- 2022-02-26 Sat 21:53:11
- 博物館・美術館
ロンドンでは、コロナ感染防止の制約も(イングランドで)ほぼなくなって、立て続け3つの嵐を乗り越えて、落ちついたかと思えば、ロシアのウクライナ侵略の衝撃波が走っています。
まがりなりにも、いわゆる先進国といわれるヨーロッパのはしっこで、21世紀に入ってこんな戦争ふっかけるとは・・・呆れはてる。人間て歴史に学習しないもんですねぇ(苦笑)。 そして、黒海のあたりが魂的な故郷の自分なので、一段と心が痛みますね。
まぁ、心痛めても、ここで今できるのは、祈ることと赤十字に寄付する程度なので、あまりセンチメントにとらわれず、淡々と・・・、Museum of the Home(家の博物館) の続編標本箱、いきます。

1870年のパーラー(応接室)。
ヴィクトリアンらしい、重厚なというか、
コテコテのインテリアになってきている。
シーンとしては、子供たちを寝かしつけて、
当時流行っていたSeance(セアンス=
交霊会)のためにテーブルを、
夫妻がセッティングしているという設定。
親しい友人と、プロの交霊師を招いて、
いろいろな家庭で「エンターティメント」として
催されていたそう。

窓辺にあるテラリウムも
当時はやっていたもので、
ここはトレンディなもの好きの
ご夫婦と見て取れる。

1840-80年頃に制作された、
シェルのオーナメント。
プロの工芸家が制作したものではなくて、
当時のご家庭の有閑奥様が、
趣味で時間をかけて作り上げたもの。
ところで、こういう「貝細工」、
日本(関西)で言えば白浜みたいな、
海辺リゾート地の土産物の典型で、
「ダッサぁ~(汗)」と思われていたものが、
6~7年前頃から、またまたトレンド前線に
復帰で、ヴィンテージやアンティークの
海ネタが押しの前面に。
時代の感覚って不思議。

1860-70年頃に、これも奥様ハンドメイドの、
ファイヤー・スクリーン・パネル。
ちょうど暖炉の火の熱が、
顔に当たるあたりでスタンドに立てて、
顔がのぼせるのを防ぐために使われた。
このヴィクトリアンの展示の後に、
私の好きだったインテリアが
あったのだけれど、今回の大改装で、
後に出てくる、
移民家庭の暮らしぶりインテリアを
挿入するために、削除されてしまった。
悔しいので、2011年の写真を載せておくことに。

今は無き1890年「世紀末唯美主義」インテリア。

オスカー・ワイルド、ビアズレー、
ホイッスラーな時代・スタイルのインテリア。

次のインテリアは、1915年の、
アーツアンドクラフト・スタイル。

夕食後の家族団欒の時間という設定。
その中に第1次世界大戦が影を落として、
長男は戦線に向かい、
母と娘は前線兵士に送るための
ソックスや衣類を編んでいる。

次のインテリアは、1937年のアールデコのフラット。
独身ミドルクラス男性に人気の
このフラット(アパート)は、
メイド・サーヴィス付。
食事もオーダーできて、ちょうど
ホテルのようなシステム。
なので、朝食を食べ散らかして、
出勤しても全部片付けてもらえる。

いまでもこんなサーヴィスの、
ホテル・マンションって、
ロンドンのどこかにきっとあるはず。

1976年のカリビアン移民家庭のインテリア。
もともとは西アフリカから、ジャマイカなどの
カリビア海の島々の英植民地に
入植させられた黒人奴隷の子孫が、
第二次世界大戦後の大英帝国の崩壊とともに、
1950-60年代に大挙して、
イギリスに移民として到着した。
1973年以前に入国した移民は、
無条件に永住許可がおりて、
ロンドンなどの都会文化の一端を担っている。
(とはいえ、近年でも、
ウィンドラッシュ事件などの、
差別的な出来事も起きているのだけれど。)

というような、政治的な意図も含まされた
インテリアの展示・・・のために、
「お耽美」なインテリアは
現代に意味無しということで、
削除されたのかと・・・sigh。

