- 2022-02-15 Tue 17:04:16
- 博物館・美術館
Museum of the Home(家の博物館) のイメージの続編を。

一連のアームスハウスの建物の中心に、
チャペルが置かれている。
そのちょうど裏側に、
庭に面した通路(廊下)部分がある。

以前も公開されていたのかどうか
記憶に定かでないけれど、
きれいに改装されて、心地よい空間に。

で、そのチャペルの方は・・・、
その昔は祭壇が置かれた中央部分に、
(下の写真、2011年に撮ったもの)
巨大なスクリーンが置かれて、
コミュニティに暮らす人のインタヴュー
みたいなものが映し出されていて、
ゲンナリ・・・。
歴史的なものを、そのまま置いといて
修復だけしてくれって思う。
超うざいので、もちろん写真も撮りません。
撮ったのは、きれいに修復された、
Pew(板で仕切られたベンチ席)のエリア。

本来は、こんなでした。
この裏に天井の低い廊下部分がある。

チャペルを抜けると、大きな窓のある
ホールのような部屋。

きれいに修復されたパネル。
その昔は集会所的に使用されていたのかと思う。
ここに階段ができていて、
上階の資料室が公開されるようになった。

18世紀のアームスハウス。
ジェフリー卿は後継者を持たずに没したので、
所属していた鍛冶屋組合に、
寄贈された資産で建造された。
もともとは引退した組合員のための、
養老院的施設だったのだそう。

この御仁が、頑張って成り上がって、
爵位を得て、市長職を務めたジェフリー卿。
現在は社会的価値判断の激変で、
存在を抹殺されようとしている(苦笑)。

もちろんその横には、
「奴隷取引会社で財を成した」
としっかり表記されている。

17世紀、18世紀、リージェンシー(19世紀初頭)、
19世紀、20世紀の建築と家具を
お勉強するブロック。欲しい・・・(笑)。

1920年頃のロンドン交通局のポスター。
裏の現在のオーヴァーグラウンド線は、
鉄道で、現在はバスが走っている
前の道にはトラムが走っていた。
この資料室を出て、もう一度ルートに戻り、
次の展示室へ。

途中に展示されていた、18世紀後半の
ポーセリン飾りの燭台。

1790年のパーラー。
壁が板張りから壁紙へ、
床にはカーペットが敷き詰められる。
どちらも、さきがけの産業革命のおかげ。
中産階級の家庭でも手に入る、
工場生産品が普及してきたということ。

親しい友人や親族を招いて、
5時にデイナーをすませ、
カードゲームに興じてくつろいでいる
というシーン。


1819年に描かれた、ご家庭の様子。
冬の朝ごはん・・・かな。
室内もコテコテしてきて、ご衣装も重厚に。
18世紀の薄いドレスは、
当時、気候が温暖化していたため・・・
と考えられている。
19世紀には、再び寒冷化したので、
インテリアもドレスも重厚になっていったそう。
地球温暖化も、
一方向で進行しているわけではない
という、歴史的証拠。

1830年のドローイングルーム。
ここで少し余談解説。
前の展示室までパーラー(Parlor)と呼ばれていた部屋が、ここではドローイングルーム(Drawing room)になっているけれど、この違いは何か?実のところ、あまり私もはっきりとは体感認識できていないのです。
パーラーの方が公式の客間(応接室)、ドローイングルームの方が、ややプライベートな感じかな・・・という程度で。それにもう一つシティングルーム(Sitting Room)という言い方もあって、その違いはまったく不明。
いずれにしても、現代ではリヴィングルーム(Living Room)に置き換えられていて、歴史的建造物でしか使われることもない用語です。

インテリアの設定の解説には、
中流のご家庭の午後、
お母さんはファッション雑誌を眺めて、
娘たちは、水彩画を描いたり、
手紙を書いたり(郵便が普及してきた)・・・、

学校から帰ってくるお兄ちゃんに、
チェスの続きを挑む準備をしている、
という・・・、
明らかに、子どもたち中心の、
大人の社交の部屋ではない設定。
ここでまた、思いつきの余談。
19世紀のイギリスといえば、中流以上の家庭の子供達はたいていボーディング・スクール(寄宿舎)に送られて、ホリデー以外はほとんど家に戻ってこない、という印象があったのだけれど、ちょっと調べてみたら、このトレンドは19世紀中頃に、インドを支配下に置いて帝国主義が確立して、そのために海外駐在する軍人・官僚の家庭が増大して以降のことのよう。
その習慣も1950年代末の(私が読んでいた)「くまのパディントン」の頃までで、60年代以降には大英帝国の終焉とともに、かなり上流の家庭に限られたものになっていくようだ。
なので、このシーンの「お兄ちゃんが学校から帰ってくるのを待っている妹」というのも、1830年代の時代背景に一致しているのだった。

その「お兄ちゃん」に与えられたような、
1960年代の「ティーチング・ボックス(教育箱)」。
キャビネット・オヴ・キュリオシティーの簡易版とでもいうか、
「科学と学習」の付録キット的というか・・・。
(さて、一体どれぐらいの人が、この死語をご存知か?)
こんなの今なら、コレクターズアイテム!!
というところで、また次回に続きます。
Museum of the Home(家の博物館)
Ex - Geffrye Museum(旧ジェフリー博物館)
Map:
*************************
by KotomiCreations
KotomiCreations - Contrado shop item detail
(デジタル・プリント雑貨 - コントラド・アイテム詳細)
Page1, Page2

