお店。
パピエ・マシェで覆ってしまった、このファサードは見物・・・。

ヴァイオリン製造販売のお店。

これはMia Wood風の雑貨屋さん。

家具屋なんだけれど、このショップ・ファサードは
19世紀か20世紀初頭のものが保存されている。
お店も雰囲気のいい、昔風のたたずまい。
もう少し気候がよくて、ここで2泊ぐらいできたら、ゆっくりぶらぶら見て回れるのだけどな。
いや~、ぜひまたの機会に。
最後におまけ。

「(雪で)飛行機よりも、電車がトラブるかも。」という、Pおじのアドバイスに従って、
早い目にハールレムを切り上げて、スキポール空港に入った。
幸い夕方には雪もやんで、電車もフライトも問題なし。
これは20時20分のKL1033、30分遅れで離陸を待っている飛行機の窓から。
遅れているのは、ウイングに熱湯を噴射して「解凍」してから離陸するため。
ただいま「解凍中」の、真冬にしか見られないシーン。
(上空の低温で凍結する分には、大丈夫なのに・・・?)
ロンドン・ヒースロー空港側は、すでに7℃まで気温が上がっていて、全く問題なし。
ヒースロー出た途端に汗かいたのだった・・・ロンドン暖かいー。
なぜまた、この街によってみることにしたかというと、ここにあるTeylers Museum(テイラース博物館)を見てみたかったから。収蔵品というよりも、ここのギャラリー室をぜひ見てみたかったのだった。
博物館のイメージは次回に回すとして、今回は街のイメージ。

運河凍結、そして再び吹雪。
帰りのフライト飛ばなかったら、またホテルに戻って延泊する覚悟・・・ひとまずかためる。
まぁ、泊まっていたBussum-zuidもHaarlemも、空港のあるSchipholも、それぞれ電車で15-30分圏の郊外同士。
フライトも飛びさえすれば、ロンドンまで1時間かからない。なんとかなるさ・・・で、あまり心配はしていない。

元々St.-Bavokerk(聖バヴォ教会)が正式名だけれど、
同じHaarlemに19世紀に建てられた、カトリックのCathedral of Saint Bavo
(聖バヴォ大聖堂)と区別して、Grote Kerk(大教会)と、もっぱら呼ばれている。

正面には広場があって、土曜日だったので食品のマーケットが出ていた。
この日は博物館2軒ハシゴで、教会に着いたのが4時の閉館時間。
残念ながら、中は見れなかった。
前に立つ銅像は、Laurens Janszoon Costerで、
14世紀後半~15世紀に、ハールレムで活版印刷を開発した人。
ハーレムでは彼がグーテンバーグより先に印刷を発明した・・・ということになっているそう。

手にしているのは、活版のAの字・・・なのはいいんだけど、
ユーロ・ディズニーに行ってきたらしい(笑)。
近年、歴史的絵画・彫刻にミッキーマウス耳を着けてみたら・・・展のようなものがあって、
その時に着けられて以来、まだ取ってもらえてないとか。
古いものにすぐ新しいものをくっつけたがる・・・実に・・・実にオランダらしい。

教会の隣にある、Vleeshal (Meat Hall)は17世紀初頭の建造で、元々は肉マーケット。
肉マーケットにしては、たいそうデコラティヴで、オランダ・ルネッサンス様式の典型。

牛頭の飾りレリーフが、周りに付いているのも、肉マーケットを象徴している。
現在は、隣の19世紀建造のVerweyhalとともに、
コンテンポラリー・アート博物館DE HALLENの一部になっている。

広場に面して、カフェ(バー)の入っている建物もVleeshalによく似せて建てられているが、
こちらは20世紀初頭のリヴァイヴァル。
というのは、プラークの建造年を見てわかったこと。

これは広場と鉄道駅を繋ぐ商店街Kruisstraatの店のファサード。
1931年のリヴァイヴァル様式。

街の中の入り組んだ通りで見かけた。
アールデコ/セセッション様式が入ってる。1930年代以降と見た。

飾りプラークもあちこちで見かける。
これは17世紀初頭のワイン商の建物のよう。


17世紀のものなのだろうけど、現在でもきれいにペイントが修復されている。

同じJansstraatにある、17世紀の旧(女性)養老院、Barbera Vrouwen Gasthuysのプラーク。

St. Elisabeth Gasthuisのエントランス。
このプラークは17世紀のものだけれど、Gasthuis自体は16世紀に端を発するホスピス。
上の養老院とはまた別の組織の様。

上のゲートの先にある、旧養老院施設。
この向かいの、現在FransHals Museum(フランス・ハルス博物館)になっている建物も、
一連の養老院複合施設の一環だったところ。
Hofjes (Court yard=中庭)と呼ばれる、中庭の周りに小さな部屋が連なる形式のAlmshouse(養老院)が、Haarlemにはたくさんあるようで<このページ参照>、それもオランダ黄金時代の17世紀に、10ヶ所建造されている。当時の「福祉国家」と呼ばれる所以なのだろう。
現在まで保存されていて、その中庭は夏場は「秘密の花園」として、和めるスペースになっているよう。
「秘められた緑のオアシス・ウォーク」というガイド・パンフレットも、ハールレム市マーケティング部から出されている。<PDFでこのページ>
ちなみに、「ハールレム市の建造物を巡るウォーク」というのもあって、これも面白そう。これは<PDFでこのページ>

街の中で見かけた、プリントやエファメラ(紙物アンティーク)を売るお店。
パピエ・マシェで覆ってしまった、このファサードは見物・・・。

ヴァイオリン製造販売のお店。

これはMia Wood風の雑貨屋さん。

家具屋なんだけれど、このショップ・ファサードは
19世紀か20世紀初頭のものが保存されている。
お店も雰囲気のいい、昔風のたたずまい。
もう少し気候がよくて、ここで2泊ぐらいできたら、ゆっくりぶらぶら見て回れるのだけどな。
いや~、ぜひまたの機会に。
最後におまけ。

「(雪で)飛行機よりも、電車がトラブるかも。」という、Pおじのアドバイスに従って、
早い目にハールレムを切り上げて、スキポール空港に入った。
幸い夕方には雪もやんで、電車もフライトも問題なし。
これは20時20分のKL1033、30分遅れで離陸を待っている飛行機の窓から。
遅れているのは、ウイングに熱湯を噴射して「解凍」してから離陸するため。
ただいま「解凍中」の、真冬にしか見られないシーン。
(上空の低温で凍結する分には、大丈夫なのに・・・?)
ロンドン・ヒースロー空港側は、すでに7℃まで気温が上がっていて、全く問題なし。
ヒースロー出た途端に汗かいたのだった・・・ロンドン暖かいー。
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Amusterdam Museum (アムステルダム博物館)
- 2013-03-10 Sun 10:00:00
- 博物館・美術館
今回はAmusterdam Museum(アムステルダム博物館)のイメージ。
ここは、アムステルダムの街の歴史・文化を総合的に展示する博物館で、2011年までAmsterdam Historic Museum(アムステルダム歴史博物館)と呼ばれていた。
賑やかなショッピング街のKalverstraat(カルファーストラート)と、トラムの走るNieuwezijds Voorburgwal通りの両方に面している。もともと博物館としては Nieuwmarkt square(ニューマークト・スクエア)にあるWaag(計量所)内に1926年にOpenしたもので、1975年に現在の建物に移行された。
現在の建物自体は、元修道院の土地に、1580年に孤児院として建造され、1960年まで実際に孤児院として使用されていたのだとか。
この後Haarlem(ハールレム)で訪れたFrans Hals Museumは旧養老院の建物だったし、歴史的に福祉システムの整った地域だったのだと、聞いたことがある。オランダは都市国家だったので、小回りが利いたのかも・・・的な歴史は、この博物館をじっくり見て周ると、理解できるのだろう。
けれど・・・、一日3件ミュージアムのハシゴで撮影の最後だったので、目に留まったものをチラチラ見るだけ、ざーっと流し見した状態。毎度のことながら、あまり説明文は読んでいないし、ましてやオーディオ・ガイドなんて集中力不可能。ヴィジュアル専門です(笑)。

ショッピング街Kalverstraat(カルファーストラート)側からだと、
このパッセージを抜け、中庭に面した回廊を抜けたところが入り口。
入り口の上には、アムステルダム市の紋章と、
その下には、この孤児院のプラーク(飾りパネル)。