時代は1998年に飛んで(私が英人になった年・・・笑)、
ウェアハウス・コンバーション
(旧倉庫を改造したアパート)のインテリア。
そうですね、流行りましたね(あ、今も人気)。
で、そのトレンディな住人は、
LGBT活動家でもあるゲイのカップル。

この設定も完全に政治的背景のある、
ストーリー付・・・(苦笑)。
インテリア的にいえば、イケア・スタイルとでも(笑)。
というところで、インテリア/暮らしの展示は終了。

ちょうど新館の上階で終わる。

ここから階段を降りて、裏のガーデンへ・・・
なのだけれど、
区切りの都合で、ガーデンは全部次回にまとめて、
最後に少し、元正面にあたる、
アームスハウス側の眺めを。

アームスハウス真正面。
前に芝生が広がる。
ちょうど真ん中の部分が、
前(前)回ぼやいていたチャペル。


チャペルのエントランスの上に立つのが、
問題のジェフリー卿。
コミュニティー内では、
像を撤去する意見が強かったそうだけれど、
彼の財を成した背景等の歴史的事実を、
ミュージアム内で明確に表記するということで、
この像の存続が認められたそう。
なので、いろいろな解説で、
「奴隷取引会社に投資して財を築いた・・・」
と、枕詞みたいに、
名前に添えられている(苦笑)。

このドアの中に、居住者は一部屋ずつ与えられて、
キッチン・ダイニングは共同だったそう。
トイレは、多分全体で1-2ヶ所。
住人はそれぞれチェンバーポット
(大きなポット型のおまる)を使って、
寝室で用を足して捨てに行く。
バスも、洗面器にお湯と石鹸を入れて、
手ぬぐいのようなタオルを浸して、
体を拭くだけなので、寝室で済まされる。

蔦の絡まる、
フォトジェニックなアームスハウス。



18世紀の馬用の水タンク。

建物の端の・・・、

アルコーヴの中にも、
元々は何か像があったはず。
いつどんな理由で
取り除かれたんだろうか(笑)。
次回は、和める裏側ガーデンのイメージを。
Museum of the Home(家の博物館)
Ex - Geffrye Museum(旧ジェフリー博物館)
Map:
*************************
by KotomiCreations
KotomiCreations - Contrado shop item detail
(デジタル・プリント雑貨 - コントラド・アイテム詳細)
Page1, Page2
まがりなりにも、いわゆる先進国といわれるヨーロッパのはしっこで、21世紀に入ってこんな戦争ふっかけるとは・・・呆れはてる。人間て歴史に学習しないもんですねぇ(苦笑)。 そして、黒海のあたりが魂的な故郷の自分なので、一段と心が痛みますね。
まぁ、心痛めても、ここで今できるのは、祈ることと赤十字に寄付する程度なので、あまりセンチメントにとらわれず、淡々と・・・、Museum of the Home(家の博物館) の続編標本箱、いきます。

1870年のパーラー(応接室)。
ヴィクトリアンらしい、重厚なというか、
コテコテのインテリアになってきている。
シーンとしては、子供たちを寝かしつけて、
当時流行っていたSeance(セアンス=
交霊会)のためにテーブルを、
夫妻がセッティングしているという設定。
親しい友人と、プロの交霊師を招いて、
いろいろな家庭で「エンターティメント」として
催されていたそう。

窓辺にあるテラリウムも
当時はやっていたもので、
ここはトレンディなもの好きの
ご夫婦と見て取れる。

1840-80年頃に制作された、
シェルのオーナメント。
プロの工芸家が制作したものではなくて、
当時のご家庭の有閑奥様が、
趣味で時間をかけて作り上げたもの。
ところで、こういう「貝細工」、
日本(関西)で言えば白浜みたいな、
海辺リゾート地の土産物の典型で、
「ダッサぁ~(汗)」と思われていたものが、
6~7年前頃から、またまたトレンド前線に
復帰で、ヴィンテージやアンティークの
海ネタが押しの前面に。
時代の感覚って不思議。

1860-70年頃に、これも奥様ハンドメイドの、
ファイヤー・スクリーン・パネル。
ちょうど暖炉の火の熱が、
顔に当たるあたりでスタンドに立てて、
顔がのぼせるのを防ぐために使われた。
このヴィクトリアンの展示の後に、
私の好きだったインテリアが
あったのだけれど、今回の大改装で、
後に出てくる、
移民家庭の暮らしぶりインテリアを
挿入するために、削除されてしまった。
悔しいので、2011年の写真を載せておくことに。