一連のアームスハウスの建物の中心に、
チャペルが置かれている。
そのちょうど裏側に、
庭に面した通路(廊下)部分がある。

以前も公開されていたのかどうか
記憶に定かでないけれど、
きれいに改装されて、心地よい空間に。

で、そのチャペルの方は・・・、
その昔は祭壇が置かれた中央部分に、
(下の写真、2011年に撮ったもの)
巨大なスクリーンが置かれて、
コミュニティに暮らす人のインタヴュー
みたいなものが映し出されていて、
ゲンナリ・・・。
歴史的なものを、そのまま置いといて
修復だけしてくれって思う。
超うざいので、もちろん写真も撮りません。
撮ったのは、きれいに修復された、
Pew(板で仕切られたベンチ席)のエリア。

本来は、こんなでした。
この裏に天井の低い廊下部分がある。

チャペルを抜けると、大きな窓のある
ホールのような部屋。

きれいに修復されたパネル。
その昔は集会所的に使用されていたのかと思う。
ここに階段ができていて、
上階の資料室が公開されるようになった。

18世紀のアームスハウス。
ジェフリー卿は後継者を持たずに没したので、
所属していた鍛冶屋組合に、
寄贈された資産で建造された。
もともとは引退した組合員のための、
養老院的施設だったのだそう。

この御仁が、頑張って成り上がって、
爵位を得て、市長職を務めたジェフリー卿。
現在は社会的価値判断の激変で、
存在を抹殺されようとしている(苦笑)。

もちろんその横には、
「奴隷取引会社で財を成した」
としっかり表記されている。

17世紀、18世紀、リージェンシー(19世紀初頭)、
19世紀、20世紀の建築と家具を
お勉強するブロック。欲しい・・・(笑)。

1920年頃のロンドン交通局のポスター。
裏の現在のオーヴァーグラウンド線は、
鉄道で、現在はバスが走っている
前の道にはトラムが走っていた。
この資料室を出て、もう一度ルートに戻り、
次の展示室へ。

途中に展示されていた、18世紀後半の
ポーセリン飾りの燭台。

1790年のパーラー。
壁が板張りから壁紙へ、
床にはカーペットが敷き詰められる。
どちらも、さきがけの産業革命のおかげ。
中産階級の家庭でも手に入る、
工場生産品が普及してきたということ。

親しい友人や親族を招いて、
5時にデイナーをすませ、
カードゲームに興じてくつろいでいる
というシーン。


1819年に描かれた、ご家庭の様子。
冬の朝ごはん・・・かな。
室内もコテコテしてきて、ご衣装も重厚に。
18世紀の薄いドレスは、
当時、気候が温暖化していたため・・・
と考えられている。
19世紀には、再び寒冷化したので、
インテリアもドレスも重厚になっていったそう。
地球温暖化も、
一方向で進行しているわけではない
という、歴史的証拠。

1830年のドローイングルーム。
ここで少し余談解説。
前の展示室までパーラー(Parlor)と呼ばれていた部屋が、ここではドローイングルーム(Drawing room)になっているけれど、この違いは何か?実のところ、あまり私もはっきりとは体感認識できていないのです。
パーラーの方が公式の客間(応接室)、ドローイングルームの方が、ややプライベートな感じかな・・・という程度で。それにもう一つシティングルーム(Sitting Room)という言い方もあって、その違いはまったく不明。
いずれにしても、現代ではリヴィングルーム(Living Room)に置き換えられていて、歴史的建造物でしか使われることもない用語です。

インテリアの設定の解説には、
中流のご家庭の午後、
お母さんはファッション雑誌を眺めて、
娘たちは、水彩画を描いたり、
手紙を書いたり(郵便が普及してきた)・・・、

学校から帰ってくるお兄ちゃんに、
チェスの続きを挑む準備をしている、
という・・・、
明らかに、子どもたち中心の、
大人の社交の部屋ではない設定。
ここでまた、思いつきの余談。
19世紀のイギリスといえば、中流以上の家庭の子供達はたいていボーディング・スクール(寄宿舎)に送られて、ホリデー以外はほとんど家に戻ってこない、という印象があったのだけれど、ちょっと調べてみたら、このトレンドは19世紀中頃に、インドを支配下に置いて帝国主義が確立して、そのために海外駐在する軍人・官僚の家庭が増大して以降のことのよう。
その習慣も1950年代末の(私が読んでいた)「くまのパディントン」の頃までで、60年代以降には大英帝国の終焉とともに、かなり上流の家庭に限られたものになっていくようだ。
なので、このシーンの「お兄ちゃんが学校から帰ってくるのを待っている妹」というのも、1830年代の時代背景に一致しているのだった。

その「お兄ちゃん」に与えられたような、
1960年代の「ティーチング・ボックス(教育箱)」。
キャビネット・オヴ・キュリオシティーの簡易版とでもいうか、
「科学と学習」の付録キット的というか・・・。
(さて、一体どれぐらいの人が、この死語をご存知か?)
こんなの今なら、コレクターズアイテム!!
というところで、また次回に続きます。
Museum of the Home(家の博物館)
Ex - Geffrye Museum(旧ジェフリー博物館)
Map:
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(デジタル・プリント雑貨 - コントラド・アイテム詳細)
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