プラークのクローズアップ。
左が赤、右が黒のジャケットが制服だった。このデザイン、とてもルネッサンス的なる大胆さ・・・。

Photo by FaceMePLS@Flickr
入り口の右側もパッセージがあって、ここは一応博物館の「内部」なんだけれど、
公共のパッセージでもあって、博物館の開館時間中は(入場料を払っていなくても)
通り抜けることができる。
両サイドの建物は博物館で、壁に窓が切られていて、そこから上階部の絵画を
正面から見ることができるようになっている(解説も、そこに付いている)。
オランダの博物館、こういった構成・デザインが絶妙に上手い。

Photo by tiexano@Flickr
またもや全体像無視の人なので、借り物写真で、博物館の入り口はこんな風。
デザイン上手い。しかし、収蔵物の内容の質とバラェティーはいまひとつ。
歴史資料としての絵画が案外と面白かったので、絵画を中心に撮っていた。

工芸品の中で、目に付いたのはこれ。
17世紀初頭のグラス・ホルダー。実用ではなくて、儀式・装飾用のもの。
乗っているグラスは、Rummer(ラマー又は、Roemer=ロェマー)と呼ばれるタイプのワイングラスで、
ドイツやオランダで15~17世紀中心に作られ、ヨーロッパ中に輸出されていた。
リ・エンアクトメントのテーブルでも時々見かけるし、ウチにもリプロがある。
なので、(当時はもちろん高価なものだったのだろうけれど)なんとなく親しみ易いデザイン。
それがいきなりこのゴージャスな、銀製金張りのホールダーに乗っかっていて、そのギャップが可笑しい。

聖書・・・なのかな?
旧約聖書に出てくるかなり荒唐無稽なソロモンの宮殿を、あたかも見てきたかのように図解している・・・。
生贄を捧げている・・・のが、どう見ても「バーベキュー焦げてるよー!!」。

De Dam(ダム), Jacob van der Ulft1653年
この絵では実際にはこんな風に建てられることのなかった、
Nieuwe Kerk(新教会)の尖塔が描かれている。
17世紀には握手の習慣はないので、帽子を取って挨拶。

photo by Amsterdam Museum Collection
Dam Square with the New Town Hall under Construction(ダム広場と建造中の新タウンホール)
Johannes Lingelbach 1656年 <拡大図>
これは上の絵画よりもっと大きくて面白い。
ボタンを押すと色々解説が出てくる仕組みで展示されていたので、人だかりが絶えず、撮影はできずじまい。でもちゃんと、資料が出てきた。
この絵画から様々な、当時の様子を「読み解く」ことができる。たとえば・・・、
真ん中の赤いマントの男性は、乗馬ブーツを緩めたところで、馬での長旅の後ここに着いたことがわかる。そして、後ろで運ばせているのは彼の荷物なのだろう。
その右側、ブルーのドレスの女性の家族。ここで、「握手の代わりに帽子を取って挨拶」の、話が出てきた。(外国人)フランス人の家族(だったと思う)。
そのまた右側には、国際都市アムステルダムらしく、トルコ商人達の姿が見える。
中心の赤マントの男性の左側でも、帽子を取って、思い切り腰を下げて挨拶している。
画面左下の赤い上着の女性は、典型的な当時の田舎の女性のスタイルで、コイフ(被り物)を被っている。
その女性のちょうど右上を歩いているのは、ここの孤児院の男の子。ただし、画家は赤黒の左右を間違えて描いているが・・・。
画面の左端で子供を抱いて歩いている一家は、アムステルダム新興ブルジョア層の典型。
等々・・・これは解説のほんの一部。私がかろうじてボタンにたどりついて押してみることができた分。

The courtyard of the Stock Exchange(証券取引所の中庭), Job Adriaensz. Berckheyde, 1670年
黒ずくめに白襟が当時の証券マンのコスチューム。
ここでも、中庭の真ん中にトルコのディーラー、右端にロシアのディーラーがいる。

Lambert Twent, postmaster of Delft, and his sons,
(デルフトのランバート・トウェントと息子たち) Martin de la Court 1695年
これはポスト・マスター(郵便屋さん)の親子。
当時郵便は認可制私営で、地位も収益もいい職業だったのだとか。

Jacob Bierens with his family(ヤコブ・ビエレンスと家族), Hendrick Sorgh 1663年
17世紀の中庭に続くキッチンのインテリアに興味。
野菜や魚は実際の状況というよりは、「信仰」や「豊かさ」の象徴で、
いきなり息子がキッチンで、チェロを練習している(?)のも「文化的家族」の象徴だそう。

The World Stage (after Jan Steen)(世界情勢・ヤン・スティーンからの模写)
Charles van Beveren, 19世紀
いろいろなことが、ごちゃごちゃおきている飲み屋の一角・・・なのだけど、
撮りたかったのは、このディティール・・・。

うふふ。

Portrait of Simon van Alteren, Dirck Dircksz. Santvoort1641年頃
なんだか強そうな女の子だな・・・と思ったら、男の子。
そうだった、ヨーロッパでは20世紀に入るまで、男の子も4-8歳になって、
ジョッパーズやズボンを穿くようになるまで、
女の子と同じスタイルのドレスを着せられていたのだった。
オムツを替えやすい、トイレの世話がしやすいから、というのが理由のよう。
ポートレートでは持っているおもちゃで、女の子か男の子か識別される。

もっと、イカツイ子もいた(笑)。この絵の詳細は不明。

Post office on the harbour - Paalhuis, Jan Beerstraaten 1665年頃。
あ、やっぱりオランダは寒いんだ、と実感するのは、冬景色の絵の多いこと。これもそのひとつ。
郵便局・・・なんだけど、そもそもは通関所というか、港の係船料支払所。
表のボードに船から届いた手紙のリストや、定期船のスケージュールが貼りだされる。
送り出す手紙もここに託される。

The Paalhuis and the Nieuwe Brug in winter, Jan Abrahamsz Beerstraten 1663年
これも冬の港郵便局。
運河が凍ったら、交通の便はよさそうだけど・・・(笑)。

オランダの古地図と、ダッチ・ゲイブルのファサード。

孤児院関係者の部屋が保存されている。

Felix Mertis Buildingの音楽室、のディティール。
半立体のミニチュアが面白かったので。全体像は以下に。

photo by Amsterdam Museum Collection
18世紀末のコンサート・ホールの様子。

時代はいきなり19世紀後半から20世紀に飛ぶのだけれど、
当時の低所得者用に建造された住宅、いわば、公営住宅。
ロンドンだとPeabody Trustのようなもの。
Peabodyもそうだけれど、今となっては歴史建造物で、価値が出ている。

Cafe 't Mandje(カフェ・トゥマンチ)
1927年にOpenしたカフェ(ってのは、バー/パブなんだけど)のレプリカが保存されている。
これはBet van Beeren(ベット・ファン・ビーレン)というゲイの女性
(ってことはレズビアンなんだけど)がオーナーで、史上初のゲイ・カフェ。

そのウインドウ。
1967年にベットが亡くなってからも、妹が1982年まで経営を続け、2007年のにその妹も亡くなるが、
2008年以降姪のDiana(ダイアナ)が再開させ、現在も経営中だそう。<Webはこのページ>
アムステルダムならではの歴史的価値。
もし、ロンドンにあったなら・・・ナショナル・トラストに入れてくれるだろうか?
イギリスのことだから、きっと入れてくれるか・・・(笑)。
最後のおまけ。