今は無き1890年「世紀末唯美主義」インテリア。

オスカー・ワイルド、ビアズレー、
ホイッスラーな時代・スタイルのインテリア。

次のインテリアは、1915年の、
アーツアンドクラフト・スタイル。

夕食後の家族団欒の時間という設定。
その中に第1次世界大戦が影を落として、
長男は戦線に向かい、
母と娘は前線兵士に送るための
ソックスや衣類を編んでいる。

次のインテリアは、1937年のアールデコのフラット。
独身ミドルクラス男性に人気の
このフラット(アパート)は、
メイド・サーヴィス付。
食事もオーダーできて、ちょうど
ホテルのようなシステム。
なので、朝食を食べ散らかして、
出勤しても全部片付けてもらえる。

いまでもこんなサーヴィスの、
ホテル・マンションって、
ロンドンのどこかにきっとあるはず。

1976年のカリビアン移民家庭のインテリア。
もともとは西アフリカから、ジャマイカなどの
カリビア海の島々の英植民地に
入植させられた黒人奴隷の子孫が、
第二次世界大戦後の大英帝国の崩壊とともに、
1950-60年代に大挙して、
イギリスに移民として到着した。
1973年以前に入国した移民は、
無条件に永住許可がおりて、
ロンドンなどの都会文化の一端を担っている。
(とはいえ、近年でも、
ウィンドラッシュ事件などの、
差別的な出来事も起きているのだけれど。)

というような、政治的な意図も含まされた
インテリアの展示・・・のために、
「お耽美」なインテリアは
現代に意味無しということで、
削除されたのかと・・・sigh。

時代は1998年に飛んで(私が英人になった年・・・笑)、
ウェアハウス・コンバーション
(旧倉庫を改造したアパート)のインテリア。
そうですね、流行りましたね(あ、今も人気)。
で、そのトレンディな住人は、
LGBT活動家でもあるゲイのカップル。

この設定も完全に政治的背景のある、
ストーリー付・・・(苦笑)。
インテリア的にいえば、イケア・スタイルとでも(笑)。
というところで、インテリア/暮らしの展示は終了。

ちょうど新館の上階で終わる。

ここから階段を降りて、裏のガーデンへ・・・
なのだけれど、
区切りの都合で、ガーデンは全部次回にまとめて、
最後に少し、元正面にあたる、
アームスハウス側の眺めを。

アームスハウス真正面。
前に芝生が広がる。
ちょうど真ん中の部分が、
前(前)回ぼやいていたチャペル。


チャペルのエントランスの上に立つのが、
問題のジェフリー卿。
コミュニティー内では、
像を撤去する意見が強かったそうだけれど、
彼の財を成した背景等の歴史的事実を、
ミュージアム内で明確に表記するということで、
この像の存続が認められたそう。
なので、いろいろな解説で、
「奴隷取引会社に投資して財を築いた・・・」
と、枕詞みたいに、
名前に添えられている(苦笑)。

このドアの中に、居住者は一部屋ずつ与えられて、
キッチン・ダイニングは共同だったそう。
トイレは、多分全体で1-2ヶ所。
住人はそれぞれチェンバーポット
(大きなポット型のおまる)を使って、
寝室で用を足して捨てに行く。
バスも、洗面器にお湯と石鹸を入れて、
手ぬぐいのようなタオルを浸して、
体を拭くだけなので、寝室で済まされる。

蔦の絡まる、
フォトジェニックなアームスハウス。



18世紀の馬用の水タンク。

建物の端の・・・、

アルコーヴの中にも、
元々は何か像があったはず。
いつどんな理由で
取り除かれたんだろうか(笑)。
次回は、和める裏側ガーデンのイメージを。
Museum of the Home(家の博物館)
Ex - Geffrye Museum(旧ジェフリー博物館)
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by KotomiCreations
KotomiCreations - Contrado shop item detail
(デジタル・プリント雑貨 - コントラド・アイテム詳細)
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