トイレの鏡。
アムステルダムって・・・はい、コンテンポラリー・デザインが優れてるんですよね、はいはい。
といわせたくてたまらんような、これ見よがしなデザイン多し。
(ロンドンもあんまりよそのこといえないけど。)
トイレも、スリークな合わせ鏡。
Amusterdam Museum (アムステルダム博物館)
入り口:Kalverstraat 92 と Sint Luciënsteeg 27
開館:毎日10:00am~5:00pm
閉館:女王(国王)誕生日:4月30日(2013年)、4月27日(2014年以降)と、クリスマス:12月25日
12月5日、24日、31日は4時閉館。
大人€10、5-18歳€5、5歳以下無料。
その他のディスカウント詳細は英文で<このページ>
地図:
Grotere kaart weergeven
ここは、アムステルダムの街の歴史・文化を総合的に展示する博物館で、2011年までAmsterdam Historic Museum(アムステルダム歴史博物館)と呼ばれていた。
賑やかなショッピング街のKalverstraat(カルファーストラート)と、トラムの走るNieuwezijds Voorburgwal通りの両方に面している。もともと博物館としては Nieuwmarkt square(ニューマークト・スクエア)にあるWaag(計量所)内に1926年にOpenしたもので、1975年に現在の建物に移行された。
現在の建物自体は、元修道院の土地に、1580年に孤児院として建造され、1960年まで実際に孤児院として使用されていたのだとか。
この後Haarlem(ハールレム)で訪れたFrans Hals Museumは旧養老院の建物だったし、歴史的に福祉システムの整った地域だったのだと、聞いたことがある。オランダは都市国家だったので、小回りが利いたのかも・・・的な歴史は、この博物館をじっくり見て周ると、理解できるのだろう。
けれど・・・、一日3件ミュージアムのハシゴで撮影の最後だったので、目に留まったものをチラチラ見るだけ、ざーっと流し見した状態。毎度のことながら、あまり説明文は読んでいないし、ましてやオーディオ・ガイドなんて集中力不可能。ヴィジュアル専門です(笑)。

ショッピング街Kalverstraat(カルファーストラート)側からだと、
このパッセージを抜け、中庭に面した回廊を抜けたところが入り口。
入り口の上には、アムステルダム市の紋章と、
その下には、この孤児院のプラーク(飾りパネル)。

プラークのクローズアップ。
左が赤、右が黒のジャケットが制服だった。このデザイン、とてもルネッサンス的なる大胆さ・・・。

Photo by FaceMePLS@Flickr
入り口の右側もパッセージがあって、ここは一応博物館の「内部」なんだけれど、
公共のパッセージでもあって、博物館の開館時間中は(入場料を払っていなくても)
通り抜けることができる。
両サイドの建物は博物館で、壁に窓が切られていて、そこから上階部の絵画を
正面から見ることができるようになっている(解説も、そこに付いている)。
オランダの博物館、こういった構成・デザインが絶妙に上手い。

Photo by tiexano@Flickr
またもや全体像無視の人なので、借り物写真で、博物館の入り口はこんな風。
デザイン上手い。しかし、収蔵物の内容の質とバラェティーはいまひとつ。
歴史資料としての絵画が案外と面白かったので、絵画を中心に撮っていた。

工芸品の中で、目に付いたのはこれ。
17世紀初頭のグラス・ホルダー。実用ではなくて、儀式・装飾用のもの。
乗っているグラスは、Rummer(ラマー又は、Roemer=ロェマー)と呼ばれるタイプのワイングラスで、
ドイツやオランダで15~17世紀中心に作られ、ヨーロッパ中に輸出されていた。
リ・エンアクトメントのテーブルでも時々見かけるし、ウチにもリプロがある。
なので、(当時はもちろん高価なものだったのだろうけれど)なんとなく親しみ易いデザイン。
それがいきなりこのゴージャスな、銀製金張りのホールダーに乗っかっていて、そのギャップが可笑しい。

聖書・・・なのかな?
旧約聖書に出てくるかなり荒唐無稽なソロモンの宮殿を、あたかも見てきたかのように図解している・・・。
生贄を捧げている・・・のが、どう見ても「バーベキュー焦げてるよー!!」。

De Dam(ダム), Jacob van der Ulft1653年
この絵では実際にはこんな風に建てられることのなかった、
Nieuwe Kerk(新教会)の尖塔が描かれている。
17世紀には握手の習慣はないので、帽子を取って挨拶。

photo by Amsterdam Museum Collection
Dam Square with the New Town Hall under Construction(ダム広場と建造中の新タウンホール)
Johannes Lingelbach 1656年 <拡大図>
これは上の絵画よりもっと大きくて面白い。
ボタンを押すと色々解説が出てくる仕組みで展示されていたので、人だかりが絶えず、撮影はできずじまい。でもちゃんと、資料が出てきた。
この絵画から様々な、当時の様子を「読み解く」ことができる。たとえば・・・、
真ん中の赤いマントの男性は、乗馬ブーツを緩めたところで、馬での長旅の後ここに着いたことがわかる。そして、後ろで運ばせているのは彼の荷物なのだろう。
その右側、ブルーのドレスの女性の家族。ここで、「握手の代わりに帽子を取って挨拶」の、話が出てきた。(外国人)フランス人の家族(だったと思う)。
そのまた右側には、国際都市アムステルダムらしく、トルコ商人達の姿が見える。
中心の赤マントの男性の左側でも、帽子を取って、思い切り腰を下げて挨拶している。
画面左下の赤い上着の女性は、典型的な当時の田舎の女性のスタイルで、コイフ(被り物)を被っている。
その女性のちょうど右上を歩いているのは、ここの孤児院の男の子。ただし、画家は赤黒の左右を間違えて描いているが・・・。
画面の左端で子供を抱いて歩いている一家は、アムステルダム新興ブルジョア層の典型。
等々・・・これは解説のほんの一部。私がかろうじてボタンにたどりついて押してみることができた分。

The courtyard of the Stock Exchange(証券取引所の中庭), Job Adriaensz. Berckheyde, 1670年
黒ずくめに白襟が当時の証券マンのコスチューム。
ここでも、中庭の真ん中にトルコのディーラー、右端にロシアのディーラーがいる。

Lambert Twent, postmaster of Delft, and his sons,
(デルフトのランバート・トウェントと息子たち) Martin de la Court 1695年
これはポスト・マスター(郵便屋さん)の親子。
当時郵便は認可制私営で、地位も収益もいい職業だったのだとか。

Jacob Bierens with his family(ヤコブ・ビエレンスと家族), Hendrick Sorgh 1663年
17世紀の中庭に続くキッチンのインテリアに興味。
野菜や魚は実際の状況というよりは、「信仰」や「豊かさ」の象徴で、
いきなり息子がキッチンで、チェロを練習している(?)のも「文化的家族」の象徴だそう。

The World Stage (after Jan Steen)(世界情勢・ヤン・スティーンからの模写)
Charles van Beveren, 19世紀
いろいろなことが、ごちゃごちゃおきている飲み屋の一角・・・なのだけど、
撮りたかったのは、このディティール・・・。

うふふ。

Portrait of Simon van Alteren, Dirck Dircksz. Santvoort1641年頃
なんだか強そうな女の子だな・・・と思ったら、男の子。
そうだった、ヨーロッパでは20世紀に入るまで、男の子も4-8歳になって、
ジョッパーズやズボンを穿くようになるまで、
女の子と同じスタイルのドレスを着せられていたのだった。
オムツを替えやすい、トイレの世話がしやすいから、というのが理由のよう。
ポートレートでは持っているおもちゃで、女の子か男の子か識別される。

もっと、イカツイ子もいた(笑)。この絵の詳細は不明。

Post office on the harbour - Paalhuis, Jan Beerstraaten 1665年頃。
あ、やっぱりオランダは寒いんだ、と実感するのは、冬景色の絵の多いこと。これもそのひとつ。
郵便局・・・なんだけど、そもそもは通関所というか、港の係船料支払所。
表のボードに船から届いた手紙のリストや、定期船のスケージュールが貼りだされる。
送り出す手紙もここに託される。

The Paalhuis and the Nieuwe Brug in winter, Jan Abrahamsz Beerstraten 1663年
これも冬の港郵便局。
運河が凍ったら、交通の便はよさそうだけど・・・(笑)。

オランダの古地図と、ダッチ・ゲイブルのファサード。

孤児院関係者の部屋が保存されている。

Felix Mertis Buildingの音楽室、のディティール。
半立体のミニチュアが面白かったので。全体像は以下に。

photo by Amsterdam Museum Collection
18世紀末のコンサート・ホールの様子。

時代はいきなり19世紀後半から20世紀に飛ぶのだけれど、
当時の低所得者用に建造された住宅、いわば、公営住宅。
ロンドンだとPeabody Trustのようなもの。
Peabodyもそうだけれど、今となっては歴史建造物で、価値が出ている。

Cafe 't Mandje(カフェ・トゥマンチ)
1927年にOpenしたカフェ(ってのは、バー/パブなんだけど)のレプリカが保存されている。
これはBet van Beeren(ベット・ファン・ビーレン)というゲイの女性
(ってことはレズビアンなんだけど)がオーナーで、史上初のゲイ・カフェ。

そのウインドウ。
1967年にベットが亡くなってからも、妹が1982年まで経営を続け、2007年のにその妹も亡くなるが、
2008年以降姪のDiana(ダイアナ)が再開させ、現在も経営中だそう。<Webはこのページ>
アムステルダムならではの歴史的価値。
もし、ロンドンにあったなら・・・ナショナル・トラストに入れてくれるだろうか?
イギリスのことだから、きっと入れてくれるか・・・(笑)。
最後のおまけ。

トイレの鏡。
アムステルダムって・・・はい、コンテンポラリー・デザインが優れてるんですよね、はいはい。
といわせたくてたまらんような、これ見よがしなデザイン多し。
(ロンドンもあんまりよそのこといえないけど。)
トイレも、スリークな合わせ鏡。
Amusterdam Museum (アムステルダム博物館)
入り口:Kalverstraat 92 と Sint Luciënsteeg 27
開館:毎日10:00am~5:00pm
閉館:女王(国王)誕生日:4月30日(2013年)、4月27日(2014年以降)と、クリスマス:12月25日
12月5日、24日、31日は4時閉館。
大人€10、5-18歳€5、5歳以下無料。
その他のディスカウント詳細は英文で<このページ>
地図:
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Our Lord in the Attic(屋根裏教会)博物館
- 2013-03-07 Thu 10:00:00
- 博物館・美術館
オランダ語だとOns'Lieve Heer op Solder(カナ表記はあきらめた・・・)、英語にするとOur Lord in the Atticで、直訳すると「屋根裏におわす我らが主」の教会・・・ということになる。
Museum Amstelkring(アムステルリンク博物館=アムステル環状運河博物館)という呼び方もされている。
アムステルダム旧市街のOude Kerk(Old Church)から1ブロック先の、運河沿いのごく普通の家の上階を3軒分ぶち抜いて、17世紀に作られた教会が、現在は博物館として公開されている。
屋根裏に秘密のチャペル・・・というと、なにやら件の「Pおじ」のシャトーみたいで、イメージを検索してみたら、これがなかなかフォトジェニック。そこで、行ってみることにした。
入り口を入るとまずはこんな風な、シンプルな階段を上がる。
どんどん上がる。

で、先にネタ明かしをしてしまうと、こんなチャペルがその上階に現れる。
そこで、ここの建造された背景の話を。
この建物自体が建造されたのは、1630年でその段階では、ごく普通のタウンハウス(町屋)だった。
当時はオランダは、カトリックを押し付けていた、宗主国スペイン・ハプスバーグ家の支配に対抗して、1568年から1648年にかけての八十年戦争の最中で、プロテスタント富裕市民階級が中心となるオランダ諸都市は、次々にプロテスタント外禁止条例を施行していた。
アムステルダムでは、1578年に施行されて、本来カトリック主教会だったOude Kerk(Old Church)も、プロテスタントの教会に転用される。
しかし、融通の利くオランダ人キャラはこの頃から健在で、禁止条例といっても、裕福な市民は「非公式」に礼拝儀式を執り行う特権を「買う」ことができるという、かなり裏も表もある条例だったそう。(この話はWiki-Dutch Golden AgeのReligionのセクションより)
建物の話に戻って、カトリックの富裕貿易商Jan Hartman(ヤン・ハルトマン)が、1661年に運河沿いのこの建物と、裏に続く2軒の家を購入。倉庫兼商店兼応接室を下の階に設けて、上3階は壁をぶち抜いてこのチャペルを建造。カトリック信徒が、礼拝儀式を執り行えるスペースを提供した。
その後の歴史はもう大混乱で・・・私の理解の域を完全に超えているけれど、とにかく・・・1795年にフランス革命軍がオランダを占領し、バタヴィア共和国が成立した段階で、このプロテスタント外禁止条例は無効となった。19世紀後半の、1887年にはアムス中央駅前のChurch of St Nicholas(聖ニコラス教会)が、カトリック主教会として建造されたので、この屋根裏教会の役目は終わった。
一時は取り壊しも検討されたそうだが、カトリック信者のグループが建物を買い取り、1888年の4月に博物館としてオープンした。アムステルダム最古の博物館だそう。

最初の2枚の写真の階段を上がると、教会の一番下の階に出てくる。

この階からAlter(主祭壇)を見たところ。
上階のギャラリー部の間に突っ張り棒が入っているのは、
この教会が建造された時からのもので、大きな吹き抜けに対して
強度をもたせるため。

Alter側からのヴュー。
大きく取られている窓が、カナルに面した正面側。
もうひとつ上階にパイプオルガンが設置されている。

パイプオルガン下の装飾彫刻。

間近に見るAlterは、 Dutch classicist style(オランダ古典様式)と、よばれるもの。

上の階に上がった時に、そのピラー(柱)装飾をしげしげ観察。
あ、レンブラント・ハウスの一階Anteroom(控え室)の暖炉と同じ、
木彫にトロンプイユで描かれた、フェイク大理石なことを発見。
この上階に本物の大理石でこれを作ったら・・・床抜けるわな・・・。

Alterpiece(主祭壇画)は「キリストの洗礼」Jacob de Wit 1716年。
と、いうことで年代は50年ぐらい後。
すると、この祭壇自体は1663年の教会オープン時には、
この形で設置されていなかったのかも知れないな。
天使達。
階段とパイプオルガン。
vestment(法衣)の収納スペース。

Lady Chapelというのは、聖母マリアに捧げられたチャペル、

その聖母子像。
1740年頃に設置された、Confessional(告解室)と、そのライト。

ここから階段は、一番奥の方の家側に降りていく。
どんどん降りていく。
すると、裏のほうの出入り口に出る。
しかし、もともとは、ここが唯一のの教会への出入り口。
カナルに面した表通りでの、信者の出入りは禁じられていたので、この一番奥のドアが使われた。
それでもグループで歩いてはいけない、持参の祈祷書・ロザリオは人目に付いてはいけない・・・等々、
いろいろと細かく制約は課されていたそう。
その後18世紀に、最初に上ってきた階段が導入され、真ん中の家のドアも使われるようになった。
それでも、まだ表通りからのドアは使うことができなかった。

この家の一階は1952年まで、博物館関係者が住んでいた。
その後、この17世紀様式のキッチンに改装されたのだそう。

奥の部屋の小さな押入れは、実はトイレ。
タイルのパターンとそのコラージュ。
このミュージアム現在も延々改装中で、
Hartman(ハルトマン)家の応接室とchaplain(チャペル付き牧師)の部屋は、
公開されていなかったのが、ちょっと残念。
建築に興味のある人には面白い博物館かもしれない。
Our Lord in the Attic(屋根裏教会)博物館
Oude Zijde Voorburgwal 40, Amsterdam, Netherlands
開館:月~土10.00 - 17.00 、日・祭日13.00 - 17.00
女王(国王)誕生日:4月30日(2013年)、4月27日(2014年以降)と、
新年:1月1日は休館。
入場料:大人€8 子供€4
その他細かいディスカウント等は英文で<このページ>
地図:
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Museum Amstelkring(アムステルリンク博物館=アムステル環状運河博物館)という呼び方もされている。
アムステルダム旧市街のOude Kerk(Old Church)から1ブロック先の、運河沿いのごく普通の家の上階を3軒分ぶち抜いて、17世紀に作られた教会が、現在は博物館として公開されている。
屋根裏に秘密のチャペル・・・というと、なにやら件の「Pおじ」のシャトーみたいで、イメージを検索してみたら、これがなかなかフォトジェニック。そこで、行ってみることにした。
入り口を入るとまずはこんな風な、シンプルな階段を上がる。
どんどん上がる。

で、先にネタ明かしをしてしまうと、こんなチャペルがその上階に現れる。
そこで、ここの建造された背景の話を。
この建物自体が建造されたのは、1630年でその段階では、ごく普通のタウンハウス(町屋)だった。
当時はオランダは、カトリックを押し付けていた、宗主国スペイン・ハプスバーグ家の支配に対抗して、1568年から1648年にかけての八十年戦争の最中で、プロテスタント富裕市民階級が中心となるオランダ諸都市は、次々にプロテスタント外禁止条例を施行していた。
アムステルダムでは、1578年に施行されて、本来カトリック主教会だったOude Kerk(Old Church)も、プロテスタントの教会に転用される。
しかし、融通の利くオランダ人キャラはこの頃から健在で、禁止条例といっても、裕福な市民は「非公式」に礼拝儀式を執り行う特権を「買う」ことができるという、かなり裏も表もある条例だったそう。(この話はWiki-Dutch Golden AgeのReligionのセクションより)
建物の話に戻って、カトリックの富裕貿易商Jan Hartman(ヤン・ハルトマン)が、1661年に運河沿いのこの建物と、裏に続く2軒の家を購入。倉庫兼商店兼応接室を下の階に設けて、上3階は壁をぶち抜いてこのチャペルを建造。カトリック信徒が、礼拝儀式を執り行えるスペースを提供した。
その後の歴史はもう大混乱で・・・私の理解の域を完全に超えているけれど、とにかく・・・1795年にフランス革命軍がオランダを占領し、バタヴィア共和国が成立した段階で、このプロテスタント外禁止条例は無効となった。19世紀後半の、1887年にはアムス中央駅前のChurch of St Nicholas(聖ニコラス教会)が、カトリック主教会として建造されたので、この屋根裏教会の役目は終わった。
一時は取り壊しも検討されたそうだが、カトリック信者のグループが建物を買い取り、1888年の4月に博物館としてオープンした。アムステルダム最古の博物館だそう。

最初の2枚の写真の階段を上がると、教会の一番下の階に出てくる。

この階からAlter(主祭壇)を見たところ。
上階のギャラリー部の間に突っ張り棒が入っているのは、
この教会が建造された時からのもので、大きな吹き抜けに対して
強度をもたせるため。

Alter側からのヴュー。
大きく取られている窓が、カナルに面した正面側。
もうひとつ上階にパイプオルガンが設置されている。

パイプオルガン下の装飾彫刻。

間近に見るAlterは、 Dutch classicist style(オランダ古典様式)と、よばれるもの。

上の階に上がった時に、そのピラー(柱)装飾をしげしげ観察。
あ、レンブラント・ハウスの一階Anteroom(控え室)の暖炉と同じ、
木彫にトロンプイユで描かれた、フェイク大理石なことを発見。
この上階に本物の大理石でこれを作ったら・・・床抜けるわな・・・。

Alterpiece(主祭壇画)は「キリストの洗礼」Jacob de Wit 1716年。
と、いうことで年代は50年ぐらい後。
すると、この祭壇自体は1663年の教会オープン時には、
この形で設置されていなかったのかも知れないな。
天使達。
階段とパイプオルガン。
vestment(法衣)の収納スペース。

Lady Chapelというのは、聖母マリアに捧げられたチャペル、

その聖母子像。
1740年頃に設置された、Confessional(告解室)と、そのライト。

ここから階段は、一番奥の方の家側に降りていく。
どんどん降りていく。
すると、裏のほうの出入り口に出る。
しかし、もともとは、ここが唯一のの教会への出入り口。
カナルに面した表通りでの、信者の出入りは禁じられていたので、この一番奥のドアが使われた。
それでもグループで歩いてはいけない、持参の祈祷書・ロザリオは人目に付いてはいけない・・・等々、
いろいろと細かく制約は課されていたそう。
その後18世紀に、最初に上ってきた階段が導入され、真ん中の家のドアも使われるようになった。
それでも、まだ表通りからのドアは使うことができなかった。

この家の一階は1952年まで、博物館関係者が住んでいた。
その後、この17世紀様式のキッチンに改装されたのだそう。

奥の部屋の小さな押入れは、実はトイレ。
タイルのパターンとそのコラージュ。
このミュージアム現在も延々改装中で、
Hartman(ハルトマン)家の応接室とchaplain(チャペル付き牧師)の部屋は、
公開されていなかったのが、ちょっと残念。
建築に興味のある人には面白い博物館かもしれない。
Our Lord in the Attic(屋根裏教会)博物館
Oude Zijde Voorburgwal 40, Amsterdam, Netherlands
開館:月~土10.00 - 17.00 、日・祭日13.00 - 17.00
女王(国王)誕生日:4月30日(2013年)、4月27日(2014年以降)と、
新年:1月1日は休館。
入場料:大人€8 子供€4
その他細かいディスカウント等は英文で<このページ>
地図:
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Rembrandt House Museum(レンブラント・ハウス博物館)-2-
- 2013-03-05 Tue 10:00:00
- 博物館・美術館
前回に引き続き、Rembrandt House Museum(レンブラント・ハウス博物館)のイメージを。
ここに住んだ17世紀オランダ黄金時代の画家レンブラントに関してはWiki jpの<このページ>を参照。

The Salon(リヴィング・ルーム)
この部屋は多機能室で、居間であり、ベッドルーム。
仕事以外の時間は、大半ここの部屋で過ごしたことだろう。
この暖炉に使われているタイルが気に入って、撮影するも・・・
暗くて暗くて、見事にブレて失敗。

しかし買ってきたタイルのブックレットに載っていた、これだ^^。
キッチンにも同じものが使われていたそう。

デルフト・タイルの地域だけあってSkirting board
(又は、Base-board=幅木)にタイルが使われている。
イギリスでも、チューダー期一階のタイル床のキッチンなどで、時折見かけるけれど、
木造床の上階で使われるのは、オランダならでは。

このベッド周りの再現は、レンブラントの素描が基になっている。

Saskia in bed (ベッドに横たわるサスキア)1642頃。
レンブラントの妻サスキアは富裕市民の出身で、彼に多額の持参金と顧客のコネクションをもたらし、またモデルもよく務めていた。しかし、成人に至るまで唯一生存した息子、Titus(ティトス)を産んだ後(結核と思われる)病気で没する。この素描は彼女が亡くなる前に描かれたものと考えられている。

全然関係ないけれど、この部屋にあった絵画のディティール。
ルネッサンス期のボート好きなので、ちょっと気になった^^。

リヴィング・ルームの上の階は、アトリエとコレクション室になっている。
これはコレクション室のヴュー。
レンブラントは浪費家で、亡妻の資産も食い潰し・・・という歴史の展開なのだけれど、ただの「浪費家」というわけではなく、アートと世界中からのレア物をコレクションして、自分の周りに「世界」を再現したいというマニアックなコレクターだった。
ちょうど、このオランダ黄金期の、ブルジョワ市民の文化的な趣味Cabinet of curiosities(キャビネット・オブ・キュリオシティーズ)の、究極をいっていた・・・ということになる。
そして、これらのコレクションはただの「飾り物」ではなくて、聖書や神話の歴史絵画の発注を受ける画家としては、重要な「参考資料」であり「プロップ(小道具)」でもあったのだ。
彼の弟子たちもこの莫大なコレクションを、参考・研究資料に使うことが許されていたので、彼らにはラッキーな環境といえる。

一方、このコレクションにのめり込まなければ、
彼は問題なく、屋敷のローンも払い終えただろうし、破産もしなかっただろうといわれている。

皮肉なことにここでも、競売リストが、
彼のコレクションを再現する上で大いに役に立っている。
アウグストゥス帝、ネロ帝の胸像、
東インド会社経由のアジアの皿、鉱物・貝類標本・・・、

版画類、本、写本、剥製、昆虫・植物標本、地球儀、
ガラス器、コイン、メダル・・・等々。

文字通りキャビネット・オブ・キュリオシティー。
私もオタク・コレクター傾向アリなので、人事とは思えない。
興味のあるイメージを、デジタルで収集できる現代に生きてて、
本当によかった(助かった)・・・と、思う次第(笑)。

これはその隣のアトリエ。
私がこの部屋にたどりついた時には、もう、日暮れ・・・。
なので、このアトリエの実際の光の効果は、全く実感ナシ。
実際には北窓で、一日中光の状態が安定しているため、画家には理想的な部屋だそう。
この部屋の再現には、この素描が参考にされた。

Rembrandt's studio with a model 1655年頃。
左に彼のイーゼルの一部が見えていて、光に向かってモデルが座っている。
下半分の窓のシャッターと、天井から吊るしたブラインド・カーテンで、光量を調節している。
製作中の画面に最大限光が入るように、窓に向けてイーゼルは立てられただろうが、
自分の影が落ちないように、少しアングルをもたせていたもの、と、考えられている。
レンブラントは初期の絵画にのみ、パネルを使っているが、後年はキャンバスのみを使っていた。
キャンバスをストレッチして、師匠が使用できるように準備するのも弟子の仕事の一部。


冬用に、アトリエには2つのストーブが入れられていた。
ヌード状態のモデルが寒くないように、また、絵の具に使う亜麻仁油が早く乾くように。
燃料はピート(泥炭)が使われていた。

当時の絵の具は、顔料と亜麻仁油を練り合わせて作られる。
顔料も塊で入手して、細かく砕いてすりつぶす。これらはすべて、弟子の仕事。
大体一日に使い切る程度の少量ずつ、毎日作ったのだそう。
この部屋で絵の具を作る実演も行われている、ということだけれど、
この段階で6時前で、スタッフが部屋を片付け始めていたりしていて、
この時は実演はナシ。

様々なサイズ・素材の筆が使われている。
Ermine(オコジョ)、 badger(アナグマ)、 marten(テン)や豚毛のもの。

棚の上の小さな彫像。
北方ルネッサンスっぽい、ぽってりした胴長さん。

最後は、暖炉の横にもたれかかっていた、イタリア風の美人さん。
Rembrandt House Museum
(レンブラント・ハウス博物館)
Jodenbreestraat 4,1011 NK Amsterdam, The Netherlands
開館:毎日10:00pm~6:00pm
(アムスで6時まで開いている博物館はここぐらい。
ゆえに、後回しになって、ついつい夕方になってしまう。)
閉館:女王(国王)誕生日:4月30日(2013年)、4月27日(2014年以降)
クリスマス:12月25日、新年:1月1日
入場料:大人€12.50
その他細かいディスカウント等は英文で<このページ>
地図:
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入り口は左側の、モダーンな建物の方から。
ここに住んだ17世紀オランダ黄金時代の画家レンブラントに関してはWiki jpの<このページ>を参照。

The Salon(リヴィング・ルーム)
この部屋は多機能室で、居間であり、ベッドルーム。
仕事以外の時間は、大半ここの部屋で過ごしたことだろう。
この暖炉に使われているタイルが気に入って、撮影するも・・・
暗くて暗くて、見事にブレて失敗。

しかし買ってきたタイルのブックレットに載っていた、これだ^^。
キッチンにも同じものが使われていたそう。

デルフト・タイルの地域だけあってSkirting board
(又は、Base-board=幅木)にタイルが使われている。
イギリスでも、チューダー期一階のタイル床のキッチンなどで、時折見かけるけれど、
木造床の上階で使われるのは、オランダならでは。

このベッド周りの再現は、レンブラントの素描が基になっている。

Saskia in bed (ベッドに横たわるサスキア)1642頃。
レンブラントの妻サスキアは富裕市民の出身で、彼に多額の持参金と顧客のコネクションをもたらし、またモデルもよく務めていた。しかし、成人に至るまで唯一生存した息子、Titus(ティトス)を産んだ後(結核と思われる)病気で没する。この素描は彼女が亡くなる前に描かれたものと考えられている。

全然関係ないけれど、この部屋にあった絵画のディティール。
ルネッサンス期のボート好きなので、ちょっと気になった^^。

リヴィング・ルームの上の階は、アトリエとコレクション室になっている。
これはコレクション室のヴュー。
レンブラントは浪費家で、亡妻の資産も食い潰し・・・という歴史の展開なのだけれど、ただの「浪費家」というわけではなく、アートと世界中からのレア物をコレクションして、自分の周りに「世界」を再現したいというマニアックなコレクターだった。
ちょうど、このオランダ黄金期の、ブルジョワ市民の文化的な趣味Cabinet of curiosities(キャビネット・オブ・キュリオシティーズ)の、究極をいっていた・・・ということになる。
そして、これらのコレクションはただの「飾り物」ではなくて、聖書や神話の歴史絵画の発注を受ける画家としては、重要な「参考資料」であり「プロップ(小道具)」でもあったのだ。
彼の弟子たちもこの莫大なコレクションを、参考・研究資料に使うことが許されていたので、彼らにはラッキーな環境といえる。

一方、このコレクションにのめり込まなければ、
彼は問題なく、屋敷のローンも払い終えただろうし、破産もしなかっただろうといわれている。

皮肉なことにここでも、競売リストが、
彼のコレクションを再現する上で大いに役に立っている。
アウグストゥス帝、ネロ帝の胸像、
東インド会社経由のアジアの皿、鉱物・貝類標本・・・、

版画類、本、写本、剥製、昆虫・植物標本、地球儀、
ガラス器、コイン、メダル・・・等々。

文字通りキャビネット・オブ・キュリオシティー。
私もオタク・コレクター傾向アリなので、人事とは思えない。
興味のあるイメージを、デジタルで収集できる現代に生きてて、
本当によかった(助かった)・・・と、思う次第(笑)。

これはその隣のアトリエ。
私がこの部屋にたどりついた時には、もう、日暮れ・・・。
なので、このアトリエの実際の光の効果は、全く実感ナシ。
実際には北窓で、一日中光の状態が安定しているため、画家には理想的な部屋だそう。
この部屋の再現には、この素描が参考にされた。

Rembrandt's studio with a model 1655年頃。
左に彼のイーゼルの一部が見えていて、光に向かってモデルが座っている。
下半分の窓のシャッターと、天井から吊るしたブラインド・カーテンで、光量を調節している。
製作中の画面に最大限光が入るように、窓に向けてイーゼルは立てられただろうが、
自分の影が落ちないように、少しアングルをもたせていたもの、と、考えられている。
レンブラントは初期の絵画にのみ、パネルを使っているが、後年はキャンバスのみを使っていた。
キャンバスをストレッチして、師匠が使用できるように準備するのも弟子の仕事の一部。


冬用に、アトリエには2つのストーブが入れられていた。
ヌード状態のモデルが寒くないように、また、絵の具に使う亜麻仁油が早く乾くように。
燃料はピート(泥炭)が使われていた。

当時の絵の具は、顔料と亜麻仁油を練り合わせて作られる。
顔料も塊で入手して、細かく砕いてすりつぶす。これらはすべて、弟子の仕事。
大体一日に使い切る程度の少量ずつ、毎日作ったのだそう。
この部屋で絵の具を作る実演も行われている、ということだけれど、
この段階で6時前で、スタッフが部屋を片付け始めていたりしていて、
この時は実演はナシ。

様々なサイズ・素材の筆が使われている。
Ermine(オコジョ)、 badger(アナグマ)、 marten(テン)や豚毛のもの。

棚の上の小さな彫像。
北方ルネッサンスっぽい、ぽってりした胴長さん。

最後は、暖炉の横にもたれかかっていた、イタリア風の美人さん。
Rembrandt House Museum
(レンブラント・ハウス博物館)
Jodenbreestraat 4,1011 NK Amsterdam, The Netherlands
開館:毎日10:00pm~6:00pm
(アムスで6時まで開いている博物館はここぐらい。
ゆえに、後回しになって、ついつい夕方になってしまう。)
閉館:女王(国王)誕生日:4月30日(2013年)、4月27日(2014年以降)
クリスマス:12月25日、新年:1月1日
入場料:大人€12.50
その他細かいディスカウント等は英文で<このページ>
地図:
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入り口は左側の、モダーンな建物の方から。
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Rembrandt House Museum(レンブラント・ハウス博物館)-1-
- 2013-03-02 Sat 10:00:00
- 博物館・美術館
オランダ語ではMuseum Het RembrandthuisとよばれるRembrandt House Museum(レンブラント・ハウス博物館)。
オランダでも有数の画家レンブラントの住んだ家ということで、かなり観光客にも知られている博物館。有名画家だとリンク先Wiki jpに概要は解説されているので、ここでは割愛して(これはラクでいいや・・・笑)、即ヴィジュアルいきます。

いつもとパターンを変えて今回はファサードから。
1606-07年に、こちらもオランダ黄金期の画家Cornelis van der Voortの建造した家が元になっている。
当時このアムステルダム東地区は「新興住宅地」で、富裕市民層や画家が次々に家を建て始めていたそう。
もともとは大型2階建てクロウステップド・ゲイブルの建物だったが、1627-28年頃に現在のコーニスやぺディメントの付いた、当時最もトレンディなファサードに改装され、上階も付け加えられた。
レンブラント自身は1639年に、13,000ギルダースでこの家を購入。すでに「夜警」(又は、「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊」)等の発注を受けて、経済的にも成功した画家・・・だったのだが、それにしても、この額は高額で、後年に至るまでの分割払いを組み、これが晩年の経済的困窮の遠因ともなっている、と、言われている。
この博物館、ちなみに、入り口とショップ部は左隣のモダーンな建物の中にある。私はこのドアの前に立って「閉まってるのか?」と、じっとドアを凝視してしまった。続々と観光客が隣に入っていったので、すぐに意味は察したが・・・(笑)。

17世紀のアムステルダムの地図の複製が展示されている。
この地図では、南が上になるように描かれているので、現在見る地図とは上下ひっくり返した感じ。
この家のある位置は白丸の付いているところ。
おぉ、アムステルダムの街自体も、星形要塞都市だったんだ・・・と気がついた。

順路はまず半地下のキッチンから始まる。
(曇り日の夕方で、自然光が入らず、今回全体に写真の色味悪し・・・。)
この家は、1656年にレンブラントが破産後、備品とともに競売にかけられ、11,000ギルダースで売却された。
2つの家に分割され、19世紀に至るまで様々な居住者が行き来して、状態はどんどん悪化してゆき、一時は取り壊しのプランも出ていたそう。1906年のレンブラント生誕300年記念・回顧展の折に、荒廃したこの建物は競売にかけられ、アムステルダム市が購入、レンブラント財団を設立・管理することとなった。本格的に修復されて、博物館として開館したのは1911年のこと。1997年に最新の時代考証の成果を反映した、より忠実なインテリアに改装されている。
・・・と、いうその後の歴史からもわかるように、このキッチンも「こんな風であっただろう」という後年の復刻。
レンブラントの場合、画家なので、実際のインテリアが描かれていた作品・素描もあり、それらによるところが多い。
差し押さえ競売時のリストも、部屋にあった家具・備品を知る重要な手がかりになっている。
(それによると、競売リスト上のキッチンの備品が裕福な一家にしては少ないので、基本生活用の鍋・食器類はリストに入っておらず、小さい家に引っ越したレンブラント達が、持ち出すことを許されていたのではないかと考えられている。)
また、このキッチンの左カウンターの手前にあるドアから、中庭に出るとその先にトイレがあった。ここはゴミ捨て場も兼ねていたらしく、1997年の改装時に、このゴミ捨て場に捨てられた様々な生活用品が発掘され、それも備品類の時代考証に役立っている。
この時代のアムステルダムの住居では、自然光でできる限りの家事作業ができるように、中庭に回廊を設置することは珍しいことではなかった。ここでも回廊の屋根の高さを、1643年以前に上げていることが確認されている。そこで、前述のレンブラントの「夜警」は、ここのスタジオには収まらない大作だったので、この中庭部の回廊で描かれたものではないかと推測されているのだった。

典型的な17世紀のワイングラスで、Rummer(ラマー)と呼ばれる。

キッチンの一角にあるメイドのベッド
寒いオランダやドイツでは、キャビネットの中にベッドを作る習慣がある。上下2段ベッドで、親子が眠る・・・なんてこともザラにある。すべて保温効果のためで、プライバシーなどはない。まぁ、そもそも「子孫繁栄行為」は(18世紀以前は)もっぱら真昼間に人気のない一角や、(田舎の場合)屋外で為されることが多かったので、ベッドは純粋に「寝るためのもの」。
昔の人間は現在より小柄だったとはいえ、当時のベッドが短すぎる・・・というのはイギリスでもよくある話。
クッションを背に当てて上半身を起こして寝ていて、まっすぐ寝ることを「不吉」と考える風習があったともいう。
治安の悪い時代のこととて、いつでも飛び起きて臨戦態勢を取れる(あるいは逃げ出せる)ように、というのが一因と聞いたことがある。
また、当時のベッドは、底にロープを張り渡したところに、藁や羽の布団を重ねた上に寝ていたので、寝ているうちに腰が沈み、おのずと上半身起こしたような姿勢になってしまう、というのも、中世の生活を再現してみたTV番組で聞いた話。いずれにしても・・・腰痛の原因になるよな・・・。

入り口ホール。床は高価な大理石張り。
この部屋は、レンブラントの画商としての「店先」でもあった。
上から下まで彼自身や弟子の作品が展示されていた。
現在でもレンブラントと、同時代の画家の絵が展示されている。
私は芸大出身だけれど、興味の対象が建築・インテリア・装飾史なので・・・絵画ソ無視。
壁面装飾品としか見ていない、という説もあり・・・(笑)。

同じ部屋の入り口ドア。この向こう側で私は立っていたぞ・・・。

隣にあるAnteroom(控え室)が「レンブラント商会」のメイン・オフィス。
ここが実際の商談が行われた部屋。ここの壁にも彼の作品、弟子の作品、それ以外にも取り扱っていたイタリアやフランダースの画家の作品が展示されていた。
競売リストに「大理石ワインクーラー」が記されているので、ここで購入・発注客をワインで接客していたことが伺われる。
遠来客の宿泊用に使われたベッドも、競売リストに記されているが、ここにあるものは、修復時に導入されたほぼ同様の17世紀箱型ベッド。
暖炉の大理石飾りと見えるのは、実は木製にトロンプイユ塗装した「フェイク」。当時は安上がりの代用品として人気があったのだとか。とても巧妙に仕上げられているので、手で触って冷たくない、という点でしか識別出来ない。

Anteroomの奥にある、エッチング・プリント室。
競売リストでオーク材のプリント・プレスがあったことが知られている。
床は、18世紀に難破した17世紀の船に使われていたタイルが、
近年の修復で使用されたもの。

エッチングはそもそも、甲冑装飾用の金属腐食技術から進展して、
レンブラントの50年ぐらい前に、フランスから広まった技法。
彼自身この技法のエキスパートだった。

実際にスタッフが、デモンストレーションして見せてくれる。
インクを銅版に塗るのに、(聞き間違いでなければ・・・)犬の皮をつかった「タンポ」を使う。なぜ「犬」かというと、犬は皮膚発汗しない(口でハァハァやって、体温調整する)ので、毛穴が詰まっているため、皮の毛穴からインクが中の詰め物に吸い取られないからだ、とか。
余分のインクを布で拭き取り、最後は手の平にチョークをつけて拭き取る。このプロセスで、最終作品の陰影の具合を調節できるため、「光と影の画家」の本領発揮のプロセスでもある。
湿らせた紙を乗せて、プリント・プレス機にかける。

レンブラントと妻サスキアの、ポートレートの出来上がり。

弟子に刷らせて、どんどん売ったとか・・・?などと考えていたが、
実際にはインクの拭き取りなど、微調整でプリントを仕上げる必要があるので、
結局のところ、全プロセス彼自身で仕上げていたのだそう。

建物の新館部最上階に、エッチングの展示室がある。
これは、そこで展示されている銅版と刷り上りの対比。
エッチングの話の成り行きで、順路からは外れるけれど、
エッチング作品で目に付いたものを載せてみよう。

三本の樹 1643年。
このインクの拭き取りは特に、微妙・・・。

風車 1641年。

ゴルフ・プレーヤーズ 1654年。
道路掃除してるのかと思ったら、ゴルフ(笑)。

窓辺に寄りかかった自画像 1639年。
15世紀ルネッサンス・イタリアの画家ティツィアーノの
<この絵>に対抗して、このポーズを自画像に使った、と考えられている。

ヤン・シックスの肖像 1647年。
なんだか、ガイドブック読んでたら色々興味深い話が出てきて・・・
そこにまた余計な話付け足すものだから
いつまでたっても終わらない(ラクでいいや・・・と思ったのは最初だけー)。
なので、以降は次回に。
Rembrandt House Museum
(レンブラント・ハウス博物館)
Jodenbreestraat 4,1011 NK Amsterdam, The Netherlands
開館:毎日10:00pm~6:00pm
(アムスで6時まで開いている博物館はここぐらい。
ゆえに、後回しになって、ついつい夕方になってしまう。)
閉館:女王(国王)誕生日:4月30日(2013年)、4月27日(2014年以降)
クリスマス:12月25日、新年:1月1日
入場料:大人€12.50
その他細かいディスカウント等は英文で<このページ>
地図:
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オランダでも有数の画家レンブラントの住んだ家ということで、かなり観光客にも知られている博物館。有名画家だとリンク先Wiki jpに概要は解説されているので、ここでは割愛して(これはラクでいいや・・・笑)、即ヴィジュアルいきます。

いつもとパターンを変えて今回はファサードから。
1606-07年に、こちらもオランダ黄金期の画家Cornelis van der Voortの建造した家が元になっている。
当時このアムステルダム東地区は「新興住宅地」で、富裕市民層や画家が次々に家を建て始めていたそう。
もともとは大型2階建てクロウステップド・ゲイブルの建物だったが、1627-28年頃に現在のコーニスやぺディメントの付いた、当時最もトレンディなファサードに改装され、上階も付け加えられた。
レンブラント自身は1639年に、13,000ギルダースでこの家を購入。すでに「夜警」(又は、「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊」)等の発注を受けて、経済的にも成功した画家・・・だったのだが、それにしても、この額は高額で、後年に至るまでの分割払いを組み、これが晩年の経済的困窮の遠因ともなっている、と、言われている。
この博物館、ちなみに、入り口とショップ部は左隣のモダーンな建物の中にある。私はこのドアの前に立って「閉まってるのか?」と、じっとドアを凝視してしまった。続々と観光客が隣に入っていったので、すぐに意味は察したが・・・(笑)。

17世紀のアムステルダムの地図の複製が展示されている。
この地図では、南が上になるように描かれているので、現在見る地図とは上下ひっくり返した感じ。
この家のある位置は白丸の付いているところ。
おぉ、アムステルダムの街自体も、星形要塞都市だったんだ・・・と気がついた。

順路はまず半地下のキッチンから始まる。
(曇り日の夕方で、自然光が入らず、今回全体に写真の色味悪し・・・。)
この家は、1656年にレンブラントが破産後、備品とともに競売にかけられ、11,000ギルダースで売却された。
2つの家に分割され、19世紀に至るまで様々な居住者が行き来して、状態はどんどん悪化してゆき、一時は取り壊しのプランも出ていたそう。1906年のレンブラント生誕300年記念・回顧展の折に、荒廃したこの建物は競売にかけられ、アムステルダム市が購入、レンブラント財団を設立・管理することとなった。本格的に修復されて、博物館として開館したのは1911年のこと。1997年に最新の時代考証の成果を反映した、より忠実なインテリアに改装されている。
・・・と、いうその後の歴史からもわかるように、このキッチンも「こんな風であっただろう」という後年の復刻。
レンブラントの場合、画家なので、実際のインテリアが描かれていた作品・素描もあり、それらによるところが多い。
差し押さえ競売時のリストも、部屋にあった家具・備品を知る重要な手がかりになっている。
(それによると、競売リスト上のキッチンの備品が裕福な一家にしては少ないので、基本生活用の鍋・食器類はリストに入っておらず、小さい家に引っ越したレンブラント達が、持ち出すことを許されていたのではないかと考えられている。)
また、このキッチンの左カウンターの手前にあるドアから、中庭に出るとその先にトイレがあった。ここはゴミ捨て場も兼ねていたらしく、1997年の改装時に、このゴミ捨て場に捨てられた様々な生活用品が発掘され、それも備品類の時代考証に役立っている。
この時代のアムステルダムの住居では、自然光でできる限りの家事作業ができるように、中庭に回廊を設置することは珍しいことではなかった。ここでも回廊の屋根の高さを、1643年以前に上げていることが確認されている。そこで、前述のレンブラントの「夜警」は、ここのスタジオには収まらない大作だったので、この中庭部の回廊で描かれたものではないかと推測されているのだった。

典型的な17世紀のワイングラスで、Rummer(ラマー)と呼ばれる。

キッチンの一角にあるメイドのベッド
寒いオランダやドイツでは、キャビネットの中にベッドを作る習慣がある。上下2段ベッドで、親子が眠る・・・なんてこともザラにある。すべて保温効果のためで、プライバシーなどはない。まぁ、そもそも「子孫繁栄行為」は(18世紀以前は)もっぱら真昼間に人気のない一角や、(田舎の場合)屋外で為されることが多かったので、ベッドは純粋に「寝るためのもの」。
昔の人間は現在より小柄だったとはいえ、当時のベッドが短すぎる・・・というのはイギリスでもよくある話。
クッションを背に当てて上半身を起こして寝ていて、まっすぐ寝ることを「不吉」と考える風習があったともいう。
治安の悪い時代のこととて、いつでも飛び起きて臨戦態勢を取れる(あるいは逃げ出せる)ように、というのが一因と聞いたことがある。
また、当時のベッドは、底にロープを張り渡したところに、藁や羽の布団を重ねた上に寝ていたので、寝ているうちに腰が沈み、おのずと上半身起こしたような姿勢になってしまう、というのも、中世の生活を再現してみたTV番組で聞いた話。いずれにしても・・・腰痛の原因になるよな・・・。

入り口ホール。床は高価な大理石張り。
この部屋は、レンブラントの画商としての「店先」でもあった。
上から下まで彼自身や弟子の作品が展示されていた。
現在でもレンブラントと、同時代の画家の絵が展示されている。
私は芸大出身だけれど、興味の対象が建築・インテリア・装飾史なので・・・絵画ソ無視。
壁面装飾品としか見ていない、という説もあり・・・(笑)。

同じ部屋の入り口ドア。この向こう側で私は立っていたぞ・・・。

隣にあるAnteroom(控え室)が「レンブラント商会」のメイン・オフィス。
ここが実際の商談が行われた部屋。ここの壁にも彼の作品、弟子の作品、それ以外にも取り扱っていたイタリアやフランダースの画家の作品が展示されていた。
競売リストに「大理石ワインクーラー」が記されているので、ここで購入・発注客をワインで接客していたことが伺われる。
遠来客の宿泊用に使われたベッドも、競売リストに記されているが、ここにあるものは、修復時に導入されたほぼ同様の17世紀箱型ベッド。
暖炉の大理石飾りと見えるのは、実は木製にトロンプイユ塗装した「フェイク」。当時は安上がりの代用品として人気があったのだとか。とても巧妙に仕上げられているので、手で触って冷たくない、という点でしか識別出来ない。

Anteroomの奥にある、エッチング・プリント室。
競売リストでオーク材のプリント・プレスがあったことが知られている。
床は、18世紀に難破した17世紀の船に使われていたタイルが、
近年の修復で使用されたもの。

エッチングはそもそも、甲冑装飾用の金属腐食技術から進展して、
レンブラントの50年ぐらい前に、フランスから広まった技法。
彼自身この技法のエキスパートだった。

実際にスタッフが、デモンストレーションして見せてくれる。
インクを銅版に塗るのに、(聞き間違いでなければ・・・)犬の皮をつかった「タンポ」を使う。なぜ「犬」かというと、犬は皮膚発汗しない(口でハァハァやって、体温調整する)ので、毛穴が詰まっているため、皮の毛穴からインクが中の詰め物に吸い取られないからだ、とか。
余分のインクを布で拭き取り、最後は手の平にチョークをつけて拭き取る。このプロセスで、最終作品の陰影の具合を調節できるため、「光と影の画家」の本領発揮のプロセスでもある。
湿らせた紙を乗せて、プリント・プレス機にかける。

レンブラントと妻サスキアの、ポートレートの出来上がり。

弟子に刷らせて、どんどん売ったとか・・・?などと考えていたが、
実際にはインクの拭き取りなど、微調整でプリントを仕上げる必要があるので、
結局のところ、全プロセス彼自身で仕上げていたのだそう。

建物の新館部最上階に、エッチングの展示室がある。
これは、そこで展示されている銅版と刷り上りの対比。
エッチングの話の成り行きで、順路からは外れるけれど、
エッチング作品で目に付いたものを載せてみよう。

三本の樹 1643年。
このインクの拭き取りは特に、微妙・・・。

風車 1641年。

ゴルフ・プレーヤーズ 1654年。
道路掃除してるのかと思ったら、ゴルフ(笑)。

窓辺に寄りかかった自画像 1639年。
15世紀ルネッサンス・イタリアの画家ティツィアーノの
<この絵>に対抗して、このポーズを自画像に使った、と考えられている。

ヤン・シックスの肖像 1647年。
なんだか、ガイドブック読んでたら色々興味深い話が出てきて・・・
そこにまた余計な話付け足すものだから
いつまでたっても終わらない(ラクでいいや・・・と思ったのは最初だけー)。
なので、以降は次回に。
Rembrandt House Museum
(レンブラント・ハウス博物館)
Jodenbreestraat 4,1011 NK Amsterdam, The Netherlands
開館:毎日10:00pm~6:00pm
(アムスで6時まで開いている博物館はここぐらい。
ゆえに、後回しになって、ついつい夕方になってしまう。)
閉館:女王(国王)誕生日:4月30日(2013年)、4月27日(2014年以降)
クリスマス:12月25日、新年:1月1日
入場料:大人€12.50
その他細かいディスカウント等は英文で<このページ>
地図:
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